29話「二人の英雄」
引き金を引くと、ストックを通して.30-06弾の、強烈な蹴りを食らったような反動が肩に抜けていく。
一瞬歪んだスコープ内の視界が安定。標的への着弾を確認し、遊底を引くと小気味いい音を立てて排出された空薬莢が宙を舞った。
そして遊底を戻し、装填。一連の動作ごとに帽子につけた白羽根が揺らぐが、それを見つけられる者がいるとすれば同業者だけだろう。
防衛側陣地より一人敵勢力へと進行したシロは、正面よりやや左側、T90が暴れまわった場所とBTRの部隊が展開する両方を観測できる丘に隠れ潜み、たった一人狙撃による足止めを行っていた。
リーダーからの要望は敵の足止め。ならそれ以上をすることもなく、ただ与えられた役割を果たすことだけに集中すればいい。淡々と、冷酷に、我らがリーダーは確実に敵を打ち抜き恐怖を与え続ける見えぬ死神をご所望なのだから。
「そういや今回はあっしとマニマニとユーだけかぁ……思ったけど狙撃手多すぎるな!?」
一人で騒ぎつつ、M70狙撃銃の発砲音が轟く度に敵兵はその数を減らし、弾が敵に着弾する度その足は確実に止まる。
既に半ば狙撃の恐怖に支配された戦場で、ろくに対抗する手段も持たない敵は闇雲に明後日の方向を攻撃するか木の陰に身を隠して怯えるかのどちらかだ。
「そろそろ、か。ちと動こうかね」
戦場の混乱が隠れ蓑になるとしても、一人銃声を轟かせているシロは一度その姿を気取られれば集中砲火を浴びるのは必然。数度撃っては位置を変え、その都度戦場全体を見通して敵の動きを把握する。
双眼鏡と自らの勘を信じて索敵を続け、迂闊な者、指揮を取る者、狙撃手を探す者を優先して捉え、引き金を引く。
大分ポーチの中が軽くなったのを感覚で感じ取り、シロはM70内の残弾と合わせて次の動きを計算する。どれだけ正確かつ鋭い弾丸を放てる銃と狙撃手がいても、敵を捉えて撃ち抜くのは弾丸だ。それが無くなれば、もはやシロにできることはない。
だからこそ効率よく、もっとも時間を稼げる標的のみに狙いを絞りながらシロは狙撃を続けた。誰も存在に気づけない。敵は銃声を聞く度に震え、足が竦み進軍が止まる。どんな強力な兵器も要らない。たった一人の狙撃手によって、敵陣おそらく現在の総勢40名が押し留められていた。
「む……私の白羽根が危険を探知」
こちらを見つめる視線。敵意を持った力が自分へ向くのにシロは気づく。そんなものはオカルトだと豪語するものもいるが、幾度かの戦いを経験すれば、なんとなく敵に見られているような予感というものは感じるものだ。
身を潜め、敵を探す。安全装置を外し、弾丸が薬室に装填されているのを確認すると、即座に射撃が可能な姿勢を取ってスコープを覗き込んだ。
円形レンズの中に刻まれた十字線が地平を這い、敵を探す。最も脅威たる敵を。
背筋を悪寒が伝い、手に汗が滲む。唇を噛み締め集中を高めつつ、余計な力がこもらないように体を脱力させて筋肉の緊張をほぐした。
圧迫感に早鐘を打つ胸を呼吸で整え、ついに十字線は標的を捉える。
「――ッ」
既に敵は銃を構えこちらを見据えていた。
時間はない。だからこそ冷静に。敵との距離、位置関係、弾の特性と周囲の環境で生じる弾道の変化を瞬時に頭の中で計算する。
数秒にも満たない空白の時間に、だが次の瞬間敵の銃口から発せられるかもしれない発砲炎に恐怖しながら――シロは冷静に引き金を引いた。
重い衝撃がウォールナットのストックを通して体へと抜けていく。訓練と戦いで染み付いた癖が手を動かし、遊底を操作しては排莢と次弾の装填を即座に済ませると、空薬莢が地面を転がる頃には二射目の準備ができていた。
しかし、シロはそこで大きく息を吐き出すと寝返りをうつようにライフルを傍らに置き大げさな動作で仰向けに寝転ぶ。
「ふへぇー、運がよかった。ま、どうあれこっちが早くトリガーを引いたんだ、私の勝ちさ。…………スコープぶっ壊しちゃったけど怒られないよね? ふ、ふかこーりょく」
どうあれ敵に銃口を向けられ構えていたのは事実。今回は引き金を引くのがこちらが早かったというだけのこと。
首に流れる汗を軽く制服で拭い、シロは再度狙撃による足止めを開始した。
防衛側陣地より右翼側。緑一色の森にぽつんと開いた黒色の穴が、まるで何かを飲み込もうと大きく口を開けていた。
