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22話「私が白崎の双刃と呼ばれる理由2」

 きっとこれは、今まで幾多もの学園戦争をくぐり抜けてきた紫藤だからこそ気づくことができたのだろう。

 戦場には場の流れを伝える空気がある。幸運を呼ぶ清涼なもの、不吉を呼ぶ淀んだもの。それを感じることで先を読み、危機を予知し戦闘を優位な方向へ運ぶことすら可能になる。

 気のせいだとか、非現実的な事だと笑う者もいる。だが、戦場を長く渡り歩けばそれは確かに存在するものだと気づくことが出来るはずだ。

 そう、だから今は――


「嫌な風だ……」


 呟く紫藤の視線の先。ヘルメットのバイザー越しに見える景色、その中心には、絵画に描かれた女神のように銀色の光を放つ少女。

 どこか虚ろで、空虚。だがその実力だけは、名声に違わぬものなのであろう。

 得てして派手に着飾らず、非力に見える者ほどその内に秘める力は強いものだ。


 驕らず侮らず、だから紫藤は目の前の敵を敵として認識し、ついに両手を構えた。

 紫藤の拳にはめられたのは、革製のグローブのみ。それ以外に紫藤の武器といえば、腰に下げた銃くらいなもの。

 しかしそれがこそが、幾多もの戦場をくぐり抜けてきた青葉紫藤の全てなのだ。


 互いに見つめ合い、次の一手を先んじて繰り出すかあるいは打たせるか。読み合いの果てに、先に動いたのは命の方だった。

 傍らに立てかけられたモップを足に掛け、ボールを蹴り上げるように紫藤へと蹴り飛ばす。重心が片側に寄ったモップは不規則な回転を描きつつ紫藤へと迫る。 

 それを右腕を払うだけで打ち落とすと、木製の柄が叩き折れて地面を転がった。


 その時紫藤は気づく。腕を振る一瞬。一秒にも満たないその刹那の間に、目の前にいた少女が消えている。

 注意深く、しかし隙を見せないようにヘルメットを装着した限られた視界の中で目を凝らし、だが気配すらも周辺から消え失せていることに紫藤は心中で驚愕していた。


「まるで幽霊だな」


 ぽつりと呟いた言葉に、通路の何処かから反響して薄く笑い声が響く。

 その声は紛れもない命のものだ。逃げたということはないと思っていたが、人外じみた能力に紫藤は一層気を引き締め拳を強く握る。

 もしかしたら、と、ふとした疑問が脳裏をよぎり、だが今は戦闘に集中しろと隠れる場所の少ないはずの通路を前後左右くまなく探してみせる。


 同じSランクといえど、その中でも力量の差は決して小さなものではない。そもそも戦闘での力とは、敵を倒すことだけではないのだ。

 勝利を確実にもたらす指揮を取る者、一発で敵の戦力を大幅に削ぎ落とす兵器の操縦に長ける者、単純に個人の実力が他と一線を画する程に秀でている者。

 そうした何かしらの才を持つ者が、Sランクという特別な称号を与えられる。


 ――だが、Sランクが最高位の証ではない。そう、噂される話もある。

 都市伝説レベルの話でしかないと、紫藤も最初は半信半疑で聞いていた存在。

 SSランク。存在が秘匿され、普段は仮のランクで偽っているため確かめる術はない。世界に百人ほどしかいないとされ、それを知るのは学園戦争を統括する政府の人間と、本人達だけ。

 

 いや、これはこれまで拳を交わした者には見られなかった奇妙な感覚に、少し戸惑っているだけなのだ、と。

 紫藤は首を振ると大きく息を吸い込んでから吐き出した。


 今も紫藤の隙を狙っているはずの少女の動きを確実に捉えるには、先にその気配を読み取る必要がある。

 相手は人間。宙に浮くわけでも姿を消せるわけでもない。どこかに隠れ、気配を消しているだけ。動けば必ずその姿を晒すはず。


 瞬間、紫藤は振り返りながら体を捻り、左の腕を振るった。

 しかし、紫藤の拳は空を切る。

 嫌な予感がしてそのまま後ろに飛び退くと、次いで発砲音が一つ――否、一瞬遅れてもう一発の軽い銃声が聞こえた。


 一つは紫藤の右腕を、もう一つは左足の腿を掠めた22口径の銃弾。

 弾はレザースーツに浅く刃物で切りつけたような跡を残しただけに終わったが、ここで不可思議な自体に紫藤はいち早く気づくと一旦壁を背にしながら左右通路にくまなく視線を這わせた。

 だが、少女の姿はない。発砲音も、この空間全体に響き渡っているかのようにいたるところに反響し場所を特定することはできなかった。


 腕と足、その二つを傷つけた銃弾はまるで前後から撃たれたように紫藤の正面と背面側に刻まれている。

 だが敵は一人のはずだ。誰かが援護している様子もない。

 背筋に感じる寒気。だが同時に紫藤は冷たく冷え切った心の内に、わずかだが闘志が宿るのを感じた。

 視線を下ろし、刃で作られた切り傷のようにも見える二つの弾丸の跡を見。


「白崎の双刃……か。言い得て妙だな」


 呟いて、周囲を警戒しながらボタンのある部屋へと入る。

 閉鎖された空間なら、姿を消すのも難しいはず。そう考えての行動だったが、部屋に入ってからも命が姿を現す気配はない。

 しかし確実にいる。紫藤は直感で理解して、今度は目を瞑ると視覚を封じた残りの五感で命を気取ろうと拳を構える。


 数秒の時の流れが数分間にも及ぶように感じられ、しかし部屋の空気が揺れ、何か大きなものが動くのを知らせる。


「そこか!」

「ッ!?」


 空を裂き弾丸のように振るわれた右の拳が硬質の感触を捉える。

 それは決して人間の体から生じるものではなかったが、明らかな手応えに紫藤は量の目を開くと続けざまに左でもう一撃。

 

