風宮旬(♂)
見られた見られた見られた見られた。
ぼくは、机の下で拳をにぎりしめた。手にかいた汗がすごい。足が震えている。動揺が顔に出ないよう気をつけたつもりだったが、たぶん無理だろう。
だが、どうにか金屋君には、ばれていないようだった。危なかった。
「気分悪いなら、保健室行けよ」
「うん、大丈夫。ありがとう」
そこで会話がとぎれた。
沈黙がおとずれる。
金屋君は、無言で席につくと、バッグから教科書やノートを取り出し、机の中にしまった。
ぼくは、机の横のフックにかけてある、自分のバッグに何度も目をやった。ファスナーが開いていないか、入念に確認する。
バッグの中には、ゴスロリ風の黒いドレスと化粧品が入っている。
つい、さっきまで、ぼくが身につけていたものだ
ぼくは、女装趣味者だ。
週に一度、女の子の服を着て、深夜の街を歩きまわるという行為を楽しんでいる。
初めてこの趣味に目覚めたのは、小学校六年生の頃だ。家で戯れに、姉のスカートをはいてみたことがあった。へらへら笑いながら、鏡に映る自分の姿を見た。
絶句した。
似合っていたのだ。
鏡の中に、ショートカットの美少女がいると、自分の姿なのに錯覚してしまった。つい、見とれてしまっていた。
しばらくしてから、我に返った。同時に、これはいけないことだという意識を感じて、恥ずかしくなった。だが、その恥ずかしさがなんだか気持ちよかった。ねっとりと熱く、甘い快感を覚えた。
幼い頃から、ぼくはまじめに生きてきた。
両親の言うことを素直に聞き、勉強も運動もしっかりとこなしてきた。そのことに、不満を感じたことはなかった。まじめに生きることが、固くてつまらないとは思わない。まじめには、まじめなりの楽しさ、面白さってものがある。
ただ、自分がこれをやりたくてやったという経験があまりなかった。なんとなく、流されて生きてきた部分があった。それが、少しむなしかった。
そのむなしさが、姉のスカートをはいた瞬間に吹っ飛んだ。
ぼくがやりたいことは、これだと思った。
バカにしたければバカにすればいい。そのとき確かに、ぼくは生きる喜びを感じたんだ。
それ以来、女装にはまった。
いろんな店を渡り歩き、姉へのプレゼントと嘘をついて、好みのブラウスやスカート、ワンピースなどを買い、自宅の部屋の天井裏に隠した。そして夜こっそりとそれを身につけ、鏡を見つめながら、うっとりと悦に入った。
ぼくの顔は、線が細く、色白で、目がぱっちりとしていて睫毛が長い。女装をすると、本物の可愛い女の子のように見えた。体型も小柄で、程良くスリムで、女装に向いていた。
はまった。自己陶酔。完全にはまった。もう、たまんないって感じ。
最初は部屋で着替えるだけで充分だったのだが、くりかえすうちにテンションがあがってしまい、中学の頃、女装姿で深夜こっそり家を出てみた。
世界の色が変わって見えた。
女の子の服を着ているというだけで、いつも歩いている道路、いつも通り過ぎる煙草屋や郵便局なんかがとても輝いて見えた。時折すれちがうひとの視線が新鮮だった。あきらかにぼくに、「女性を見る目」を向けていた。それがとてもうれしかった。体がぷるぷると震えた。女装大成功と叫んで、その場で万歳したくなるのを、必死で我慢した。
そうして、月に一度くらいのペースで、深夜徘徊していたのだが、高校二年生になる頃には、そのペースが週に一度になっていた。
楽しくってしょうがないのだ。
最近よく着ているのは、ゴスロリだ。ゴシックロリータ。西洋風の可愛らしいデザインの黒いドレス、黒いカチューシャ、黒いミニスカート、黒のニーソックスに黒のハイヒールを身につけ、黒いストレートな長髪のカツラをかぶり、黒いマスカラを瞼に塗る。
そうすることで、ぼくはどこか魔の雰囲気をまとった、少し妖しい女の子になる。
そんな姿のぼくが歩くことで、見慣れた町の風景が蠱惑な幻想に彩られるような気がした。
五月の終わり頃のことだ。
その日の深夜、ぼくは学校の校舎に忍びこんだ。そして自分のクラスの教室でゴスロリの女装に着替え、暗い夜の校舎を歩き回った。興奮した。
昼間は真面目にメガネをかけて過ごしている校舎の中を、こんないけない格好をして歩いている。そのことにぞくぞくとした。
静寂の中、廊下に響くヒールの足音が心地良かった。
ゴスロリ服の黒色と、闇が調和して、まるで自分が夜の中に溶けこんでいくかのような、不思議な気持ちが味わえた。
屋上、プール、体育館、中庭、運動場とゆっくりとまわっていった。
最後に学校の敷地の周囲を歩いているうちに、日が昇りはじめ、あたりが薄ぼんやりと明るくなってきた。
「まずい。のんびりとしすぎた」
そろそろ教室に戻って、制服に着替えたほうがいい。