森の中にひっそりと佇むトンネルの長さは約100メートル。しかし、蛇の体のように左右に曲がりくねった通路と所々壊れた照明で視界は悪い。光源は、僅かに生き残った照明が暗いトンネル内を微かに照らしているだけだ。
昔何かの作業に使われていたらしいトンネルは忘れ去られて久しいのか壁はところどころ崩れ落ち、道中には工事用の作業道具が放置されそれが無機質な闇色の世界に半端な生気を与え、さながらホラー映画に出てくる舞台のような気味の悪さを醸し出していた。
閉鎖空間特有の寒気と独特の雰囲気に息を呑みながら、丘から流れ入った泥水に濡れたコンクリートの地面に身を横たえマニは双眼鏡を構えた。しかし、天上に設置された照明はわずかで、闇に侵食されつつあるトンネル内に暗視機能のない装置は無意味だ。
「うお見えね。って当然か、M40ちゃんはここにおいておきましょう」
迷彩柄のストックがより存在感を薄めたM40狙撃銃を傍らにどけて、マニはもう一人の相棒、M14を構える。
シャープな外見のM40と違っていかにもな軍用銃らしさを感じさせる重厚なデザインのM14は半自動式、つまりトリガーを引くだけで弾が出るのでM40と違い速射性に優れる。
地形の関係上、敵の位置を遠方から確認できるわけではないこのトンネル内では不意の遭遇でも対応のできるM14の方が有利に事を運ぶことができるだろう。何より、それを見越してマニは事前にM14に旧式の暗視スコープを搭載している。
大掛かりな装置に見えなくもないこの無駄に巨大で寸胴な物体はカメラで使う馬鹿でかい望遠レンズにも似ていて、当然見かけ通り重量もそれなりだ。しかも、暗所の味方暗視装置とはいえ旧式なので性能は心もとない。
「っく、分かってたけど見えづらい。……シロの食費を削って、いえむしろもやしだけにしてもう少し奮発すればよかったかな」
相方への非情な裏切りを画策しつつ、マニは前方を裸眼と暗視スコープとで監視し続けた。
そしてついに、カビ臭さと泥水での体温低下に身体が警告を発してきた頃合いでトンネルの反対側より靴音が響いてくる。地を踏みつけるブーツとこつこつとコンクリートを叩くローファーの混じった足音。おそらく旭と白崎の混成部隊。数はざっと音を数えて二十人以下といったところだろうか。
マニは工事用具と壁の間に身を潜め、一行が姿を晒す位置に銃口とスコープを向ける。意識を敵へと集中させ、冷水に濡れ不快感を訴える身体から意識を切り離した。
「敵は複数、装備は……か、顔しか見えない。旧式のってこんなもんなんですねよく戦えたなぁ」
ぼやきながら、マニはM14の照準を調整する。スコープ内では暗闇に無数の首が浮かぶというホラーな様相を呈しているのだが、これは問題ない。頭しか見えずとも首の下には必ず胴体が存在する。そこを狙えばいい。
これが訓練用の的なら丸出しの頭へ華麗に連続ヘッドショットを決めて見せるものだが、あいにくとこれは学戦。人死はご法度だ。
M14の箱型弾倉には7.62mm弾が20発。必中を心がければ再装填の必要はない。
暗視スコープ越しに浮かぶ敵の頭部、そこよりもやや下側、胸の辺りに感覚で狙いを定め引き金を引く。
閉所での銃声は耳をつんざき鼓膜を震わせる。だがマニは無心のまま続けざまにトリガーを引き続けた。
暗所では発砲炎がはっきりと映し出され、どうしても居場所を晒してしまう。おそらく反撃の余裕を与えれば数で勝る銃弾の雨にマニは倒れることになるだろう。
だから姿勢を保ち、強力な7.62mm弾の反動を制御しながら単発射撃を繰り返す。一発撃つごとに銃から響く反動を受け止め照準を次の標的へ移し、スコープ内のブレが収まり次第正確に狙いをつけて発砲する。
これを一息の間に行って、トンネル内に静寂が訪れるとマニはM14の引き金から指を離した。もはや、このトンネルで立っている者は誰もいない。
「ここは私のトンネルです。誰も通しませんと、も……っくしゅ。やばい、風邪をひく」
泥水に濡れそぼった制服に嘆息して、マニは上着の袖をまくり腕に付けた時計を見る。泥濡れのミリタリーウォッチの液晶画面を親指で拭い、仄かに光る現在時刻を間違いのないよう確認する。
あと一時間で模擬戦は終了。トンネル側に来た戦力がこれだけのところを見ると、攻撃側の戦力はもはや心もとないのだろうか。これ以上は拮抗させるどころか圧倒してしまうだろう。
そう判断するやいなやマニはM40の吊り紐を肩にかけ、M14を腰に抱えると一目散にトンネルを後にするのだった。




