19話「必中の弾丸」
『こちらD班! 敵の狙撃で一名損失! スナイパーです!』
皐月と四葉が寝そべる茂み、二人の間にひっそりと置かれた無線機から雑音混じりに叫び声が聞こえた。
僅かに上半身だけを動かして、皐月は姿勢を変え双眼鏡で連絡のあった方角に視線を這わせる。高倍率に設定された双眼鏡のレンズ越しに、白崎の生徒たちが慌てふためき茂みに隠れる様が確認できた。
彼女たちには悪いが、と皐月は生徒達を一瞥。さらに倍率を調整して地面に穿たれた弾痕を探し、抉れたコンクリートの形状から即座に入射角を割り出す。
やはり狙撃手の位置は、皐月が予想していた通り集会場周辺のようだ。ただし、
「本物かどうか……か」
「ほえ?」
戦場の空気にそぐわぬ、脱力するほど可愛らしい声。
思わずくすりと音を立てて、皐月は笑う。
隣で周囲を警戒している――つもりの四葉。動きはぎこちなく、実力としては命に遠く及ばない相棒だが、この子はそれ以上の物を持っているような気がして。何故か皐月は今回も随伴を許してしまった。
頼りなさそうで、だがどこか人を安心させるユーモアに富んだ、中学生でも通りそうな小柄な少女。自分でも理解しきってはいないが、きっと皐月が四葉に求めているものは、実力だとか、技術だとか、そういうものではないのだろう。
そんな彼女の背を這う虫を摘んで外に放ると、彼女は怪訝な顔をして背中を擦る。よほど集中していたのだろうか、あるいは虫の隠密性を褒めるべきか、とにかくおぞましくうごめく無数の足を見て叫ばれるのだけは回避できたようで、皐月はほっと胸を撫で下ろした。
場所が場所だから仕方ないとはいえ、山奥だからだろうかとにかく虫が多い。虫ならまだしも、舌を出しながらにょろにょろと這ってくる輩が近くにいそうな気もするし、早く済ませて汚れた体を熱いシャワーで洗い流したいところだ。
しかしそれは、役目を果たしてから。
この場に陣を取り、約一時間が経過しようとしている。やっと敵の狙撃手が動きを見せたが、あれが本物であるかどうかの保証はない。
現在皐月達は膝ほどの高さの茂みに身を伏せ、テントのように偽装網を張り、二人肩を並べるようにして四葉は周辺の監視、皐月は伏射の体制でライフルを傍らに双眼鏡を使用しながら索敵を続けていた。
『中央戦闘が激しすぎて進めません! 狙撃もされてます!』
無線機から、先程とは違う声音。声の背後に聞こえる銃声と着弾音からかなり近い距離で交戦しているのが伺える。そして、狙撃されている、とも。
裏手から攻める班への狙撃はまだ続いている。つまり、これで狙撃手が二人以上この場に存在することになる。
だが相手のエースは一人だけ。複数の狙撃手は本命を隠すための囮でしかないはずだ。
中央付近への狙撃も集会場周辺から。他の場所で聞こえる銃声も、小銃の音に混じり時折異質な音を奏でるものが響くが位置までは特定できない。
「同じ銃を使ってるのか、ふむ……厄介な」
「むむむ……さっちん、私達は撃たなくていいの?」
「ええ、私は一発撃つのが役目だから」
一度撃てば位置を特定されるのはこちらだ。長距離狙撃の友として皐月が使うこの銃は特にひどく、一度撃てば嵐のように落ち葉を散らし、森を揺らす。
一発必中。それで狙撃手を倒せなければ、白崎は終わる。
いくら優秀な兵士だろうと、路上に埋められた爆弾を踏んでしまえばそれまでなのと同じ。
白崎に命がいても、見えぬ狙撃手からの不意打ちから逃れる事はできるはずもない。
「集会場一階に一人……違う。建物の影のは……あれも違う」
皐月が獲物を捉えられない間も戦闘は続く。その焦りが集中を乱すのだ。
だが皐月は冷静に、目を伏せ息を吐いた。
