14話「信頼と影」
命の家から白崎学園へは、一面緑に覆われた農道を通り、一つ丘を超え商店街を抜けるのが一番早い。ただしそれは移動に要する体力の消耗を考えないでのことだが、整地されていない道や起伏の激しい場所を歩くのは、ちょうど朝の呆けた体を叩き起こすのにも適している。こと戦闘科の命なら、むしろその方が好都合なのだ。
これでもう少し眺めがいのある景色が広がってくれれば文句も出ないのだが、生憎と田圃道は殺風景な緑一色が広がり、丘は地を這う虫や舞い落ちる枯れ葉が命の気を散らす。それさえなんとかなれば、早朝の気分も梅雨明けの空のように晴れやかになるのだが。
丘を下り、商店街に出ると命は背筋に走る悪寒に足元を見やる。スクールローファーからソックスへと這い上がってきた芋虫を足を振って払い除け、これ以上敵を引き連れてはいないかと命は一度その場で回りながら体中に視線を這わせた。
つま先からジャケットの内側まで入念にチェックし、気配がないのを確認したところで腕時計に目を配る。
予定の時間よりも早い。どうしても丘では足早になってしまうため、いつもこうなのだ。
「おっとと、間に合った。みこりんおはよー、最近早いねー」
聞き慣れた子犬のような声音。振り向かずとも誰かは知れている。
命はわずかに口の端を綻ばせ、制服を整えながら声の方向とは逆の、学園の方へと歩きだす。
それに四葉が抗議の声をあげることはなく、自然に肩を並べるようにして、四葉が命の隣へ。四葉と命がこうして肩を並べ共に登校するのも、いつもの日常だ。
「おはよう、四葉。寝癖、立ってるわよ」
「おおう! 本当だ! 凄いみこりんどうして分かったの!?」
顔を前に向けたまま言う命に四葉が驚き、その反応を見て命が笑う。それが今日の登校風景。
その後も取り留めのない会話を交わし、校門をくぐると命達は戦闘科専用の教室棟へ。四葉はまだ一般科だった頃の癖が抜けないのか、無意識の内に一般教室の方へと歩を進めてしまう時がある。今日も命がいなければ、あやうくあちらに入っていたところだ。
戦闘科の教室棟では、併設された屋外射撃場の方から早速銃声が響き、命達を追い越し走る者達は購買に練習用の弾を買い漁り行く最中のようだ。
どれもこれもが、以前と何も変わらない。
ただ一つ、この二人の間に入るはずの彼女を除いては。
「今日は、教室の前に校長室に行きましょう」
一言命が言うと、四葉はその場で足を止めた。命が振り返り首を傾げると、俯く四葉。
命のことをよく知っている彼女だからこそ、一から十を言わずとも雰囲気で何を言うかを察しているのだろう。
「……また?」
「ええ」
四葉はそっか、と呟いて口を閉じる。それから校長室に行くまで無言を貫いていたが、しきりに手を開いては閉じたり懐の銃にジャケットの上から触れたりと、所作だけ見れば悪い方向に考えているわけではなさそうだ。と、判断した上で命も彼女に声をかけることは止め、彼女自身に気持ちの整理を委ねることにした。
そうして早朝の物静かな廊下を進み、校長室の前まで来ると、そこで白い輝きに一瞬命の目がくらむ。
校長室の入口横、そこで壁に背を預ける少女。開放された窓から吹き込んだ暖かい風が彼女の左右非対称の髪を揺らしている。白い光は、彼女の特徴的な白髪が陽の光に照らされてのものだった。
彼女は目を伏せ腕を組み像のように静寂の中で佇む。だが近づく気配に気づくと、宝石のように煌めく双眸を向けた。
「ああ、命。おはよう」
「私もいるよー! おはっよーさっちん!」
手を振りながら駆け出す四葉に倣い、命も軽く手を上げて皐月の呼びかけに応える。
冷たい雪原のような少女は一瞬で花咲き乱れる庭園のように明るい微笑みを返し、白雪のような髪を揺らしながら校長室のドアをノックする。確か修嗣も呼ばれていたはずだがと命は一瞬頭に浮かべてから、まあいいかと皐月の行為に口を噤んだ。
「あれ? しゅーじ君は?」
