28話「強襲」
皐月は流れる景色の変化を呆然と視界に捉えながら、砲塔に立てかけたMk12に腕を回して身を預ける。
低速静音、隠密性を重視して主力戦車T90は小川を流れる小枝ほどの速度で密かに敵地内へと侵入を果たしていた。
随伴する兵力は白崎からは皐月と修嗣、旭女学院から三名の五人で構成されている。四葉達BTR80の部隊とは違い、こちら側ではT90による攻撃が主体となるので歩兵の役目は索敵と敵の偵察部隊の始末だ。
T90には後方に旭女学院の生徒を三名、前方に皐月と観測手として修嗣を乗せて今も密かに移動を続けている。
「ねえ皐月ちゃん、四葉ちゃんとあの野郎だけであっち大丈夫かな?」
ふと、修嗣が覗いていた双眼鏡を下げ皐月に顔を向ける。
私じゃなくて周囲を見張れ、と言いかけた口を噤んで、皐月は呆れ果てて肩をすくめるとため息を漏らす。
「彼はSランク。四葉も練習の度に強くなってるのが傍から見てても分かるし、ぶっちゃけ修嗣くんより今はもう強いんじゃない? あの子達より私は、私の隣りに今いるのがあなたなのが心配だわ。お願いだから集中して、今度余計なこと言ったら口を縫い合わすわよ」
「ひええ」
戦慄して双眼鏡を構え直す修嗣だが、どうにも信用ならない。先程も羽ばたく鳥を敵と見間違えたくらいだし、そうして彼が何かを見つける度に肝を冷やすのは懲り懲りだ。
皐月は立てかけていたMk12ライフルを右手で握る。と、座ったまま片膝を立て、その上に左腕を置いてライフルの台にし構える。サプレッサーを銃口に取り付けたせいでただでさえ女子高生の体では持て余してしまう全長が更に伸び邪魔くさいことこの上ないが、まだ我慢できる範囲の内だ。これが屋内戦ならとっくに放り投げて愛用のMP7かPx4を握っている。
「あれ? 敵はいないと思うけど」
「いいから黙って双眼鏡覗いてて」
「はい……」
うるさい隣人が発する雑音を無視しつつ皐月はMk12の樹脂製ストックに頬付けし、乗せられたスワロフスキーのライフルスコープを覗く。
円形に拡大された視界を注視しつつ、周囲にも気を配りながら皐月は当てにならない監視を放り索敵を開始。
後方ではBTR2両を投入した部隊がスモークを焚きながら敵の注意を引きつけてくれている。加え、まさか敵もこんな場所まで敵が既に侵入しているとは考えていないだろうことも考慮すれば接敵の機会がまるでないのも頷ける。だが、いないと断言できるだけの保証もない。
ここは防衛側拠点から2キロ地点、制圧目標は小高い丘の頂上に設置されているため、高所からの監視はもちろん当然周辺を守る部隊もいるはず。存在を悟られまいと背の高い木々が連なる小川を通って戦闘エリアぎりぎりの場所から進行中ではあるが、いくら静音走行とはいえ物が戦車だ、完全に音を消すことができるはずもなく、今後の移動はさらに慎重にならざるをえない。
だが、上手くいけば敵主力の大半を削ぐことができるリュドミラのこの案は、成功さえすれば勝利を掴み取ったも同然。乗らない理由はない。
リュドミラの作戦は、まずBTRの部隊が防衛側を引きつけ、その隙にT90と少数の兵を連れた部隊が敵地深くに侵入。BTRの部隊に釣られて出てきた防衛側の主力を背後から強襲するというものだ。
攻撃目標が戦闘エリアの端にさえなければ直接このまま敵拠点後方に回り込むこともできたが、今回の作戦でそれは困難。このまま単身T90で拠点に突っ込む案も出はしたが、学戦は車両に耐久設定があるので対戦車兵器を持ち出されずとも数分重機関銃の弾を浴びただけで撃破判定が出される。闇雲に突っ込んだところで勝率は低い。
だからこそ敵主力を背後から強襲、BTRの部隊とともに挟撃する作戦は妙案だった。
