第五章 覚醒?真性天狗少女ひな!
車の定員は、五人だった。そこに、六人が乗っていた。完全な定員オーバーだ。
後部座席には、先ほどと同様に、新田が真ん中に座り、その左がりよで、右がなぎさだ。新田の膝の上には、メロが、ちょこんと座っていた。
「あの~」
メロが、おじおじと、口を開いた。
「あの~、じゃない。ご主人様と呼べ」
新田が、偉そうに答えた。
「ご、ご主人様……」
「何だ?」
「メロのおっぱい揉むの、やめてください」
「なに? 新田、お前何をやっておるのだ?」
「いえ、別に」
「さっきから服の下で手をもぞもぞと動かしていると不審に思っていたが……」
「あ痛っ! エルボーを脇腹に入れるのやめてください」
「おぬしこそ、こんなところでハレンチなことやめろ!」
「メロのこと、好きなん?」
「ええっ? 何でまた……」
「だって、嫌いやったら、おっぱいよう揉めへんとちゃう?」
「ううっ……」
「どうなん?」
「それは、その……このおっぱいの揉み心地がいいから……、で、メロは何センチ?」
「えっ? 一四八センチ」
「うっ。かわいい……」
「えっ? メロのこと、かわいいの? オオカミに変身したのを見たあとなのに?」
「くうっっくっっく」
「あやめ様、変な音たてないでください。笑ってるんですか?」
「笑っているわけではないでごじゃる。くうっっくっっく」
「笑いをかみ殺しているわけですね」
「そなたら二人は、いいコンビでごじゃる。あほ同士という点で。くうっっくっっく」
「いったいどこがアホなんです」
「バストを聞かれて身長を答えているでごじゃる」
「そういえば、あやめ様は何センチですか?」
「うぐっ……」
「なに返答に困ってるんですか?」
「いや、別に……」
「じゃあ、早く答えてください」
「レディーにそんな質問をするのは、失礼ではごじゃらぬか」
「なぜです? 身長を聞くのが失礼なんですか?」
「うぐっ。今度は身長だったでごじゃるか」
「身長を尋ねたのに、バストだと思ったんですか。あやめ様もアホですね。で、何センチですか?」
「……」
「あ、痛い! わらわの髪を引っ張るな、でごじゃる」
「答えてくれないからです」
「一五八センチでごじゃる」
「痛い、痛い、痛い! 髪を引っ張るな、でごじゃる!」
「大ウソつくからです。本当は何センチですか?」
「一五七センチ……、痛い、痛い、痛い! 一五二センチでごじゃる」
「う~む……」
「あっ! 痛いでごじゃる! 本当のことを言ったのに、なぜ髪を引っ張るのでごじゃるか?」
「そのおさげ、引っ張りたくなる髪型なんです」
「ツイン・テールと呼ぶでごじゃる。髪が抜けたらどうするでごじゃる。だから、引っ張るな、でごじゃる!」
「メロ、Dカップなんよ」
「うっ。どうりで揉み心地が良いと思った……」
「まだハレンチなことしてるのか」
「あ痛っ。今度は側頭部にエルボーですか」
「で、あやめ様は何カップですか?」
「レディーにそんな質問は……」
「許嫁なんだから、いいでしょ」
「痛い! Cカップでごじゃる」
「痛い、痛い、痛い! 本当にCカップでごじゃる!」
「絶対ウソです。どう見てもBカップです」
「本当にCカップなのじゃ!」
「では、わざとサイズの多きなブラをつけているとか」
「違うでごじゃる。寄せて上げているだけでごじゃる」
「許嫁って……、どういうことなん?」
「あやめ様とわたしは、許嫁なのだ」
「それは、親同士が勝手に決めたことでごじゃる。そうじゃ、新田殿はメロと結婚したらどうじゃ? 相思相愛でごじゃろう」
「えっ? メロが結婚……」
急に、メロの顔が紅潮した。
「ダメです。名家では、親の命令は絶対なのです。あやめ様も観念して、わたしと結婚してください」
「あの~、会長、なぎさへの公認は……?」
「ああ、吉野殿。そなたもがんばるでごじゃる。わらわとしては、親が勝手に決めたこの縁談が、破談になればそれでいいのでごじゃる。だから、新田殿との結婚希望者が多くなるのは、大歓迎なのでごじゃる」
「新田くぅん、なぎさはBカップだけど、寄せて上げたりして、がんばるからあ……」
