prologue 1/2
「ははは、は。……冗談だろ?」
暗い石の通路に彼の声が虚しく広がる。
「嘘だろ?……ありえないだろ?こんなの!!」
激したところで何の反応が返ってくるはずもない。
辺りにあるのは頑丈な石組みの壁と黒々とした口を開ける通路のみ。彼の……いや、既にソレと呼ぶべき物体に反応を示す物などここには存在しなかった。
もし、この世界において「念話」と呼ばれる技能を習得した人間がこの場にいたら、ひどく奇妙に感じられただろう。
辺りからは混乱したような声が聞こえるのに、そこにはたった一つの箱が落ちているだけなのだから。
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2028.7.21
AM8:27
都内某所、株式会社フューチャー・ソフトウェアオフィス。オンラインゲーム管理部フローラディア・オンライン課フロア。
「はよーございまーす。」
軽い音と共にドアが開かれ、気怠げな挨拶と共に一人の青年が現れた。時刻は就業開始時間三分前、オフィスに並べられた大量のパソコンデスクの八割型は既に埋まっている。丁度ドアの近くにデスクのある三十代位の男が呆れたような視線をとばすが、青年は若干気まずげに肩をすくめると自分のデスクに向かって歩み去った。
彼が向かうのはオフィスの端っこに区切られたまぁまぁ大きな一区画、天井からは「サブGM課:ロールプレイ区画」という案内板がぶら下がっている、比較的若いスタッフが多く集まる課であった。
「はよー。」
と、彼が周りに適当に挨拶をして自分のデスクに向かうとあちらこちらから「おはよーございまーす。」等の返事が上がってくる。彼は、この人数だけがやたらと必要な課の課長…の下に所属する一つの班の班長だった。班、といっても所属人数は三十人強。まぁ、未だ齢25の若造にしてはそこそこの地位では有るだろう。
彼の率いる班、その名を「ロールプレイ課イベントモンスター古墳班」という。社内の人間からは単に「古墳班」と呼ばれていた。
「フローラディア・オンライン」は、株式会社フューチャー・ソフトウェアの運営するネットゲームである。
フューチャー・ソフトウェアといえば「フローラディア」と、誰もが即答……は無理でも、ゲーム好きな人々ならすぐに答えられるくらいには有名な会社とゲームであった。有名になって人気が出るゲームには、必ずその特色がある。
「フローラディア・オンライン」の特色はゲームシステムではなく、その特異な運営法にあった。
世界にゲームを持ち込まない。
それがフローラディア・オンライン運営員の鉄則である。フローラディア・オンラインの各地の街や村、集落に住むキャラクター達のうち、ある程度重要な街、村、遺跡などに常駐し、社会的に主要な職業だったり役割を持つキャラクターはほぼ全てがゲーム運営員の操作するプレイヤーキャラクターである。
もちろん、一般のプレイヤーがチャットやボイスチャットを送れば、「フローラディアの世界に住むその人物として」きちんとした返事を返してくれる。
例えば、調整が入ってとあるアイテムの値段が上がったとしよう。
それを知ったとあるプレイヤーは、たまたま近くにいたとある農村の村長に話しかける。
最近◯◯の値段が上がって大変なんです。
すると、運営員操る村長キャラクターはこう答えてくれる。
それはお気の毒に。◯◯は冒険者の方々には無くてはならない物でしょうからなぁ。
また他の例としては、ゲーム内でストーカー行為に悩むプレイヤーがいたとする。
この場合、このプレイヤーは自分が拠点とする街の為政者に会いにいき、こう話しかける。
最近、◯◯という人に(もしくは特徴をあげて)つきまとわれて困っています。どうにかなりませんか?