「あいつはその……いてもいなくても変わらないし」
肩を並べて聞いてくる四葉に皐月はしれっと言い放ち、二人は先に校長室へと入っていった。
後を追うように命も部屋の中へ入ると、早速四葉が奥の方で何かごそごそと作業を始める。
戦闘科に入り、そしてあの戦いを耐え抜いた者として校長も彼女の力を認めたようで、四葉もそれなりにここへ呼ばれる機会も多くなり、今ではすっかり校長とも仲良くなっているようだ。これは四葉だからこそできる芸当なのかもしれないが、おかげで今や校長室は四葉の第二の自宅である。
「はいみこりん! さっちんも!」
手渡されたマグカップには、顔が反射するほど漆黒に染まったコーヒーが湯気を立てていた。
「あ、えっと……」
「大丈夫だよ、いつも飲んでたのでしょ? ちゃんとミルクもお砂糖も入れてないから! みこりんすごいよねー、私は苦いからブラック飲めないや」
「大丈夫、よ。四葉もそのうち飲めるようになるわ」
命の好みを四葉はしっかりと覚えていてくれたようで、微笑みながら命は湯気立ちのぼるカップに息を吹き込み始める。
そうして四葉がコーヒーを全員に配り終える頃には、命達が囲むテーブルに資料が一枚。
「翔閃学園……序列234位、Sランク及びAAランクを各一名ずつ保有し生徒の練度も皆平均以上。いきなり大物ね」
「わっ!? 凄いねもしかしてそういうの全部記憶してるの?」
隣でまじまじと資料を見つめていた皐月が驚いて目を丸くする。彼女は見かけに反して身振りや表現が大げさすぎる時がある。
というより、彼女は見かけだけで取っ付きづらい人と思われ距離を置かれるが、実際は話しやすいだとかそういう類の人種なのだろう。
それが、ここ数日皐月とともに過ごした命なりの彼女の評価だ。
「たまたまよ。それよりも、次の相手が翔閃なら少し手こずりそうね。頼りにしているわよ、皐月」
「あ……うん、ありがと。大丈夫よ、任せて」
皐月と互いに意思を確かめあってから、命は一度カップに軽く息を吹き込み、目を輝かせながら見つめる眼差しに答える。
「それと、四葉もね」
「うん! まっかせて!」
四葉は満面の笑みを浮かべて答える。眩しい。まるで地上に舞い降りた太陽だ。本当に光を放っているわけではないけれど。
とりあえず校長室で資料をもとに三人で日程や装備の確認をし、そこから先は教室で修嗣も加えて作戦を練るということで一旦命達は自分達の教室へと戻ることにした。まだ予鈴は鳴っていないにしても、愚図愚図していては遅れてしまう。
もっとも、正当な理由がある命達がお小言を頂戴することもないだろうが。
「それじゃあ校長先生、私達はこれで……」
「ああ、命くんはもう少し話があるから、残ってくれんか?」
「ええ、分かってるわ」
首を傾げながらも、皐月と四葉はそのまま部屋を出て行く。
命だけは、予測できていたかのようにコーヒーの入ったカップを両手で持ったまま、渦を巻いて揺れる漆黒の水面を眺めていた。
「ふぉっふぉ、大丈夫かの?」
楽しげに校長が声を立てると、命は眉を片方だけぴくりと動かして、だがそれ以上は指先一つ動かさずに、
「……どういう意味でかしら」
「どっちの意味でもじゃよ」
命は大きくため息をついて、今度こそ対面に座った校長を見据える。朗らかな笑顔は四葉に似てとても優しげで、だが心の内を読み取れない。
背後の窓から風が吹き込み、視界を覆った銀の髪を命は指先で軽く払った。
「翔閃のSランクは近接特化……とでも言うべきかしら、まあ問題ないわ。他の連中も皐月なら大丈夫のはずよ。今は可愛らしい観測手もいるしね」
「ほほう、それはよいことじゃ。して……大丈夫かの?」
「…………」
顎をさすりながら聞いてくる校長に、命は目を細めて肩を落とす。そして、
「大丈夫――よ」
コーヒーを一気に飲み干し、マグカップをテーブルに叩きつけるように置くと、命は一度校長を睨んでから部屋を後にした。