「いえ、がんばらなくていいです」
「ねえ~ん」
「そう言えば、ゆみ先輩は何カップですか?」
「あたしは答えません」
「うわっ。つれないなあ。しかし、どう見てもFカップはありますね。そうでしょ?」
「答えませんっ!」
「新田、なぜ拙者を見るんだ」
「いえ、次は順番からいくと……」
「ふっ」
「あっ! 今のはなんですか? ひょっとして余裕の笑いってやつですか」
「ふふっ」
「りよ先輩がそんな笑い方をすると不気味です」
「あ痛っ!」
「さっさと聞くこと聞け!」
「えっ? ハレンチなことを聞いてもいいんですか?」
「この件だけは、特別に許してやる」
「ううっ。そうですか。で、りよ先輩のバストは、何カップですか?」
「Eカップだ」
「ええっ~! Eカップ! す、素晴らしすぎる」
「ふっふっふっ」
「しかし、制服の上からでは、そんなふうには見えませんが……。ひょっとして、着やせするタイプなんですか?」
「実は、闘う時は、さらしを巻いておるのだ」
「な、なるほど。それで今は、巨乳には見えないんですね……」
「あ痛っ! 今、脇腹にまともに入りましたよ……」
「巨乳なんて言うな。まるで、グラビア・アイドルみたいで、恥ずかしいだろ」
「ううっ。そうですかねえ……。しかしいずれにせよ、おみそれしました」
「うむ。分かれば良い」
「あの……、ご主人様ぁ……、メロの乳首いじらないでぇ」
「に、新田! おぬし、拙者のEカップを想像しながら、何をやっておるのだ!」
「いえ、想像なんてしていませんが……」
「ダメですぅ。これ以上感じてきちゃうと、メロ、またオオカミに変身しちゃうぅ……」
「変身? 新田殿! 今すぐいちゃつくのを止めるのじゃ!」
「えっ? なぜです?」
「なぜではごじゃらん! 狭い車内でオオカミに変身されたら、逃げ場がごじゃらん。わらわ達普通の人間は、全員殺されてしまうでごじゃる!」
「うっ。そうかもしれません。がんばってがまんします。メロもがまんして変身を止めるんだ」
「で、でも……、変身は、自分ではコントロールできなくて……。十六歳の秋、満月の夜に初めて変身して以来、好きになった男子はみんな、オオカミになったメロを見て逃げ出して……」
「やはり、性的に興奮した時に、オオカミに変身するのでごじゃるな?」
「そうなんよ……」
「ということは、あやめ様は知っていて先ほど……」
「そうでごじゃる。といっても、古文書の知識でごじゃるので、確かめるまでは確証はなかったのでごじゃるが」
「では、人間に戻るには、どうすればいいのですか、あやめ様?」
「性的興奮がおさまればいいのでごじゃる」
「ということは、満足させる、とか?」
「それもあるでごじゃるし、先ほどの時のように、殴られて失神した場合なども、性的興奮がおさまったため、人間に戻ったのでごじゃろう」
「なるほど……」
「あっ! 突然の急ブレーキ。どうしたんですか? また黒猫をひいたんですか?」
「何もひいておらぬでごじゃる。危うく通り過ぎるところでごじゃった」
「ここ、どこです? 吸血鬼の隠れ家に着いたんですか?」
「そうではごじゃらぬ」
「では、何なんです?」
「実は、もう一人リクルートする者がいるのでごじゃる」
「今度はどんな強者ですか」
「ふっふっふっ」
「笑ってないでさっさと答えてください」
「聞いて驚け」
「もったいつけてないで、早く話してください」
「真性天狗を、仲間に加えるのじゃ」
「ええっ? ほんとですかっ?」
「新田、何をそんなに驚いているんだ?」
「えっ? りよ先輩は知らないんですか? 真性天狗のすさまじさを?」
「そもそも、今日初めて天狗党に入ったからな。もとはと言えば、おぬしのせいなのだが」
「古文書によれば、真性天狗は、たった一匹で、完全武装の武士団一千騎を撃退したこともあるほどでごじゃる」
「真性天狗がいるなら、わたしなんかが東京から来る必要は、ありませんでしたね」
「まあ、そう言うな、でごじゃる。じつは、天狗覚醒の報を受けたのは、今日の早朝だったのでごじゃる」
「今朝ですか……」
