#2 diet
現れたのは、中身だけの方だった。
骨が剥きだしの足と石畳の床がぶつかってコツコツという硬質な音を響かせ、関節や骨同士の結合部からはギシギシと不快な軋みを振りまいている。
スケルトンだ。
(…我慢だぞ、俺。確かに怖いがこっちからちょっかいを出さなければ何もして来ない筈だ。)
(スケルトンはミミックみたいな物質系のモンスターには興味が無い。)
スケルトンが近づくごとにだんだんとそのホラーな姿が露わになり、ますます彼のビビり具合が上昇。
上半身は革製の軽鎧を纏い、右手には小振りな斧をぶら下げている辺りがいっそうの恐怖を煽る。
軽鎧には所々真紅…というにはいささかドス黒い斑点を散らし、手斧の刃は錆びたり刃こぼれしたりひどい状態だ。
それは、この骸骨野郎が最低一度は(おそらく)人の命を奪っているだろうということ。
スケルトンが血にまみれているのなら、それは間違いなく獲物の返り血なのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇
スケルトンの発生方法は二種類に分ける事が出来る。
すなわち、魔力濃度が高い場所に放置されていた全身骨格に悪霊がとりついたか。
あるいはある程度の実力を持つ【屍霊術】使いが己の魔力を注ぎ込むか。
今彼がいるダンジョン、【絶望と嘆きの大古墳】にはその双方が存在している。
後者、【屍霊術】によって造られたスケルトンは、いわばエリートのスケルトンである。
スケルトン・エリートという名のモンスターは存在しているがそれとは別であり、あくまで能力の高めなただのスケルトンではあるのだが。
しかしながら通常のモノと比べると運動性能が高く、完全な連携が可能。
制作者によっては特殊な能力を持ち合わせている事さえある。
…その分、数は少なく中層に出てくることはほとんどない。
ほぼすべての個体は下層で【朽ち果てた大貴族】を守っているのだ。
ちなみに最下層付近ではスケルトンの上位種にあたるスケルトン・ソルジャーがうろついていたりする。
つまり、いま彼が相対しているスケルトンはスケルトン(野良)。
生命の気配を求めてさまよっているだけであり、生物ではないミミックに対しての興味など設定上は持ち合わせていないはずだ。
これがエリートなスケルトンであれば、「このダンジョンにおいて不自然な現象」そのものに反応するようプログラムされているため通路でミミックに遭遇すればいきなり襲ってこそこなくても興味くらいは持たれたはずであった。
人間ではなくモンスターとして【フローラディア】に来てしまった彼が生き抜くためには戦闘は避けては通れないだろう。
だが、いくら体のスペック上は戦えたとしてもつい先ほどまで平々凡々な社会人だった人間が野生動物よりも強暴で凶悪であろうモンスターとまともに戦えるかといえば首を傾げるしかない。
いや、まず無理だろう。
さっきまで、モンスターになるにしてもなぜせめて動物型じゃなかったのかと思っていたが、そう考えると戦闘を回避しやすい……というよりほとんど喧嘩を売られないミミックというのは彼にとって最大級に幸運だったのかもしれない。
とはいえ、だからといって自分のレベルを上げなくてよい理由にはならないだろう。
生き抜くために、「強さ」はいくらあっても困るものではなく、足りないと死につながる重要な要素だ。
(結局は、自身の強化のために戦わなくてはいけないという結論に達する……か。)
難儀なことだ。
(せめて、ゲーム時代の知識が通用しますように。)
◆◇◆◇◆◇◆◇
【屍霊術】ではない自然発生的スケルトンはこのダンジョンの中でもたいした敵では無かった…いや、雑魚モンスターの一つといってもいいだろう。おそらくはLvにして15、あるいは10程度のはず。ごく稀にLv18もいたが、あれはめったに発生しないはず。つまり、この目の前のスケルトンはほぼ間違いなく俺よりも10は低いレベルだろう。
それなら……何とかやれるだろう。
正直すぐに逃げ出したいが、いつまでも逃げているわけにもいかない。野良スケルトン程度が倒せないならば……生き残るなど到底無理なのだ。
(覚悟を…………決めろ俺!!)
彼は、スケルトンと戦う意志を固める。
すると、視界の隅に点灯していた文字が変化する。
【擬態 Ⅲ 】→【擬態 Ⅲ (不意打ち待機)】
ゲーム時代に見慣れた文字列。
さあ、迎撃の準備は整った。
この世界で生きる一歩目を踏み出すのだ。
いやまだ続きますよ?