「ん……修嗣くん、そこ。10時、林の向こう側……見える?」
「お? おお……お! ビンゴだ! ありゃあ、いちにい……たくさん! 間違いねぇ主力だぜ!」
構えを解いた皐月は立ち上がる。腰のホルスターからPx4拳銃を抜くと、グリップの底をT90の上部ハッチに数度規則的なリズムで叩きつけた。
程なくして開いたハッチからリュドミラが顔を晒すと、数秒足らずの短いやり取りで敵の位置の報告。すると間もなくT90の鋼鉄の巨体は動きを止め沈黙した。
「敵主力が通り過ぎるまで待機。BTRの部隊が攻撃を開始したら、T90が先行、その後ろに私達が続いて主力部隊後方から襲撃。旭の子達もそれで大丈夫?」
T90の後部装甲に並んだ旭女学院の生徒達が、揃って頷く。見たところ彼女達の装備は全員三十八式歩兵銃。.308口径仕様のレプリカだが、ボルトアクションライフルという原型の機構までが変わるわけではない。当然そうなれば自動小銃との撃ち合いに晒せるはずもなく、彼女達は後方から支援してもらうのが妥当だろうか。つまり、現状前に出れるのは修嗣と皐月だけとなる。
皐月はポーチの中に予め入れておいたACOGタイプのスコープの存在を手で触れて確かめる。Mk12に搭載したスコープのマウントはレバー固定の簡易着脱式。戦闘中いつでも取り替えられるようにポーチの中身を整理し即座に取り出せる位置に配置しておく。
最後の下準備を終え、敵主力部隊の後列がリュドミラのT90が見張るラインを通り過ぎていく。それから程なくして、甲高い銃声が森の静寂を打ち破った。
それを皮切りに皐月達は一斉に戦車から飛び降りると、T90は再びディーゼルエンジンの轟音を響かせ起動する。
46トンの巨体は猛獣のような唸り声を上げて、小川の砂利を踏み砕きながら前進。その圧倒的な存在に敵主力部隊も即座に反応を示した。だが、不意打ち、しかも挟撃とあっては反撃よりも逃げに徹する者が続出し、木々を薙ぎ倒しながら進撃するT90の125mm滑腔砲が戸惑う敵集団を一掃する。
「うわー……さすがに戦車はえぐい。とはいえ働かない訳にはいかないわね。ほら、修嗣くんも動く動く」
修嗣の背中を叩いて、皐月は後方に展開する旭の射線に注意を配りながら茂みに隠れMk12を構える。
闇雲に狙っても意味がない。集団はT90に任せ、皐月は嵐のように人と物がひしめく戦場に目を凝らす。皐月の狙いは対戦車武器や大口径の銃を持った者、あとは狙撃手だ。
すると、ざっと眺めただけでも装甲車両用の兵装を抱えた者がそこそこの数は発見できた。とりわけ前面に対装甲目標用の武装をしている者達が配置されているのは、おそらくBTRと一緒にT90も正面からぶつかって来るだろうとを想定して編成されているからだろう。だが、後方からT90に襲われるのは予想打にしていなかったようだ。
混乱の最中にT90へ目標を切り替えるものもいるが、高速で走行するT90へ有効打を与えられる者は今のところいない。T90は走行中でも高精度の命中率を誇る射撃を出来るだけの性能を有している。だが、その性能を活かし的確な指示で移動と射撃の命令を出しているのはリュドミラで、その指示を完ぺきにこなす赤場生徒の練度、そのどちらもが合わさっているからこそこれだけの成果が出せるのだろう。
負けじと皐月もMk12を構えた。戦車の駆動音と砲撃、この戦場の混乱した様子からしてサプレッサーが無くとも皐月の位置が悟られることはほぼないとは思う。が、念には念を、何より装備を抜き取る時間が惜しい。
まずは戦場の目となる狙撃手。皐月は視界の開けた高台にスコープを向ける。