すると、その嘆願を受けた運営員はすぐさま現実側で迷惑行為を行ったプレイヤーを検索、そのような事実があったのかを調査し、事実であるならば迷惑プレイヤーのアイテム入手表示に「街長の手紙」が追加される。
内容は、迷惑行為の停止勧告と続いた場合のペナルティーの列挙だ。
もちろん、バグ報告や迷惑行為の申告などはGM宛てのメールでも行えるが、ゲームで運営員と会って伝える方法が主流である。
しっかりと相手に伝わる安心感があるし、フローラディア・オンラインのプレイヤーの大部分はこのこだわり抜かれた世界観を楽しんでいるのである。
このようなフローラディア・オンラインの特色は、モンスターにも適応される。
全てのダンジョンには必ず数体、運営員の操るプレイヤーモンスターと呼ばれる化け物が徘徊しているのだ。
基本的にはそれぞれのダンジョンに対して規模に応じた人数の運営員が割り当てられ、自然湧出するMob(つまり雑魚モンスター)からランダムで1個体を操作する事になる。
プレイヤーからすればダンジョンで無数に出会うMobに気を抜いていると突然変則的な動きで襲いかかってこられるわけであり、公式HPでのシステム紹介では「一度ダンジョンに入ったら、一瞬たりとも油断は死を招く……」という見出しで紹介されている。つまりは緊張感を持続させるために作られたシステムなのである。
もっとも、運営員が操るだけでステータスは通常のMobとなんら変わりないため、それなりにレベルに余裕があれば瞬殺出来てしまう。
また、それとは別に数人の運営員には専用のモンスターが与えられている。彼らの場合は全員がユニークモンスターを操り、任された地域(主に人気ダンジョンやストーリー上重要な場所)でプレイヤーを待ち構える。いわばモンスターを操りプレイヤーと敵対するプレイヤーといった立ち位置にある役割で、彼らの繰るモンスターは全てプレイヤーキャラクターと同じシステムで出来ている。違うのは見た目がモンスターなことと使用する技だけ、プレイヤーを倒し続けることでレベルアップにジョブチェンジさえしてのける難敵なのだ。
もちろん、人が操るモンスターだ。
会話が可能な場合さえあるから驚きである。
2016年頃に投稿された動画で一躍有名になった「フローラディアの黒騎士」もこの「一人一匹」タイプのプレイヤーモンスターであった。
このように、フローラディア・オンラインの根幹をなすシステムであるプレイヤーモンスター。
その中の一つのダンジョンに出現するプレイヤーモンスターを担当しているのが、「ロールプレイ課イベントモンスター古墳班」であるというわけなのである。
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2028.7.21
PM1:12
サブGM課:ロールプレイ区画
大量に並んだデスクのほとんどは空席となっていた。
今日は木曜日。木曜日の午後一時からは一時間ほどサーバーの点検調整が入るので、普段はデスクで仕事をしながら食べる昼食を堂々と好きな場所で食べる事ができる。よって、こんな時までフロアに残っているスタッフなどほとんど居ないに等しいのだが……
青年は、一番下っ端とはいえ一つの班を率いる以上どうしても発生する書類を片付けていた。普段はボイスチャットに応じる声や、誰かの怒鳴り声、業務連絡で騒がしいフロアも静まり返っている。
カリカリと無言でボールペンを走らせ、書類に必要事項を書き込んでいく彼に、ふと背後から声がかかった。
「おーい、「古墳」班長さん。折角の木曜日の昼に仕事かい?」
「んー?ちょっと書類が残っててな」
青年は、そこでペンを一度止めると回転椅子ごと振り返る。
「あんたこそどうしたよ「廃都」班長さん?」
そこに立っていたのは一人の美女。青年と同じように一つの班を率いる班長さんであり、青年の同期でもあった。同じ階級に同期の入社、どちらもそれ程昇進に焦ってもいないので、割と気楽に話せる仲である。
「私は今ちょうど一段落ついたから。君がまだいるみたいだったから一緒に昼食でもどうかとおもってさ。」
「そいつはありがとう。すぐに終わるからちょっとだけ待ってくれるか?」
「ん、わかった。」
再びデスクに向き直った青年は、ペンを握りながら苦笑した。
(あいつと二人で食事なんていったのがバレたら周りの奴らに問いただされること必至だな。)
美人な上に仕事もできる才媛、さらにはさっぱりとした性格の彼女の人気はかなり高い。青年としては、異性で一番仲のいい友人という認識しか無いのだが。
(さて、それじゃあこの書類だけ片付けて……)
気の抜けたような音と共に、電源を切っていたパソコンのモニターが起動した。
「え?」
「ん?」
気付けば周囲のパソコンが、いや、フロア中のパソコンのモニターが起動している。
「…どういう事だ?調整組で何かやったのか?」
「…私は自分のを見てくる。」
背後にいた彼女は訝しげに自分のデスクに向かう。
《ー~ー~ー~j./tUNLGfbx?/.@w_kqi》
遂にはスピーカーから意味不明なノイズまで流れ出して……
いや…これは……?
青年が隣の区画に顔を向けると、自分のパソコンをいじっていた彼女もまた困惑したようにこちらを向くところだった。
ただのノイズでは無い。
微かに、そう微かにだが、電子音声で何かを話しているような……
「なぁ、これって……
青年が彼女に話しかけようと声を出した次の瞬間。
パサリ。
軽い音を立てて一枚の書類が床に落ちる。
青年が手に持ったままだった書類。
今の今まで少なくとも二人分の声が響いていたオフィスの中には流れ続けるノイズの音のみが鳴り続け、やがて止まった。
《ー~ー/arh@*u-pj》
《ー~ー~ーakdj@h/lun,+p_/kw》
《ー~大規模召喚の発動条件が達成されました。》
《幻想世界【フローラディア】に滞在中の【旅人】1,342人の精神体をそれぞれの【仮想体】にインストールします。》
《【旅人】1,342人の召喚が完了しました。》
《召喚シークエンス終項に基づき本術式を自動消滅します。》
《ようこそ幻想世界【フローラディア】へ!!》