「わが四条家は、一二〇〇年前から続く天狗改役でごじゃる。それゆえ、天狗の血を引く者の所在は、全て把握しておる。そして、覚醒し次第、連絡が入るようになっておるのじゃ。とはいえ、ここ数百年は、天狗の血が薄まってきているせいか、天狗の血を引く者のうち、完全覚醒した者は、ほとんどいないのが現状でごじゃる。だからこそ、人間の猛者を集めて天狗党をつくったのでごじゃるし、新田家の力が必要なのでごじゃる」
「ということは、あやめ様も、今日初めて、その天狗に会うのですね」
「覚醒する前に、何度も会っているでごじゃる。天狗の血を引く者は全員、毎年四条家が主催する新年会に呼んでいるのじゃ。そうして、四条家との君臣関係の絆を確認しているのでごじゃる」
そう話しながら、あやめは、車をマンションの裏手にある駐車場に入れた。
「ここじゃ。さあ、皆の者、いったん降りるでごじゃる」
六人は、車から降りた。
「この駐車場には、誰もいないようですが……」
「何を言うておるでごじゃる? 目の前にいるでごじゃる」
「あのう……、あやめ様、たしかにわたしの目の前に一人おりますが……、赤いランドルセル背負ってますよ」
「女の子でごじゃるから、ランドルセルが赤いのでごじゃる」
「いえ、色の問題ではなくて、ランドルセルが問題なのです」
「新田殿は、ランドルセル恐怖症なのでごじゃるか?」
「そんな恐怖症ありません!」
「では何が問題……」
「どう見ても小学生の女児です!」
「山上日奈子、小五の十一歳です。よろしくお願いします」
「ほれほれ、きちんと挨拶もできる。良い子ではごじゃらぬか」
「いえ、そういう問題ではなく、まだ小学生なのが問題なのです」
「なぜじゃ? 既に覚醒しておるのじゃ」
「覚醒? あやめ様、あなたを逮捕します。覚醒剤をやっていますね」
「そんなものやっておらぬわ! 覚醒したのはこの子でごじゃる」
「この子? 小学生に覚醒剤をやらせるとは。とんでもない極悪女ですね、あやめ様は」
「覚醒剤から離れるでごじゃる。さっさとその手を、わらわの手首から離すでごじゃる!」
あやめは、新田の手を振り払った。
「冗談はさておき、で、あやめ様、本当にこの子は天狗として覚醒しているのですか?」
「電話では、そう聞いたでごじゃる」
「く、苦しい、首を絞めるな、でごじゃる!」
「おい、新田、その手を離せ! 首は危険だ」
「す、すみません。一瞬、マジで殺意が芽生えました」
「いったい新田殿は、何をそんなに怒っているのでごじゃる?」
「小学生を吸血鬼との戦いに巻き込むとは、許し難い児童虐待です」
「何も心配することはごじゃらん。既に覚醒しておるのじゃからな」
「覚醒は電話で聞いただけでしょ」
「そのとおりじゃが、古文書によれば……」
「く、苦しい……」
「首は止めろ!」
「これは失礼。また一瞬殺意が。とにかく、伝聞ではなく、きちんと確かめましょう」
「どうするのじゃ」
「きまってるでしょ。ひなちゃん!」
新田は、ひな子に呼びかけた。
「はい」
「じゃあ、ちょっと服脱いでみて」
「はい」
ひな子はランドセルを下ろし、赤いワンピースのすそに両手をかけた。
「こら新田! 子供に何をさせる!」
「パンツもですか?」
「新田!」
「あ、いいよ。パンツは脱がなくて」
「服もだ!」
「あ痛っ! りよ先輩、拳で殴んないでください」
「このロリコン野郎!」
「違います! 背中を見るだけです」
「背中?」
「そうです」
「おぬしは背中フェチか?」
「違います! 天狗の覚醒は、背中を見れば分かるんです」
「おお、そうでごじゃる。覚醒した天狗は、背中に翼が生えているでごじゃる」
「脱ぎました」
「む、胸を隠せ! 新田、見るな!」
「りよ先輩、意識しすぎです」
「何を言っておる。これは児童虐待だ。幼い頃の虐待は、心に深い傷を残すのだ」
「りよ先輩、詳しいんですね」
「うむ。こないだ、テレビのドキュメンタリーで見たのだ」
「テレビですか……」
ひな子は、新田に背中を向けた。
「あやめ様、まだ翼は生えていませんが」
「じゃが、背中が盛り上がっているでごじゃるな」