さすがに防衛側陣地近くとはいえ進行してきた部隊だけあって、狙撃隊を展開しているだけの余裕はなかったらしい。目ぼしい地点で敵影が見られないのを確認すると、リュドミラのT90を狙う大型の武器を背負った者に狙いを絞る。
見る限り装甲目標用の装備をした敵が持っているのは殆どが無誘導の無反動砲。当たればでかいがリュドミラが駆るT90の不規則な動きに翻弄され、今のところ直撃弾は一つもない。
が、至近弾や機関銃、ライフルでの蓄積ダメージも相当に見受けられる程度には表面の装甲に痛々しい傷がつき始めている。本来なら大した傷ではないのだが、学戦においては致命的だ。ゲームでいうところの耐久力の値を削り切られただけで撃破とみなされる以上、たとえ戦車といえど拳銃での一撃すら馬鹿には出来ないのが学戦だ。
「おし、がんばるか」
一人気合を入れながら、皐月はスコープ越しに標的が倒れる姿を眺めた。
「おーやりますなぁ」
双眼鏡片手にスナックバーを齧りながら、少女は呟いた。
帽子に差した白羽根が風に揺れ、いつしかその特徴的な姿にシロというあだ名を付けられた少女は戦場の様子に感心したように何度も頭を上下させる。
「見て見てマニマニ、敵さんなかなかやりおる」
「知ってる。あっちでしれーかんが何千年か前から氷漬けにされてたミイラみてーな顔してるからね」
少女達の直ぐ側では、今回防衛側の指揮を任された雨城学園の生徒が届く報告に顔を青くさせている。これは彼のために救急車を呼んでおいたほうが良さそうだ。
だがそんな指揮官の気もどこ吹く風と、マニと呼ばれた少女はM14に乗せた巨大な暗視スコープの調整を済ませる。
「お? マニマニはなんだかんだでやる気ある感じ? 出ちゃう? 出ちゃいます?」
「んー……どうします? ユー」
二人の視線が、弾薬箱の椅子に腰掛けパソコンの液晶画面を眺める少女へと注がれた。
いつしか聞き耳を立てていた指揮官も、藁にすがる思いの眼差しで少女を見つめる。
その期待に答えたのか、あるいはいつもの彼女らしいただの気まぐれか。パソコンを閉じると少女は星条の制服を風にはためかせながら立ち上がる。
「そうだね……じゃあ、少し動いてみようか」
「おけおけ」
「了解です、ユー」
少女に続くように、二人が並んだ。二人の表情は既に、兵士のそれと変わりない鋭さを帯びている。
ただ一人、先頭に立つ少女のみが笑みを浮かべて。それはさながら、この程度の局面は容易く覆せる事を確信しているような余裕さえ見て取れる。
「じゃあシロは左側、主力部隊を足止め。君なら一人でいけるだろう? マニは右のトンネルの辺りでね」
「一人でとかマジか。まあやるわ」
「ふふん、そうなると思っての暗視装置ですからね。……買ったのを試してみたかっただけとも言う」
言った傍から二人は持ち場に走り姿を消す。残されたのはリーダー格の少女だが、彼女だけは一人立ち尽くしたまま動かないでいた。
「アンタは……戦わないのか?」
怪訝に思った指揮官が聞くと、少女は笑う。
「生憎と今はまだその時じゃないからね。ああそれと、私達は戦場を拮抗させてみせよう。だが、そこから先は君達の戦いだよ」
さも当然のように言い放って、少女は再び鉄の簡易椅子に腰を預けた。
たった二人を戦場に送り出しただけで、戦場の流れが変わると確信しているかのようだ。
そして指揮官でさえ、この少女を前にするとその言葉が嘘ではないのだと、なぜか理由もなくそう思えてしまう何かを感じてしまった。これが、序列13位というエリート校の生徒たる者の力、ということなのだろうか。
「呆けていていいのかい?」
「え、あ……ああ」
狼狽えながらも指揮官は持ち場に戻る。始まるまでは何のためにいるのか分からないとさえ思った少女達。それが今や、神がもたらした希望の光にすら見えてしまった。