 だが命は一発目を銃のフレームで受け止め、続く二発目は後ろに倒れ込みながら紫藤の左腕を蹴り上げて軌道を逸らし、地面に手を付きながら一回転して距離を取った。

 姿の見えぬ銀の亡霊はここに姿を現した。だがその顔色は開始時と同様で、汗一つかいていない。


「いいわね、ちゃんと反応してくれる人が相手だと楽しいわ」

「っふ……楽しい、か」


 だが紫藤の心中は穏やかではない。

 二発目は利き手ではなく、なおかつ打ち上げる形で蹴られたので軌道を逸らされたのは納得がいく。だが一発目の右腕での一撃は体重を乗せたもので、それを少女の膂力で受け止められた事実に紫藤は驚愕を隠せなかった。


 自惚れではないが、紫藤は同年代の男性としては平均以上の筋力を有していると自負している。

 それを少女が、まして片腕で受け止めるなどと、冗談だとしか思えない。 

 揺らぐ紫藤を他所に、再び笑みを張り付かせたまま命は銃を構えた。

 

 後手に回っては駄目だ。紫藤は瞬時に判断すると、命が動くより先に一歩踏み込んでから渾身の力を込めて腕を突き出した。

 それを横に飛んで回避した命。床を蹴り、宙に浮いたその一瞬。そこを突いて続けざまに紫藤は僅かに体勢を変え、回し蹴りを放つ。

 が、大木をへし折るかのような勢いで放たれた紫藤の足は虚空を切る。


「馬鹿な……」


 思わず漏れた呟きに、はっと我に返りながら紫藤は周囲を見渡した。

 命が回避の動作をして、紫藤の視界から外れたのはほんの一瞬。刹那の間に姿を消せる人間。そんなものが存在するのだろうかと。

 だが事を訝しむより、命への対処が先だ。

 紫藤が振るう拳は一撃必殺でも、それが届かなければ意味がない。

 

 姿の見えぬ悪魔。しかし必ずこの場所にいるのだと、張り詰めた空気がそれを教えてくれた。

 構えを解かず、再び紫藤は目を瞑った。息を殺し、耳を澄ませ、僅かな音と空気の振動を読み取る。


「――ッ!」

「っと、今のは危なかったわ」


 完全に気配を捉えた一撃。だがそれは命の鼻先を掠めるだけに終わり、すれ違いざまに二発の銃声。

 腕をクロスさせ紫藤は体の正面を防御する姿勢を取る――が、紫藤の体を襲った衝撃は背中から腹部へと抜けていった。


 僅かだが血が床に飛び散り、紫藤は反射で腹部に手を当てる。

 レザースーツは薄い刃をバターに添わせたように裂け、それが守っていた紫藤の体も少しだが抉られていた。

 だが所詮は小口径弾。問題ないと紫藤が一歩を踏み出す。

 と、ずきりと傷口が痛んだ。


「ぐ……なんだ?」


 片膝をつきそうになるところを必死に堪え、滲む汗を拭うため思わず伸ばした指先はヘルメットに触れるだけ。

 そうしている間にも痛みは重く、体中に染み渡るように広がり、毒のように紫藤の体を蝕んでいく。

 更には次第に増していく痛みに思考が弾かれ、五感までもが鈍ってくる。

 これでは、たった一刺しで巨大なをも打ち倒す毒虫だ。


 学戦では予め試合前に装備の検査が入るので命に関わるような違法な物は持ち込めない。となると本当の毒ではないのだろうが、何かしら手の込んだ物を弾丸に仕込んでいるのは明白。


「……人は見かけによらんな」

「ふふ、どういう意味かしら……あら? 案外イケメンなのね」


 荒くなる息に少しでも酸素を求め、紫藤はヘルメットを脱ぎ捨てその顔を晒した。

 無邪気な子供のように笑う命に脱力しながらも、紫藤は大きく息を吸い込むと激痛に遮られた思考を払拭するように首を振る。


「まだだ。この程度で終わると思うなよ」

「……あはっ」


 構えを取った紫藤に、さすがだと銃を握ったまま命は手を打った。

 彼女の目的は戦闘の終結ではなく戦闘そのものだ。ならばそれに答えてやるのが、礼儀というもの。

 傷そのものは小さく、治癒の薬が作用するほどではない。紫藤もまだ戦える。どれだけ劣勢になろうとも、最後まで戦い抜く。それもまた、青葉流の教えの一つ。

 ならば紫藤のやることは一つしかない。


 そしてお互いに一歩を踏み出して――白崎の勝利を告げる鐘の音が鳴ったのは、それから二十分ほど後のことだった。

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