「たしかにそうですね」
新田は、ひな子の肩胛骨の上のふくらみに、手を当ててみた。
「どうじゃ?」
「う~ん、そうですねえ」
「あの、おにいちゃぁん……」
「なあに?」
「もんじゃいやぁ」
「えっ? なんで?」
「だって、ひなこ、変な気分になっちゃう」
「新田、やめるんだ!」
「そう言われても……」
「あぁん」
「いてっ!」
新田は、大きく一歩跳びさがった。
「な、何をするんです! いきなり真剣で切りつけるなんて!」
新田は、出血した腕の傷をなめてつばをつけた。
「小学生にふしだらなことをするからだ! 相手はまだ小学生なんだぞ!」
「ふくらみを揉んだだけです」
「ふくらみを揉んだら問題だろうが!」
「いえ、胸ではなく背中ですから」
「あっ! 血が止まってる……」
メロが、驚愕の声をあげた。
「そうじゃ。新田殿は、刀で切られても死なない、不死身一族の末裔なのじゃ」
「そうだったん……」
「で、新田殿、ふくらみの下はどうでごじゃった?」
「たしかに、翼らしきものがあるようですが……。皮がむけるまで、もうしばらくはかかりそうですね」
「で、どのくらいでごじゃるか?」
「わたしに聞くんですか? あやめ様は天狗改役でしょ。古文書には何と書いてあるんですか?」
「ううっ……」
「吸血鬼との戦いは今日ですよね」
「そうでごじゃる」
「では、今の段階で翼が生えていなければ、戦いに参加するのは無理ですね」
「いや、わらわに良い考えがあるでごじゃる」
「何です?」
「皮をむくのでごじゃる」
「無理矢理ですか?」
「そうでごじゃる」
「う~む。やってみる価値はあるかも知れません」
「うむ。では新田殿、頼んだでごじゃる」
「えっ? わたしがやるんですか?」
「決まっておるではないか。皮をむく時、血が出るでごじゃろう」
「おそらく」
「やんごとなき家柄の公家は、血を見る仕事はしないのでごじゃる。血を見る仕事は、全て武家の仕事なのでごじゃる」
「たしかに、歴史的にはそうですね。では、やりましょう」
「うむ。任せたでごじゃる」
「それでは、りよ先輩、そのポン刀貸してください」
「ポン刀? 馬鹿者! 日本刀をバカにするな!」
「すみません」
「それに、刀は武士の魂だ。他人に自分の魂を貸すことはできん」
「では、仕方ありません。これを使います」
新田は、自分のポケットから、折り畳み式のナイフを取り出した。
「新田、ちょっと待て」
「なんです? りよ先輩」
「もしや、そのナイフで、この子の背中を切るつもりではないだろうな」
「切るというより、背中の皮をはがすだけです」
「そんなこと、するな!」
「なぜです?」
「ケガをするだろうが!」
「だいじょうぶです」
「だいじょうぶなわけないだろ!」
「いえ、もう翼らしきものが形成されていますので、治りも早いでしょう」
「おまえと一緒にするな!」
「わたしだけではありません。たとえば、ほら。メロの顔を見てください」
新田が指さすと、全員がいっせいにメロを見た。
「あっ!」
りよが驚きの声をあげた。
「えっ? どうしたん? メロの顔になんかついてるん?」
「逆だ。車に乗った時には、顔面お岩さん状態だったのに、アザがきれいに消えている」
「あれっ?」
新田がメロに近づき、顔をのぞき込んだ。
「ど、どうしたん? そんなに近くで見つめられると、恥ずかしいやん」
「右目の下に、まだ小さなアザが残ってる。意外と治りが遅いな」
「今日は、満月じゃないし……」
「そっか。オオカミ人間は満月の時は最強だけど、新月の時は一般人並みなんだっけ」
「で、今日の月の満ち具合は、どうでごじゃる?」
「えっ? あやめ様は調べていないんですか?」
「そうじゃ」
「威張って答えないでください! もし今日が新月だったら、どうするんですか!」
「さっき変身したから、新月以外でごじゃろう」
「それはそうでしょうが……」
「今夜は、半月やねん」
「あやめ様の計画って、かなりずぼらな感じがしてきました」
「だいじょうぶでごじゃる。今のところは順調でごじゃる」
「そうですかね」
「いいから早く、皮をむくでごじゃる」