標的を探し、見つけ、撃つ。それが皐月に与えられた役目。今の自分はただそれだけをこなす機械なのだと言い聞かせ。
再び目を開き、双眼鏡の円形の視界、そこに映る全ての情報を読み取って整理する。
窓からこれ見よがしに発砲炎を見せつけているものは違う。見通しも悪く反撃を受けやすい建物の下層に陣取るはずもない。
「いた……」
集会場二階、皐月から見て右端の小さな窓。白いカーテンが薄暗い部屋の中を隠していた。
だが一瞬、巻き起こった一陣の風が鉄壁の隠れ蓑を剥がし、太陽の光がその奥に潜む者を暴いたのだ。
既に狙撃手はカーテンの内側に。だが位置さえわかれば、経験と相棒の性能で対応できる。あとは、標的があの位置から動かないことを願うばかりだ。
初めから手順を入力されていた機械のようにスムーズな動作で、皐月は双眼鏡からライフルに持ち替えた。
リューポルド製25倍率スコープによって拡大された世界、そこに刻まれた十字線を標的の位置へと重ねる。
距離と風、その他あらゆる狙撃に必要な情報全てを瞬時に計算し、スコープを調整しながら遊底を操作して弾倉に収まっていた12.7mm弾を薬室へと装填。使用する弾薬はある人物に特注でこの銃に合わせ作らせた、合金を削り出した弾頭を持つ専用の弾。世界に一つだけの、皐月のために用意された超高精度の狙撃用弾薬。
遊底の動きに合わせてバレットM95対物狙撃銃に被せた偽装網が揺れる。だがその程度では、粗末な人の目では風に揺らぐ草木にしか見えないだろう。
人のシルエットは森の中では非常に目立ちやすい。それを自然の内に隠すのは、決して容易いことではない。
だから道具を使い、人は森の獣達のように自然の色に染まり、一体となることで身を潜める。獰猛な肉食獣がそうするように、自然を味方につけるのだ。
だがそれは所詮仮初めのもので、一度動けば皐月達は人としての姿を露わにしてしまうだろう。
だから、一度きり。一撃で仕留めねばならない。
長年付き合った相棒と、それに装填されるのは狂いなく狙った場所を確実に穿つ高精度の弾丸。これだけの条件が揃っているならば、あとはトリガーを引くだけ。
安全装置を外し、息を止め、自分がM95と繋がったことを理解する。この瞬間、この銃と皐月とが一種の狙撃装置と化するのだ。
感情もなく、スコープの十字線に捉えた標的に狙いを定め、トリガーを引いて弾丸を撃ち込む装置。
その役目を全うするために。皐月は指先を僅かに動かした。
瞬間、大型のマズルブレーキから吹き出した燃焼ガスが周囲の雑草を薙ぎ倒し、次いで銃声よりも酷く甲高い四葉の悲鳴が皐月の鼓膜を揺さぶった。
耳鳴りの煩わしさを追いやって、皐月は片手で頭を押さえながら双眼鏡を手に取る。
残る皐月の役目は着弾の確認。それを仲間に伝えねばと着弾点に双眼鏡を向け、倒れている人影を視界に捉える。と、皐月は脱力したように顔を伏せた。湿った土が頬に張り付いて気持ち悪い。だが、
「成功……ね」
「あ、わわ……た、大砲ならそう言って……あばばば耳鳴りが」
対物ライフルの発砲音を砲声と勘違いした四葉が両耳を押さえ地面を転がりながら悶ていた。
もう役目は果たしたも同然。成功を祝ってか、遠方からはポンと気の抜けるような祝砲の音まで響いて――否、この戦場でそんな馬鹿なことをするものがいるはずがない。
「あ……」
先の音の正体を瞬時に理解した皐月は四葉を抱き寄せ、自身の頭を守るように腕を回す。
たかが一発。されどあれだけのものを放っておいて、強豪校たる翔閃がそれを見逃すはずもなく。
ふと見上げた空。皐月は風を切り降ってくる迫撃砲弾の黒い鉄の体を見た。




