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25話「昨日の敵は」

 春先の心地よい風が頬を撫でる。多少気温も上がってきたからか、桜並木の道には半袖姿で通学する者の姿も見て取れた。

 白崎町。控えめに言っても田舎町としか言いようがないこの半ば廃れた場所は、しかし学戦において未だ無敗を誇る。 

 白崎の双刃。その名の由来を自身で味わった身だからこそ、その無敗記録にも納得がいくというものだ。


 手を握っては開いて、嘘のように消えているあの時の痛みを青葉紫藤は思い出した。

 検査では薬物の反応は見られなかった。医者が言うには、もし紫藤の体験が真実ならば、傷の治療に使うあの青い薬に反応して効果が現れ、薬の作用が発揮されるとともに効果が消失するものなのかもしれないということらしい。

 毒物の類ではなく、青い薬の作用を阻害するわけでもないため学戦において違法ではないのだとも、医者は言っていた。


 人道的にはどうあれ、戦術としては悪くない。いかに策士だろうと、いかに屈強な男だろうと、体を襲う激痛に耐えながら思考を巡らし平静を保ったまま戦える者は稀であろう。

 だからこそ、小さな毒蜘蛛が人間を殺すように。小柄な少女でさえ、紫藤のような者を倒すことができるのだ。

 

 とはいえ、あの細腕で紫藤の拳を受け止めたからくりも、一瞬で姿を消した技もまだ見抜けてはいない。

 あの弾丸がなくとも、もしかしたら勝敗は――


「いや……」


 そこまで考えてから、紫藤は弱気の自分を叱責するように両手で頬を打ち、小鳥が無数に羽ばたく晴空を見上げた。

 今はそれどころではない。一体何がどうしてこうなったのだと、あの学園戦争の裏でどんな取引があったのかは分からないが、とにかくこれはあまりにも――

 そう、だから。紫藤は嘆息した。白崎学園。その校章を視線に映しながら。





 白崎学園戦闘科三年教室。いつもはやれ戦術だの新しい銃だのと、そういった話で盛り上がりを見せるこの場所も、今日だけはある一つの話題でどこも持ちきりだった。

 それは誰もが予期せぬ来訪者で、おそらくは本人すらも予想だにしていなかったのだろう。どこか不服そうな憂いを孕んだ表情で、だが元々の気質がそうさせるのか、押し寄せる人の波にも丁寧に一人ずつ返答を返していた。


 押し寄せる群衆から一歩引いた場所から、二人はその様子を眺める。

 一方は項垂れ、もう一方は楽しげに、さも嘲笑するように笑っていた。


「今どんな気持ちかしら? ねぇ修嗣くん、今どんな気持ち?」

「う、うごごご……」


 ついに修嗣は膝から崩れ落ち、思いがけぬ来訪者との差に嘆く。

 それを横目に蔑むように笑うのは、皐月だ。


「イケメンで身長も高いし服を着ても分かる筋肉質の体。おまけに強い。あらあら大変、修嗣くんの居場所がまた狭くなるわねー」

「くそ、くそお……言い返せねェ……言い返せねぇ自分が憎いぜ」


 とうとう泣き出した修嗣を一瞥して、ようやく本調子とは行かないまでもいくらか回復してきた体に満足しつつ、皐月は自分の教室へと戻った。

 そこでは四葉がじっとランクの刻まれたカードを眺め、命は相変わらず何を考えているのかぼうっと窓の外を眺めていた。


 つい先程、四葉は命からランク昇格を言い渡されたところだ。

 昇格したとはいえまだ低ランク。だが+付きということは彼女の貢献度や実力が更に上のランクに至る寸前、あるいは満たしているという証でもある。彼女は飲み込みも早く、何より努力家だ。いずれは皐月や命と並ぶほどの、あるいは――


「なんて……ね」


 どこまで彼女に期待を寄せるのだと、鼻で笑って皐月は軽く教室の皆に挨拶を交わしてから着席。

 四葉はまだ学園戦争の闇を知らない。このまま真っ直ぐに育ってほしいという気持ちこそあるが、高みを目指すならばいずれはどす黒く渦巻く闇に見えることにもなるだろう。

 その時彼女は折れてしまうのか、それとも抗うのか。


 そのどちらもせず、漠然と日常をただ過ごすだけの自分も、このまま彼女の行く末を見届けることで何か変わることができたのなら――


「あら、なにか悩み事?」

「えあ!? あ、ううん……そういうのじゃないの」


 突然肩を叩かれ、素っ頓狂な声を上げてから皐月は返事を返した。

 さっきまで物思いに耽ていた命が話しかけてきたらしい。

 話しかけられれば笑顔で答え、困っている者がいれば手を差し伸べる。それが彼女。

 なのだが、その彼女自身の心だけは、いつも霧がかかったように見えずにいた。

 

 振られない限り自分のことは話さず、特に過去のことについては触れようともしない。

 かつて白崎は明皇学院という、良くも悪くも多様な意味で有名な学校との戦い、その時多くのものを失った。

 そこで何を思い、命の姉である栞が学園を去ったのかを知る者はいない。それはきっと、妹の命でさえもだろう。


 それが彼女に変化を与えたのか、あるいは元からなのか。とかく命は淡白すぎる。

 人の良さそうな笑顔もどこか貼り付けたようで、あれの中に感情がこもっていないことなど敏い者ならすぐに気づけるはずだ。

 つまり、どこまでいっても本心が見えない。

 今のところそれで不自由がない以上こちらから何を言うこともできないのが現状だが、どこか信用されていないようで寂しさを感じてしまう。

 