「はいはい」
新田は、ひな子の背中のふくらみの下に、ナイフの刃をあてた。
「ひなちゃん、最初はちょっと痛いけど、がまんしてね」
「はい」
「じゃ、いくよ」
「ううっ」
「痛い?」
「ひなこ、がまんします」
「新田、血が出てきたぞ」
「分かってます」
新田は、ナイフの刃先を横に動かした。
「ううっ」
「あっ! 何かどろっとした液体が出てきたぞ!」
「そんなに興奮しないでください、りよ先輩。ただの体液です」
新田は、切れ込みに左手の指を入れた。
「あぁ、だめぇん、おにいちゃぁん……」
「何がダメだ。まだ一本しか入れてないぞ」
「だってぇん、敏感なとこだからぁん」
「二本目、入れるよ」
「いやぁん。おにいちゃぁん、指を何本も入れちゃ、ダメぇん」
「まだ三本しか入れてないよ。次、四本目入れるから」
「いやぁん。四本なんて、無理ぃ~」
「あっ、入った。じゃあ次、五本目」
「無理むりむり~!」
「入った! 入ったぞ!」
「痛いよ~。おにいちゃん、抜いてぬいてぇ~」
「もうちょっと。あと少しで手首まで入るから」
「手首なんて、無理むりむり~!」
「あっ! 入った!」
「あぁん! いやぁん! 変な感じぃ~! 早くぬいてぬいて~!」
「新田、何やってんだ?」
「翼をつかみました。今から引っ張り出します」
「無理むり、さけちゃうから、むり~!」
「新田殿、横にも切れ込みを入れたらどうでごじゃる?」
「そうですね」
新田は、ふくらみの右横にも、ナイフで切れ込みを入れた。
「あっ!」
りよが、驚きの声をあげた。
「先っちょが出てきた」
「ひなちゃん、リラックス! 肩の力を抜いて!」
「おにいちゃぁん!」
「出てきた、出てきた」
右の翼が、背中の皮の下から露出した。三〇センチほどの大きさだ。
「なんと言おうか、言葉で表現するのが困難な色と形状だな」
「そうですか? 羽根をむしられたニワトリの翼みたいに見えますが」
「拙者は、そんなもの見たことない」
「まだ、小さいでごじゃるな」
「これでは、空を飛べないかもしれません」
「いや、分からぬでごじゃるぞ。重要なのは翼の大きさではごじゃらぬ。天狗は風を起こし、風を操る特殊能力を持っているのでごじゃるからな」
「次、左側、いきます」
同様の方法で、新田は、左側の翼も露出させた。
背中の皮は、上と内側の部分でつながっているものの、下と外側の部分は、切り離された。傷口から出た血は、二、三秒ですぐに止まった。
「さてっ、と。ひなちゃん、翼を動かしてみて」
「う~ん」
ひな子は力んでみたが、翼はピクリとも動かなかった。
「あれ? あやめ様、そんなに離れてどうしたんです?」
「大風が起きたら、吹き飛ばされてしまうでごじゃる」
「たしかに。本当に覚醒していたら、の話ですが」
「ひなちゃん、肩胛骨を動かしてみて」
「健康骨って、どれですか?」
「じゃあ、肩を動かしてみて」
ひな子は両肩を上下に動かしてみたが、翼はまったく動かなかった。
「では、翼を動かすのはあきらめて……」
「あきらめが早いでごじゃるな」
「次は、風を起こせるかどうかを確認しましょう」
「うむ。それは重要でごじゃる」
「では、あやめ様、駐車場の奥のブロック塀の前に立ってください」
「うむ。立ったぞ」
「では次に、頭の上にリンゴをのせてください」
「むむっ。ものすごくイヤな予感がするでごじゃる」
「だいじょうぶですよ」
「そもそも、リンゴなぞ、ないでごじゃる」
「では代わりに、わたしのテニスラケットを使いましょう。この網の部分が、顔の前にくるように持ってください」
「むむっ。さっきよりも、もっとイヤな予感がするでごじゃる」
「で、一〇メートル先から、このラケットの網の部分を狙って、ゆみ先輩が矢を放ちます」
「こら~! それではわらわの顔に矢が刺さってしまうでごじゃる! それでは、世界一の美少女が台無しでごじゃる」
「世界一の美少女?」
「いや、それは……。そんなことを言うとは、新田殿、わらわに惚れているでごじゃるな」
「ゆみ先輩、心臓をねらっちゃってください」
