10話「終局の一手」
「ひぃ……ひぃ……ぷぅえ」
「だ、大丈夫椎名さん?」
やっとのことで丘の頂上までたどり着いた四葉は、そこで力尽き前のめりに倒れる。
青々と生い茂る芝生に顔を埋めながらなにか呻き声を上げる四葉の肩にそっと手をやり、皐月は優しく立ち上がらせた。
「んにゃー、ありがとさっちん。いやぁ運動不足の身にはこたえるねぇ」
「ふふ、じゃあ明日からはトレーニングしないとですね」
「うぇー……辛いなぁ」
額から汗を流しながら頬を掻く四葉の顔は、そこまで険しいものではない。辛いかどうかはともかく、やらなければいけないことだと理解しているのだろう。皐月は何も言わずに僅かに口の端を釣り上げると、四葉の肩を軽く叩いた。
「運んでもらってすいません。もう大丈夫ですよ」
「いいっていいって、私も役に立ちたいからさー」
手渡されたリュックを手に持つと、皐月は周囲を見渡す。と、ちょうど雑草が伸びきり身を隠すには手頃な林の中に、また綺麗な状態の倒木を見つけた。
皐月はそこまで歩くと、倒れた雑草が重なる自然の絨毯の上にリュックを置き、ファスナーを全開にして中身を開く。
「わっわ!? すごいすごいなにこれ? これが銃なの?」
いつの間にか皐月の隣に腰を下ろしていた四葉は、リュックの中身が気になるのか目をキラキラさせていた。
「はい、そうですよ。今組み立てるので待っててくださいね」
しっかりベルトで固定されたパーツを一つ一つ確かめ、バレル、レシーバー、ボルト、ストック全てを手早く組み上げる。分解されていたそれは、鈍く黒い輝きを放ちながら再び一つの銃として形を成した。
ネメシスアームズ社製、ヴァンキッシュ狙撃銃。これが、今回皐月が使う銃の名だ。
「わー……ほんとに銃になった。ちょっと変な形だけど。これ強いの?」
ヴァンキッシュをまじまじと見つめながら指先をそっと近づけ、皐月の視線に気づくとはっとしたように四葉は手を引っ込める。
その姿が売店でやたら物を触りたがる子供のように見えて、皐月は気づかれないように声を立てずに笑った。
「触ってもいいですよ」
「うわーい!」
銃を恐る恐る、だがやたらに触りまくる四葉を横目に妙ないじり方をしないように監視しつつ、皐月は遠くに見える細い通りに隠れた、僅かに他より大きめの道に視線を向けた。
今、あそこには命がいるはずだ。あの道は白崎町を知らない者でも比較的迷いづらく、白崎学園へも直接繋がる場所なのできっと蒼生は攻めてくる、と命は単身あの場所で敵を防ぐと行ってしまった。
修嗣や他のメンバーは全員学校の守りに入っている。今いるメンバーだけで別れるにしても、三人だけではどうしても偏りができてしまうのは必然。
であれば、素人の四葉を敵との交戦距離が近くなる命ではなく、皐月のサポートに回すのもまた当然のことだろう。
「敵は……三人。装備は拳銃のみ。蒼生学院は最低限の守りだけ用意して、全員攻めに回ったようですね」
リュックから取り出した双眼鏡を陽光の向きに注意して覗き、皐月はレンズの先に映る一軒のプレハブ小屋を注視した。周囲に三人、少女達が小さな祭りに駆りだされたやる気のない警備員のように佇んでいる。
あれこそが、今回の学園戦争で蒼生学院の拠点となった場所。この丘から約300mほど下った広場に建てられた小屋は、この戦闘のために設置されたものでまだ真新しく周りから少し浮いて見える。
学園戦争内で出た費用、失った物品家屋等は全て国が負担する。その上市民の安全は確実に確保されるのだから、学園戦争に異を唱える人間がいるとすれば、それは子供同士を戦わせることに異議を申す連中くらいだろうか。
プレハブの窓ガラスは狙撃による一方的な攻撃を防ぐため黒く塗りつぶされ、中の様子は伺えない。加え、一般的な拠点防衛戦のルールに従っているならばあれはライフル用の7.62mm弾クラス以上を想定した防弾加工がされているので、皐月が持つヴァンキッシュの.308ウィンチェスター弾であれを撃ちぬくことは出来ないだろう。また、壁は防弾・防爆加工のされたものだろうし、グレネードランチャーなどで吹き飛ばすこともできない。