◆◇◆◇◆◇◆◇
壁に取り付けられた松明の明かりのみが照らす石造りの通路。
その中をギシギシ、カツカツ音を立てながら一体の骸骨が進んでいく。時々立ち止まっては頭蓋を左右にひねり生命の気配を探知しながら通路を進んでいた骸骨は、突然立ち止まると警戒態勢をとった。
スケルトンがこのような反応を示すのは、同属以外の生命や魔力反応を察知した時である。右手に持ったボロボロの手斧を構え、感じた魔力の元を探る。
と、スケルトンはそこでようやく目の前においてある大きな宝箱に気づいた。
右、左と再び頭蓋骨を大きくひねって辺りを確かめたスケルトンは、ギシギシと腰や背骨を鳴らしながら宝箱に顔を寄せると、斧を持っていない左手を宝箱にかけ……
突然、生き物のように宝箱が蓋をガパリと開けた。
いや、この宝箱は真実生き物であったのだ。
箱の中にはどこへ続くとも知れぬ漆黒の空間、箱のふちと蓋の裏にはびっしりと生えそろう無数の禍々しい棘。
見る間に、箱の中から暗い赤をして筋の入った肉の板が現れ、ネバりとした液体をたらす。
スケルトンではなく生きている動物が見れば、すぐに舌と唾液なのだと理解しただろう。
相手と自分の関係、すなわち眼前の物体は紛れも無く「捕食者」なのであるということも。
慌てたように斧を構えて距離をとろうとするスケルトンだったが、彼は既に宝箱の罠に落ちている。
逃がすかとばかりに伸びてきた粘着質の舌がスケルトンの体を絡めとる。じたばたと骨だけの全身を暴れさせるが、既に「狩り」は終わっている。
箱の中に引きずり込まれたスケルトンは、最後まで抵抗しようと唯一動いた左腕を箱の外に伸ばすが……
バキバキバキッ!!
降りてきた棘だらけの蓋と、棘だらけの箱のふちに挟まれ、途中で砕けた腕が地に落ちる。
後に残ったのは、何事も無かったかのようなごく普通にみえる(・・・)宝箱と関節近くで砕けている骨の腕、そして床に飛び散った透明で粘着質な唾液の跡であった。
♦♢♦♢♦♢♦♢
スケルトンを捕食した彼は、慎重に周囲を警戒していた。あの頭の悪いホネホネ君達に今の出来事に気づくだけの感知性能があるとも思わなければ
仲間の敵という概念を理解出来る知能があるとも思わないが、それでもやっぱり索敵は基本なのだ。
どうやって情報を得ているのかさっぱりわからない視覚での索敵と、通常の視界に重なるように認識できる不思議な別の視界での探知。
彼自身、何の違和感も感じずに行使している六番目の感覚にして二つ目の視覚。その不思議な世界は【魔力視】と呼ばれる技能であった。空気中に漂う魔力をその濃度別に変化をつけながら「視る」その技能は、基本的に暗闇の中である迷宮では非常に便利な力であった。前の世界にあった「サーモグラフィー」という技術は、センサーカメラで捉えた空間を温度の高低によって色分けして表示する事が可能であったがソレの魔力版と言っていい。
例えば、スケルトンが彼に近づいて来たならばまずは【魔力視】の視界で遠くに青い塊が見える。塊はだんだんと大きくなりながら同時に全身骨格の形を取り始め、やがて壁にある松明の明かりが届くようになると初めて通常の視界でしっかりしたカラーのスケルトンが認識できるわけである。
とにかく、しばらくの間辺りを警戒していた彼はやがて安心したのか軽い音を立てて蓋を開けた。中からデロリと舌を伸ばして目の前に落ちている砕けた腕の骨を巻き込むと、ヒョイとばかりに自分の箱に放り込む。
しばらくぼんやりとした様子で舌を遊ばせていた彼だったが、ぽつりと呟きが漏れた。
「何か、呆気なかったな……」
勿論、口はあれども肺も声帯も持たない彼の言葉が空気を震わせる事はない。
いや、例え実際に声が出ていたとしてもそのつぶやきは独り言以上のものにはなりえないのだ。
今現在、彼は独りなのだから。
(気づいたらこんな身体で知らない場所で、骸骨食べて……こんなに訳わかんない状況なのに、多分発狂もしてなければ鬱にもなってない。)
(ありがたいと言えばありがたいんだろ。多分、精神に対して何らかの防護措置が働いてるって事なんだろうし。でも、それなら)
(話し相手くらい……欲しかったなぁ……)
自分の思考がどんどんと沈み込んでいくのに気づいた彼は、慌てて頭を振った……つもりで気分を変えようとする。
(そうだ、ここはダンジョン何だ。強くなりたいならレアなアイテムを探すのなんかもいいかもなぁ?)
沈みがちな思考を抑えつつ、かつて人であった宝箱はガタガタと騒々しく闇に消えていった。