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24話「まずは一歩」

 けたたましく金切り声を上げる蝉たちが木々を飛び回り、さんさんと輝く太陽が肌を焦がす。

 今日は乙女の柔肌を照りつける日差しの悪魔から守る魔法の液体を塗っていないので、そそくさと四葉は日陰に移動した。


 二対、石畳の床を挟むように並んだ犬を象った石造りの門番を木造の長椅子から眺め、白いワンピースの胸元を摘んではぱたぱたと揺らす。

 ふと腕の時計とくたびれた赤い鳥居とを交互に見やり、だが待ち人の気配はなく、額から流れた汗を拭った。その時、


「えい!」

「ぴゃあああああ!?」


 突如首筋にあてがわれた物の冷たさに、急激な温度変化よりも突発的な襲撃そのものに四葉はまるで漫画のようにその場で数センチ飛び上がりながら叫び声を上げた。

 こんなことをしてくる者は一人しかいない。四葉は振り返りながら毛を逆立て憤慨する。


「もー! みこりん!」

「へへっ、隙だらけな四葉が悪いんだよーだ!」


 悪びれた様子もなく、舌を少し出して小悪魔風に笑う銀髪の少女。

 快活な彼女らしく、下はデニムのホットパンツに上は青のノースリーブという実に夏らしい服装でやってきた彼女の両手には、透明なガラス玉の入った瓶のラムネが三本。


 四葉の首に押し付けられたのは、あれで間違いない。

 お決まりの展開と暑さに反論する気も起きず、四葉は無言で手を差し出すと、意図を汲んだ命は手に握ったラムネの一本を手渡す。

 ひんやりとした瓶の冷たさに、四葉は思わず声を漏らした。

 

 今日は特に暑い。体の火照りを癒やそうと、四葉は頬にラムネの瓶を擦り付ける。

 透き通るような冷気が体を一瞬駆け巡り、熱が引いていくのを実感した。そのまま封を開け、飲み口を塞ぐガラス玉を押し込むと、からんと小気味いい音を立ててガラス玉が瓶内へ転がり、逃げ道を見つけたラムネが泡を立てながらしゅわしゅわと飲み口から吹き出す。


「おっとと」


 零れない内に急いで口で塞ぐと、刺激の強すぎず弱すぎずなほんのり甘いラムネが喉を潤し、体の芯から熱が冷めていくのを感じる。

 乾いた砂漠でオアシスを見つけた旅人とは、こんな気持ちなのだろうか。たしかにこれは至高の一時で、ゆえにそれが失われるのが怖い。


「飲むの早!? 炭酸だよ!?」

「ふふ、鍛え方が違うのさみこりん。四葉ちゃんはプロだからね」

「ラムネのプロ!?」

「っふ、これだから素人は」

「ひええ」


 戦慄する命。その後ろでは、いつの間にか高貴な生まれを思わせる佇まいの麗人が――と言うと本人は怒るのだが、浮世離れした彼女の容姿はどう見ても貴族やそれに準ずる者たちのそれだ。そんな絶世の容貌を持つ少女は薄桃色の唇に細い指を一本立てて、片目を瞑っては四葉に何か合図をする。すると、


「ぎゃあああああ!?」

「みこりんはもっと女の子らしい叫び方しようよ……」


 髪も肌も服も、全てが白一色の少女がそっと命の首筋を撫でた。

 常に体温の低い彼女らしい悪戯だ。

 

「お、お姉ちゃん!? 気配消して背後に立つの止めてくれない!?」

「ふふ、隙だらけな命が悪いのよ。それに、やるからにはやり返される覚悟もしておかなくちゃね?」


 言って、白い少女――四月一日栞は小さく笑い声を立てた。その上品な振る舞いに、姉妹でこうも真逆に成長できるものなのかと四葉は今更ながらに頷きながら感心する。

 

 この二人、四月一日命と栞は姉妹だ。明るく元気で、太陽が地上を歩いているかのような命。どこか儚げで、作り物のように完成された容姿と知恵を持ちながらその中身は割りと――否、穴だらけのチーズのようにかなり抜けている栞。

 銀と白の、似ているようで、異なる色を放つ二人の少女。二人は揃うことで足りないものを補完し、ゆえに二つで一つ。だから二人はいつも一緒で、これが欠けることは決して無い。

 もし、どちらかが損なわれることがあったならば、その時は――



「ん……夢、かぁ」


 ぱっと、目を開く。ベッドに横たわる自分に、眠りから覚醒したのだと早朝の冴えない頭でも理解することができた。

 軽い欠伸をして、四葉はぼんやりと外を眺めながら窓際でさえずる小鳥と視線を交えた。

 すると、夢の中で見たかつての思い出に無意識の内に零れた涙を指先で拭う。


「はは、なんで涙……ん」


 ベッドを軋ませ立ち上がると、机に置かれた鏡に顔を写す。

 やや目が赤くなっていることから、眠りながら泣いていたのだろうと推察できた。目を腫らして登校するのはまずいが、この程度なら準備が整う頃には収まっているだろう。

 

