18話「笑う狙撃手」
「……ん」
ぽたりとシューティンググラスに垂れた一滴。
天井を見上げると、白い天井の一部が灰色に滲み、雨水が侵食を始めていた。
築数十年は経っているのだろうし、何より内装を見る限りでも手のつけられていなさそうな建物だ、どこが壊れても不思議ではない。
速水雪菜は視界にこびり付いた水滴を拭い、寄りかかった壁から背を離すと制服のポケットから一枚の板ガムを取り出した。
包装紙を床に放り捨て、ガムを口に投げ込みながら窓の外を双眼鏡で覗き見る。
雪菜のいる集会場から800メートルほど先、点在する家屋と資材で十分な視界は確保できないが、数度響いた轟音から察するに中央で張っていたLAV辺りがやられたのだろうか。
「あちゃー相手さんM72でも持ってたかな。まあどんまいってことで」
味方の被害に心のこもっていない言葉を投げつつ、雪菜は体を捻り集会場から見て村の右側の農道に視線を凝らした。
翔閃学園の拠点であるこの集会場に至るルートは四つ。左右と中央の通り、それと山に沿うように走る裏道が一本。互いに不慣れな土地だ、そうそう裏をかくような策を練る事もできないだろうし、おそらくこのいずれかのルート、あるいは全てを使い集会場に攻め入る手はずなのだろう。
幸いこの集会場からなら全てのルートを完全にとはいえずとも監視することが可能で、射界もそれなりに開けている。あとは、敵が顔を出した瞬間引き金を引く。それが雪菜の仕事だ。
「ほいじゃまあそろそろ雪菜さんも準備しましょうかね~」
鼻歌交じりにライフルケースを開き、中から狙撃銃を取り出した。暗く光る金属と静かで落ち着いた木目が漂わせるのは、ただの武器ではなく一種の芸術品のような美しさと力。
丁寧に磨き上げられ、だが幾多もの戦場をくぐり抜けてきたことを伺わせる傷がいくつも刻まれている、雪菜の相棒。
雪菜は銃を抱え、更に一つ上の階へと上がる。
目指す先は、偶然待機時間中に見つけた四畳半ほどの小さな休憩室。
事前に雪菜は部屋に机を幾つか運び込み、人一人が寝転がれるスペースを確保できるように並べ上にクッションとして布団を敷いている。机と窓の高さはほぼ同じ。部屋の配置も絶妙で、ここからなら集会場への全ルートを警戒できる。
狙撃位置を確保することは、狙撃手にとって必要な技能の一つ。
確実に狙撃を成功させるための条件が揃った場所を見つけ、必要最低限の道具を使い狙いを定め、誰にも悟られずに引き金を引く。狙撃手とはそういうものだ。
雪菜は部屋に入ると床に投げてあったリュックを机の上に放り、自らもうつ伏せの状態で上に乗る。
確認は事前にしているが、再度体を揺すり机がぐらつかないかなどを確認して、リュックを台にするようにして抱えていたライフルを置いた。
雪菜の役目は敵狙撃手の撃破。しかし仲間の援護も役割の一つであり、必要に応じて牽制くらいはしておいた方がいいだろう。
この位置を捨てることも考慮し数発分はポケットに忍ばせ、雪菜は机の上に7.62x54mmR弾が詰められた弾倉を重ねて置いた。狙撃銃――ツァスタバM91に乗せられたアメリカ製10倍率スコープを覗き、不備がないことを確認すると双眼鏡に持ち替え中央ルートの敵の動きを注意深く観察する。
見たところ敵は三名ほどしか姿が見えない。だがそれが全てではない、そう考えて思考を巡らさねばいつかは足を掬われる。
雪菜は冷静に状況を判断し、中央は翔閃生徒と撃ち合い膠着状態が続き動きがないのを認めると他ルートの索敵に移る。左右は数分後にどちらも撃ち合いを始める頃だろうが、あちら側には翔閃の生徒も多数動員しているのでそうそう破られることはないだろう。
問題は裏ルートだ。山沿いの道は遮蔽物が少ないため見晴らしがよく、敵の狙撃を恐れ翔閃の生徒はあちらには少人数のみを集会場裏手側に配置しているだけで、守りが薄い。
山側の雑木林に入りさえすれば目立つことなくここまでたどり着けるだろうが、あんな何が潜んでいるかわからない場所を進んでやって来る特殊部隊さながらの度胸と技能を持つ生徒がいるとも考えにくい。
「お、はっけーん。つかふつーに歩いてくるのね、ウケる」
双眼鏡のレンズ越しに、ライフルを構えて裏道のルートを前進する生徒が五人ほど。間違えようもない、白崎の生徒だ。
一応隠れているつもりなのだろうか舗装された道路で姿勢を低くし、だが屈みながら移動しているせいで速度は遅い。
案の定、雑木林に入る気はないようだ。だが気持ちは雪菜もよく分かる。現代に生きる女子高生に雨上がりの湿った雑木林は辛い。
しかし、雪菜からは完全に見えているという絶好の位置にいることに変わりはない。ここであえて見逃して裏手側を守る翔閃の生徒に正面切って相手してもらってもいいが、撃ち合いはリスクが高すぎる。ならば、することは一つだ。
M91のコッキングレバーを引き、初弾を薬室に装填。
距離は約750メートル。双眼鏡からライフルに持ち替え、スコープを覗いて先頭を歩く少女より少し上の辺りに十字線の中心を合わせた。
歩く少女の速度に合わせ照準を微調整し、息を半分ほど吐いて止める。
完全に静止した世界で、雪菜の指先が僅かに曲がり、次の瞬間7.62mmの弾丸を吐き出した銃口が発砲炎に覆われた。
一瞬歪んだ視界が鮮明になると、レンズ越しに崩れ落ちる少女の姿が映り込む。着弾点は腹部の辺り。だいたい狙い通りだ。
「お! 一発とかやるじゃん私」
笑いながら、今度は少女達の周り、もしかしたら当たるかもしれないという位置を保ちつつ弾を散らばらせるようにトリガーを引いた。セミオート式のM91は数秒の内に引き金を引いた分の弾丸を全て750メートル先の路上に送り込み、沈黙する。
予想通り白崎の生徒は茂みに隠れ、移動を止めた。
全滅はさせない。すべて倒せば、次は対策を練り、対抗するための戦術や装備を持った部隊が送り込まれてくる。
たった数発の弾丸。それだけの消耗で敵の恐怖を煽り、進行を阻害する。こうして味方の損耗を最小限にしつつ、敵の策を潰していくのだ。
「さぁて、あっちはもう大丈夫っぽいし~そろそろ勝負しましょっか、白崎のスナイパーさん」
中央は相変わらず膠着、左右のルートでも戦闘が始まり、先程までの静寂が嘘のように銃声轟き、宮田村はまさに今この瞬間戦場と化した。
大小様々な音色を奏でる銃の音が気持ちを昂ぶらせる。雪菜は唇を舐めて、姿見えぬ敵を求め戦場に目を凝らした。
どちらが上か、一発の銃弾で勝敗は決することだろう。その瞬間を待ちわびて、高鳴る鼓動を胸に秘めながら。
雪菜は新たな弾倉をその手に掴み取った。