もっとも、薬で再生できる限度以上の威力を出さないよう炸薬量を減らした学園戦争用のグレネード程度ではあの建物を傷つけることすらできるとも思えないが。
ともあれ、あんなたかがプレハブに大層な加工を施した業者は大層儲かったに違いない。
つまり、あの拠点を制圧するには嫌でも強行し中に入って終戦の鐘の音を告げるサイレンのスイッチを押さねばならない。
基本的に、拠点防衛戦で拠点を遠距離から制圧可能な条件下に置くことはない。もしそれを是とするならば、学校の屋上にM2重機関銃でも置いて開幕と同時に敵拠点目掛け撃てば済んでしまうからだ。
「四葉さん、ここであの三人を狙撃します。その後で、丘を下って拠点を制圧。それで我々の勝利です。あなたは私の後ろで周囲を警戒してくれるだけで構いませんから……いけますか?」
「だいじょぶ! 任せて!」
頼もしく親指を立て、四葉が髪を揺らす。僅かだが、声音に緊張が感じられた。
無理もないが、ここは戦場。ちょっとした隙が大事を招く。素人ならなおのことだ。
「薬は飲みました? あれがないと、弾を受けた時が大変ですから」
「あ、最初にみこりんが飲ませてくれたやつかな? まだ私持ってないからって、なんか青いの一つくれたんだ」
「ああ、それですそれです。よかった、じゃあ大丈夫そうですね」
互いに確認を取り、準備は万端。
皐月は倒木の上にヴァンキッシュのバイポッドを立てて乗せる。歪みがないように揺らして確認し、自身が座るのに最適な位置を探して腰を下ろすと、.308ウィンチェスター弾が5発詰め込まれた箱型の黒い弾倉をそっと銃にはめ込んだ。
もう一度四葉に目配せしてから、皐月はヴァンキッシュに乗せたナイトフォースのスコープを覗き込む。
倍率は最低の5倍にして、広い視野を確保しながらプレハブ周辺を歩く少女達の動きを注意深く観察する。
よほど暇なのか、欠伸をしたり銃を振り回したりと随分呑気なものだ。経験の浅さからくる余裕は蛮勇ほど愚かではないが、決して褒められるものではない。
きっと、『次の』学園戦争ではこの失敗を活かして励んでくれることだろう。
皐月はスコープのレンズ内、十字線に仕切られた視界の中で動く三人の少女達を観察する。
それはさながら猛獣が獲物を狩る瞬間のように。静かで、だが心中では標的のために熱き血を滾らせている。
僅かに動くことで響く布擦れの音も、口から溢れる呼吸音すらも遮断し、静かに獣はその牙を獲物に向けた。
遊底を操作し、弾倉から引きぬかれた.308ウィンチェスターが軽い金属音を立てて薬室へと入る。スコープ内には、米粒大の小さな人影が三つゆらゆらとうごめいている。
視線は動かさず、皐月は左手でスコープのダイヤルを回し倍率を上げていく。8倍になると一番端にいた少女が見切れ、十字線が重なりあう場所を胸にあてがわれた子とその隣に並ぶ少女の顔がはっきりとレンズ内に映しだされた。更に倍率を上げ、20の数字が書かれた場所でダイヤルの抵抗を感じ指を止めるとスコープにはもう、一人の少女が写真のように映るだけ。
「う、撃っちゃいます……か?」
不安げに、体を振るえさせて四葉が言った。
皐月は無言で首肯する。
「ええ、正面切って撃ち合うつもりはありません。リスクは避けないと。中には奇襲を卑怯だという方もいますが、そんなのはそれを予想できなかった未熟者の言い訳です」
スコープの中で、少女が笑う。レンズから外れた視界の外で、他の子と雑談でもしているのだろうか。
皐月は半分だけ息を吐いては止め、右手人差し指をほんの少しだけトリガーに触れさせ体を停止させる。
音もなく、全てが静止した世界。きっと四葉の目には皐月の周りがそう見えているはずだ。
生気のない彫像が佇むだけの空間に、一陣の風が吹いた。雪原を思わせる髪が揺れ動くと同時に、細い指先が僅かに曲がる。
「わっ!?」
乾いた銃声。
それに驚いた四葉が尻餅をつくと、スコープに映る少女の胸が爆ぜた。




