夢のセンターポジション
『運も実力のうち』という言葉がある。
この世界には、運に恵まれている人と、恵まれていない人がいる。運に恵まれている人とは、運を呼び込んでいる人であり、それも、本人の才能の1つ、という考え方である。
だったらあたしには、実力があるというのだろうか?
とてもそうは思えない。
あたしは今、運だけでここにいる。それがあたしの実力だというのなら、今、こんなにプレッシャーを感じるはずがないように思う。
――あたしに、このステージに立つ資格があるの?
アイドルとしてデビューして、まだ1年にも満たない。あたしよりも実力がある人は、経験のある人は、人気のある人は、他にたくさんいる。あたしなんてまだまだひよっこだ。それなのに、このステージに立つ資格があるのだろうか? 運がいい――ただそれだけの理由で。
心臓が、まるでフルマラソンを終えた後のように、激しい鼓動を繰り返している。手のひらにはじっとりと汗をかき、喉はからからに乾いていた。こんな状態で、本当にステージに立てるのだろうか? こんな状態で、本当に踊れるのだろうか? こんな状態で、本当に歌えるのだろうか?
時計を見ると、1時55分。開演5分前だ。目の前には、木の板を組み合わせただけの飾りっ気のない階段十数段のその階段を登った先には、この舞台裏とは別世界の、豪華に飾り付けがされたステージがあり、さらにその先には、あたしたちのパフォーマンスを見るために集まってくれた、何百人という人たちが、開演を待ちわびている。彼らの息づかいが、ざわめきが、期待感が、ここまで聞こえてくる。
だからこそ。
――あたしに、このステージに立つ資格があるの?
さっきから何度も繰り返し胸の内に浮かぶ疑問。
答えてくれる人を探し、周囲を見回す。
薄暗い舞台裏には、あたし以外のメンバー47人が、開演の準備を進めている。準備運動をする人、発声練習をする人、お喋りをする人、ただじっとして集中力を高めている人。全員が、開演前の緊張を感じている。しかしそれは、恐らく、あたしより小さいだろう。この中で一番緊張しているのは、間違いなくあたしだ。
――あたしに、このステージに立つ資格があるの?
問いかけようとしたけど、声が出なかった。それほどのプレッシャーが、今、あたしにのしかかっている。
開演3分前。
「ようし! みんな、集まって!」
キャプテンがパンパンと手を叩く。皆、それぞれしていたことを中断し、集まった。
でも。
あたしは、動けない。
声も出ない。
まるで、全身が石になってしまったような、そんな感覚。
キャプテンが、立ち尽くすあたしに気づいた。
ふふ、と、小さく笑い。
こちらへ歩いてくる。
そして、両手で、むにゅ、と、あたしの顔を挟んだ。
「どうしたの? もしかして、プレッシャーを感じてる?」
笑顔で言う。
あたしは、わずかに首を縦に動かした。それしかできなかった。
「そう――それは、いいことね」わしゃわしゃと頭をなでられる。
プレッシャーを感じているのがいいこと? どうしてだろう?
キャプテンは答える。「プレッシャーを感じるということは、それだけ、このステージの重みを理解しているということよ。ステージを軽く見ている人に、歌う資格は無いわ。あなたは、このステージに立つ資格がある」
――あたしに、ステージに立つ資格が、ある。
その言葉は、石の身体を癒す魔法の言葉だった。
キャプテンは言葉を継ぐ。「あなたにとって、これは初めての経験でしょう。プレッシャーを感じるのも当然だわ。でも、あまり深く考えすぎないことね。あなたはいつも通りやりなさい。あなたの後ろには、あたしが――あたしたちみんながいる。もし何か失敗しても、みんながあなたをフォローする。仲間を信じて、全力でやりなさい。できるわよね?」
キャプテンの、優しい笑顔。
そして、そのキャプテンの後ろには。
メンバー全員が、同じく、優しい笑顔で、あたしを見ていた。
そうだ。あたしは、1人じゃない。みんながいる。
あたしの身体は、動き始める。
「――はい!!」
声も出る。
「よし。いい娘ね」
キャプテンはもう一度あたしの頭をなでると、振り返り、メンバー1人1人の顔を確認するように、ぐるっと見回した。「――もうすぐ開演です。今言った通り、これは、あたしたちヴァルキリーズにとって、経験したことのないステージとなります。でも、どんなステージであろうとも、あたしたちのやることは変わりません。最高の歌を歌い、最高のダンスをし、最高の演技をし、最高のパフォーマンスで、お客様に楽しんでもらう! そのために! まずあたしたちがこの舞台を楽しみましょう!!」
キャプテンの言葉に、全員で、「はい!!」と応える。
開演時間になった。
メンバーが、順番に階段を駆け上がり、舞台上へ出て行く。
普通ならば、あたしは真っ先に舞台上に駆け出し、中央からかなりはずれた、目立たない後列の端の方に立つのだけど。
今日は――今日だけは、違う。
みんなが階段を駆け上がって行くのを、あたしは見送る。
ドクン、と、また、心臓が大きく鳴った。ダメだ。また動けなくなる――そう思った時。
ぽん、と、あたしの肩に、手が置かれた。キャプテンだった。
「じゃあ、舞台を楽しみなさい!」
力強い言葉。
――舞台を楽しむ。
それは、開演前にキャプテンが必ず言っている言葉だ。
固まりかけていた身体が、また動き出す。
あたしは、大きく、「はい!!」と、応えた。
キャプテンはもう1度ほほ笑み、階段を駆け上がった。
そして、メンバー全員が舞台に上がり、一番最後に。
――よし。
あたしも、階段を上がる。
薄暗い舞台裏とは正反対の、眩しいライトが照らす舞台上に、立つ。
その瞬間、会場の歓声が、ひときわ大きくなった。
その、あまりの大きさに、思わず怯んでしまいそうになる。
でも、メンバー全員があたしの方を向き。
――さあ、みんなの前に立って。
優しい目で、笑顔で、あたしを促した。
あたしは、ゆっくりと前に進む。
今日、あたしが立つ位置は、踊る所は、歌う場所は。
いつもの、後列ではない。
あたしは、舞台の中央、最前列に立った。
ここが、あたしの今日のポジション。
あたしの前には、誰もいない。
あたしの後ろに、メンバー47人がいる。
観客の視線が、拍手が、歓声が。
全て、あたしに注がれているのだ。
ステージ上に、音楽が鳴り響く。
この日のために書き下ろされた新曲、「きまぐれ女神のほほ笑み」だ。今日のコンサートは、これを披露する場でもある。
気まぐれな女神が君に微笑んだ
チャンスは今だ さあ 走り出そう
あたしは、観客の声に応えるように。
歌い、そして、踊った。
この曲の主役は、今日の主役は。
あたしなのだ――。
☆
――――。
――ミ。
――カスミ。
「――カスミ!!」
キャプテンの、怒鳴り声で。
あたしは、まどろみの世界から引き戻された――。