「あ~! 待つでごじゃる! わらわが死んだら、一大事でごじゃる。新田殿、なぜこんなことをするのでごじゃるか?」
「ご心配なく。ひなちゃんが横から風を起こして、ゆみ先輩が放った矢を、吹き飛ばします」
「なるほど。覚醒天狗ならば、矢の軌道をそらすことなぞ、造作のないことでごじゃる」
「そのとおりです」
「じゃが、ちょっと待つでごじゃる」
「まだ何か?」
「もし風が起きなかったら、わらわに矢が刺さってしまうではごじゃらぬか」
「その時は、自己責任です」
「自己責任?」
「そうです。覚醒していない天狗を仲間に加えた罰で、死んでください」
「イヤでごじゃる!」
「さあ、ゆみ先輩、そこから矢を放ってください」
「そうじゃ。こうすれば良いのでごじゃる」
あやめは、ラケットを持った右手を、横に伸ばした。
「早川殿、このラケットの先端を狙うでごじゃる。これなら風が起こらなくても、わらわは無事でごじゃる」
「では、ゆみ先輩、矢を放ってください。あやめ様の手にうっかり当てちゃっても、構いませんから」
「なんじゃ、それは!」
ゆみは、矢を放った。その矢は、ラケットの網目の真ん中に命中した。網を切り裂き、矢は、背後のブロック塀に突き刺さった。
「うっ。新田殿の言うとおりにしていたら、わらわは死ぬところでごじゃった」
「ひなちゃん、ひょっとして、風を起こすの忘れてた?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあ、もう一度! 今度はわたしが号令をかけます。号令と同時に、ひなちゃんも風を起こしてね」
「はい。ひなこ、がんばります」
「それでは、よ~い、放て!」
ゆみが、矢を放った。矢は、ラケットの枠の部分を通り、ブロック塀に突き刺さった。今度も、風は起こらなかった。
「飛んでる矢を吹き飛ばすのは、ちょっと高度すぎる技だったかなあ。じゃあ、ひなちゃん、何でもいいから、風を起こしてみて」
「はい。がんばります」
ひな子は、二つの小さな拳を握りしめ、力んだ。
だが、五分以上たっても、風は起きなかった。
「あやめ様、まだ覚醒していませんね」
「じゃが、電話では、夕べ覚醒して突風を起こしたということでごじゃったが……」
「今の段階では、意識的に風を起こすことができないので、今日のところは、連れて行くことをあきらめましょう」
「う、うむ。やむを得んでごじゃるな」
「おにいちゃぁん! ひなこを捨てないでぇん!」
突然、ひな子が新田の背中に抱きついた。
「えっ? 捨てるって、何?」
「実は、ひなこ、もう帰る家がないの。夕べママとケンカした時、すごい突風が起きて、家の中がメチャクチャになったの。そしたら、ママが、こう言ったの。もうおまえは、うちの子じゃありません。これからは、四条家に生涯仕えるのです。だから、もう二度と、この家には戻ってきてはいけません」
「そうだったんだ……」
「だから、ひなこには、もう帰る家がないんです。まだ覚醒してなくても、何でも言うこと聞くから、おそばにおいてください」
「そうか……。しかし今日の相手は、凶暴な吸血鬼だしなあ」
「ご主人様ぁ!」
今度は、メロが新田の胸に飛び込んできた。
「メロも実は、帰る家がないんよ。オオカミに変身したメロを見て、ママは、あんたなんかうちの子やないって言うて、家を追い出されたんよ。それ以来メロは、高校の体育館の倉庫で、寝泊まりしてるんよ」
「ううっ。ホームレス女子高生にホームレス女子小学生か……。まるで現代社会の縮図のような……」
「新田! おぬし何とかしろ!」
「何とかと言われても……」
「戦力にならなくても、連れて行くだけ連れてって、安全な場所に待たせておけばいいだろ」
「危険はないでごじゃる。天狗には、ヴァンパイア・ウイルスは感染しないでごじゃるし、ケガをしてもすぐに治るでごじゃる」
「それなら、連れて行きましょう」
「おにいちゃぁん、ありがとう」
「これこれ、わらわにもきちんと礼を言うでごじゃるぞ」
「あやめおねえちゃん、ありがとう。ひなこは、一生懸命つくします」
七人は、車に乗り込んだ。 第五章・終