そう思ってあわてて走り出した。しかしハイヒールは走りにくかった。足元を見ながら転ばないように気をつけていると、正門近くの曲がり角で人にぶつかった。
大柄な男のひとだった。そのひとの背中に、強く衝突してしまったのだ。
ぼくはその場に尻餅をついた。
「そんなのありか」
という叫び声が聞こえた。
ぼくは凍りついた。聞き覚えのある声だった。
顔をあげると、クラスメイトの金屋武君がぼくを見下ろしていた。
金屋武君は、気が優しくて力の強い、頼りになる同級生だ。よく授業の資材運びや、クラス会議の仕切りなんかを手伝ってくれる。口調はぶっきらぼうだけど、いつもぼくに優しく接してくれる、いいひとだ。
その金屋君が、いぶかしげな顔をして、女装姿のぼくを見下ろしていた。
心臓がばくんとはねあがった。
見られた見られた見られた見られた見られた見られた見られた。
ぼくの女装趣味が、クラスメイトにばれてしまった
噂が広まる。教師の耳に入る。問題になる。親が呼び出される。
嫌な展開のイメージが、一瞬で頭を駆けめぐった。
「大丈夫か?」
金屋君が、手をさしのべてきた。
その声色を聞いて安心した。
どうやら、ぼくだと気づいていないようだった。濃いめに化粧をしておいてよかった。
ぼくは自分で立ち上がった。そして金屋君と目をあわさないよう、うつむきながら、ごめんなさいとつぶやくと、背を向けて走り出した。
早く教室にもどって着替えないと!
急いだ。まだ慣れないハイヒールに足をくじきそうになりながらも、我慢して全力で走った。
「うおおおおおっ!」
教室にもどると、ゴスロリの服を全て、引きちぎるような勢いで脱ぎ捨てた。そしてそれをバッグにねじこむと、ウェットティッシュで乱暴に化粧を拭い落とす。早くしないと、金屋君がやってきて、見つかってしまう。着替えるところを目撃されたら、さすがにアウトだ。
五分後、金屋君が教室に入ってきた。
ギリギリで制服を身につけたぼくは、メガネをふいて気を落ち着かせていた。まだ心臓の鼓動は速い。
間に合った。
どうにか間に合った。
「風宮、めずらしいな。こんな早くに」
そう言って、金屋君は自分の席についた。
「あ、金屋君。おはよう」
ぼくはメガネをかけ、声が震えるのをこらえながら、挨拶をした。
・・・・・・そして、今にいたるというわけだ。
どうやら、朝ぶつかったのが、ぼくだということは、ばれていないらしい。金屋君の様子はいつも通りだ。よかった。本当によかった。
ぼくは、大きくため息をついて、下を向いた。
そして、また凍りついた。
両足に、ハイヒールを履いたままだったのだ。
・・・・・・しまった。
急ぐあまりに、玄関で上履きにはきかえるのを忘れてしまっていた。
制服のシャツに学生ズボン、その足にハイヒールといった今の格好はかなりの違和感がある。
このままだとまずい。早く脱がないと。
バッグの中に、体育館シューズが入っている。後でそれを履こう。
ぼくは、音を立てないように、そっとハイヒールを脱いだ。
金屋君がふりむかないことを祈りながら、両手でゆっくりと持ちあげて、ひとまず机の中に入れようとする。
そのとき、教室の後ろにある掃除用具入れのロッカーから、ガンッという音がした。
ぼくは驚いて、ハイヒールを床に落としてしまった
金屋君は、ふりむいて立ち上がった。いぶかしげにロッカーの方を見ている。落ちたハイヒールには、気付いていないようだった。
「いま、何か音がしたよな?」
金屋君が聞いた。
ぼくは返事ができなかった。頭の中が、真っ白になっていて、声が出せない。いま金屋君が少しでもこちらを向いたら、間違いなくハイヒールが見つかってしまう。急激に喉が乾く。思わず息を止めてしまう。
すると、また掃除用具入れのロッカーから、ガンッガンッという音がした。そこでぼくも振り向いた。ロッカーがわずかに揺れていた。どうやら、中に何かがいるらしい。
「猫か?」
そうつぶやきながら、金屋君はロッカーの方に歩いていった。
・・・・・・今だっ。
ぼくはハイヒールを素早く拾うと、机の奥に押し込んだ。そして静かにため息をついた。
金屋君は、揺れるロッカーを開けて中をのぞき込んだ。すると、
「うわっ!」
と大声をあげて、後ずさった。
ぼくも立ち上がると、金屋君の背中越しにロッカーの中を見た。そして、目を丸くして、息を呑んだ。
ロッカーの中には、モップやホウキに挟まれる形で、制服姿の少女がひとりしゃがんでていた。口に猿ぐつわをかまされ、体を縄で亀甲縛りにされていた。
とんでもない光景だった。
しかし、その少女の顔を見て、ぼくは、ああ、このひとか、と思ってため息をついた。
その少女は、クラスメイトの色摩美々さんだった。この学校で一番有名な、・・・・・・・・・・・・痴女だ。