 軽く四葉は前髪を手櫛ですくと、ぴょんと頭頂から一本、栗色の毛が元気よく飛び出した。

 それに顔をしかめると、何度も手の平で押さえてはすいて、しかし毎朝の戦闘にも疲弊を見せず徹底抗戦を続ける相手に、四葉の方が折れてしまう。


「むぅ……直らないな、これ。アホ毛アホ毛言われるし……むぅー」


 顔を膨らませて、だが定刻を迎えようとする時間に四葉は部屋を出ると急いで階段を駆け下り顔を洗い、朝食を済ませて学校へと出発する。

 準備を手早く済ませた甲斐あってか、なんとか予鈴前には白崎学園にたどり着くことができた。さすがに時間が時間のため命と合流することこそ叶わなかったが、どうせ教室は同じだ。特に気にするほどでもない。


 そこでついでにと、四葉は鞄の中に放り込んだ紙箱を取り出し、その中身を引き出す。

 大きく富士と、そして9mmと表記されたパッケージの箱。その中には等間隔に小さな穴の空いた樹脂製の容器が収まっている。それを最後まで引き出すと、十個の穴にだけは、金色に輝く円柱形の物体がすっぽりとはまっていた。

 

「あちゃあ……購買に寄ってくかな」


 手持ちの9mm弾はこれで全部。対して相棒のベレッタ93Rの装弾数は二十発。これでは弾倉一つ分も撃てやしない。

 四葉は日に四百発以上は使用する。少しでも命や皐月に近づきたいという一心から練習に励んではいるが、その成果が発揮できた試しは今のところ無いのが現状だ。


「うぅ、足りるかなぁ……確か毎月限度額みたいなのあるんだよね、これ」


 ひらひらと表裏をしきりに眺めながら、虚しく表面に描かれたFの文字に四葉は大きく肩を落とした。

 質より量だと安めの弾薬を購入してはいるが、それでもあれだけ大量に、且つ低ランクで少ない限度額の四葉の懐ではすぐに底が見えてくる。


 しかし嘆いていても始まらないと、四葉は教室に行く途中で購買に立ち寄ることに決めた。

 一般科時代からよくここで昼食を購入していたので面識もあり、そのせいかよくサービスしてもらうこともあって懐の寒い四葉にはそれがとてもありがたかった。

 

「おばちゃんいつものー!」

「はいよ、富士の9mm100発入りが四箱ね」

「あいさ、支払いはカードで……なんて言うとセレブになった気分だけど、実のところそろそろ上限額な気がして怖い私ですよぅ」

「足りなくなったら来月にでもまとめて……ありゃ?」


 と、購買のおばちゃんが四葉のカードをいつも通り読み取り機にかざすが、何かあったのか首を傾げている。

 やはり上限かと四葉はため息を付き、鞄から財布を取り出すが。


「あ、そうかちょっと待ってね四葉ちゃん」

「うにゃ? 上限越して……るんだよね?」

「いんや、それなら足りないと表示されるからねぇ。これはカードが無効になってるから……なるほどなるほど、四葉ちゃん。今回の料金は次に回しておくからねぇ、教室に行ってみなさい」

「え? う、うん……うん?」


 首を傾げつつ、言う通りに四葉は教室へ。

 そこでは修嗣や、まだ怠いのか机に突っ伏した皐月に他の生徒達が。だが一番目立つ色を放つ彼女の姿がない。


「ねぇ、座らないの?」

「ぴゃあああああ!?」


 突然背後から掛けられた声。

 あまりの不意打ちに天井まで飛んで行く勢いで飛び上がり、振り返ってそれが探していた人物だと分かると四葉は地団駄を踏んで怒りを表した。


「もー! びっくりするじゃんみこりん!」

「ふふ、ごめんなさいね。でも、入り口塞いでるあなたも悪いのよ?」

「むううう!」


 唸る四葉を軽くあしらって、命は絵に描いたお嬢様のような無駄のない動作で机の上に鞄を置いた。

 何か一つするごとに周囲にきらきらと謎の輝きが舞っているような、そんな光景が四葉の脳内で再生される。今の命はそんな感じのキャラだ。そういうのは姉の方の専売特許だったはずなのだが。


 ――始めこそまるで栞さながらの振る舞いに動揺したのは事実。だが一対の彼女たちだからこそ、その片側が失われたことへの想いは四葉の計り知れるところではないのだろう。

 だから、何がどう変わっていても不思議ではないのだ。

 ゆえに四葉も深く踏み込んだ会話をしたことが無く、これからも向こうから何かを言ってくるまではこちらから口を開くこともないだろう。


「ああ、そうそう。四葉に渡す物があるの」

「んにゃ?」

「はいこれ、おめでとう」


 不意に差し出されたのは、手帳のようなもの。どこか見覚えがあると頭を捻る必要もなく、これは戦闘科に配布されるランクを示すカードを収納するための手帳だ。

 

「私に? でももう持ってるよ?」

「ええ、それは……そうね、記念に持っておいてもいいし、捨ててもいいし。とにかく、中を開いてみて」


 言われるままに、命から差し出された手帳を開く。そこには確かに四葉の名が刻まれたカードがあり、記載された内容は――


「え……ランクが」

「ええ、昇格おめでとう。今日からあなたはD+ランクよ」

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