 もっとも、隠し事があるのは命に限った話でもないのだが。


「ふふ、あんまりぼんやりもしていられないわよ」

「ッ……それはつまり、またってこと?」


 命は頷く。だが、いつものような深刻さは感じられず、彼女は優しげに笑顔のまま応えた。


「ええ、そうよ。だから、頑張ってね」

「それはもちろ……ん? 頑張って……ね?」

「今回、私は参加しないから」

「ちょ、ええ!? それ本気!?」

「本気、マジ、ガチで、よ」


 学園戦争において、命は白崎陣営の戦力の要。誰に聞いてもそう答えが返ってくるはずだ。

 なにより命は白崎の不敗伝説を作り上げたうちの一人でもあるのだから。そんな彼女が不参加ともなれば、次の学戦での勝利は危うい。


「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫よ。今回は親善試合みたいなものだから」


 にっこりと微笑む命。その言葉に安堵すると同時に、皐月は目を細めると一言。


「命、もしかしてあなためんどくさいから出たくないってだけじゃ……」





 教卓の前に立つと、皆の視線が集中した。次に紫藤が発する言葉を聞き逃すまいと、誰もが口を噤む。皆が立ち上がり、拍手喝采を受けるような言葉を用意などしていないというのにだ。

 そんな紫藤の気を知ってか知らずか、窓際の最後尾、おそらくこの事態を招いた張本人たる銀髪の少女が含みのある笑顔で手を振っている始末。あの様子では、この事態を問い詰めたところでまともな返答が返ってくることはないだろう。


「……此度の学園戦争の件で特例としてここへ編入することになった、青葉紫藤だ。その、よろしく頼む」

 

 一瞬の静寂。だが、


「イケメンマッチョよ!」

「筋肉モリモリマッチョマンのSランク来た! これで勝てるぞ!」


 教室中至る所から沸き上がる歓声。その熱気やまるで有名人を取り巻く群衆のようだ。

 まあ紫藤はSランクなのだから、ある意味有名人という点では間違ってはいないのだが。


「ねぇねぇねぇ筋肉で銃弾受け止めるって本当?」

「なあどうやってSランクになったんだ! 筋肉か!? 筋肉なのか!?」

「いや、そのだな……俺は」


 怒涛の質問の嵐に狼狽しつつも一人一人に返答を返し、だが一向に収集がつかずついに教師が止めに入ったのはそれから二十分後のこと。

 結局その日は放課後まで紫藤を囲む者達が絶えず、しかし戦闘科の生徒が帰路や練習のために教室を出ていったからといって、それで解放されたわけではなかったようだ。

 

「さて、落ち着いたところで学園戦争の話をしたいのだけれど」


 そう切り出したのは、夕焼けに銀の輝きを瞬かせる四月一日命。

 その回りには、おそらく白崎の狙撃手である白髪の少女と、その傍らに寄り添うのは背の小さな栗毛の――検討はつかないがこの場にいる以上重要な立場にいるであろう少女。あと、その後ろには一日中机に突っ伏し泣いていた男が一人。


「皐月にはもう言ってあるのだけれど、今回の学戦、私は出ないからみんなでよろしくね」

「うええ!? みこりん出ないの!?」


 大きく飛んでオーバーなリアクションをしつつ、栗毛の少女が叫んだ。

 みこりんというのは命の愛称だろうか、よほど親しい間柄の者なのだろうと紫藤は一人納得し頷く。


「ええ、そうよ。だってめんど……こほん、私は用事があるから、今回は抜けさせてもらうわ」

「今めんどいって言おうとしたよねみこりん!?」

「練習試合みたいなものだから勝敗とかは特に関係ないし、好きにやってくれてかまわないわ」

「さらっと無視しないで!?」


 冗談を交えつつ、だが命は丁寧に次回の学戦の説明をこなしていく。

 今回の学園戦争は団体戦。いくつかの学校で生徒を選抜し、協力して敵を倒すというものだ。

 参加校は、(あさひ)女学院、赤場(あかば)高校、星条(せいじょう)高校、雨城(うじょう)学園に白崎を含めた五校。

 その中には、紫藤も聞いたことがあるほどの有名校も含まれている。


「星条と赤場はどちらも序列二桁の強豪だぞ」

「そ、だから、私がいない分紫藤君には頑張ってもらわないとね」

「むう……」


 顔をしかめるが、同時に紫藤は湧き上がる感情に拳を握った。

 無敗の白崎に続き、今度は強豪校との対戦。しかも敗北でのリスクがない以上、存分に腕試しができる機会でもある。

 先の戦闘では成し得なかったが、今度こそは。単独で戦場を制する青葉流、その実力を証明するために。

 

「まあ、味方もいるならなんとかなるでしょう。命がいなくてもなんとかしてみせるわ」

「よしきた! みこりんの分も私が頑張っちゃうよ!」


 白崎の連携は紫藤も知っている。自分が彼女たちにどれだけ合わせられるかは分からないが、やれるだけのことはやってみようと心中で決意を固め、そして――


「はいはいはーい! お話もまとまったところで四葉ちゃんに提案がありますです!」

「あら、なに四葉?」

「しどーくんの歓迎会やろう! これから! 今すぐ!」

「ふふ、四葉らしいわね。いいんじゃないかしら」

「いや、俺は……」

「い・い・わ・ね?」


 その時見た命の顔は、断らせはしないと暗に語っていた。それも、戦闘で見せた以上の迫力を伴って。

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