語尾を強制的に変化させる魔法
語尾を強制的に変化させる魔法を教授が発明した話です。
「それで、語尾を変化させてどうするでゲスか?」
准教授である川上が、マッドサイエンティストの教授にそう尋ねた。
「これで世界征服が可能だとは思わないか」
教授が人差し指で指した先には、猫耳カチューシャをつけた女性が、主人公風の男に絡んでいるという状況があった。
「それでぇ、主人公くんはぁ、拙者のことが好きでごわすかっ?南無三!」
教授が満足気に謎に光る杖をしまうと、猫耳女性は凄まじい焦燥感で主人公風の男性に弁解をしていた。「拙者は拙者ではござらぬ!南妙法蓮華経!」だとか「ごわすというのはご破算ごわさん!ハッケヨイ!」だとか、わけのわからぬ言葉をすごい勢いで羅列していたのだ。
主人公風の男性も主人公風の男性で「ココはジャパンシティデス。アナタノ語尾ハオカシクナッテイマスネ」と、ロボットのようになっていた。
「……正直に言うとでゲス」
川上は猫耳の女性を指し示した。
「あれが世界征服でゲスか。語尾が壊れゲシて会話が成立しなくなるだけでゲス。混乱は起きゲシても、支配はできないでゲしょうでゲス」
教授は、今度は笑わなかった。むしろ満足げに頷いた。
「そうだ。猫耳女性に当てたものは失敗作だよ。無作為に語尾を破壊するだけの校正前の試作品だ。君に見せたのは――変数が"実在する"という証明にすぎない」
教授は杖をしまい、代わりに薄い手帳を一冊、白衣の内から取り出して読み上げた。
「川上くん、なぜ人は王に逆らえないと思う。兵力か。監視か。違う。逆らう文を、口にできないからだ」
川上は眉をひそめた。
「考えてみたまえ。クーデターには文が必要だ。『我々はあの男を倒す』。革命には『お前の命令には従わない』。組織化とは、突きつめれば上位者へ向けた命令文と拒否文を、複数の人間が共有する作業なのだ。逆に言えば、その構文を人間の口から消し去れば、不満は永遠に蜂起へ至らない。憎しみは募る。だが、誰一人それを言えない。言えないものは、共有できない。共有できない反逆は、組織にならない。ワーハッハッハ!」
「そんな魔法は、さっきのを見るかぎり無理でゲスけど」川上は鼻で笑おうとした。「語尾は壊れても、文の構造ゲスまでは――」
「役割語は、ただの飾りではないのだよ」教授は静かに遮った。
「語尾は、話者が自分をどんな立場の人間だと思っているかの宣言だ。
『〜してやる』と言える者は、自分を上位だと信じている。
『〜いたします』としか言えない者は、自分を下位だと身体で知っている。
語尾を固定するということは、その人間の社会的な自己像を固定するということだ。
私が手を入れたのは音ではない!人類の、構文の許される範囲そのものなのだ!」
手帳のページには、緻密な術式が、ただ一行に収束していた。
「校正後の魔法は、地球上のすべての人間の言語から、たった二つの構文を削除する。私へ向けた"命令形"と、私へ向けた"拒否文"だ。代わりに一つだけ残す。私からの、下方への命令文をな。これで言語の階層樹は、頂点が一つだけの、完全な木になる。逆らう文を持たない人類と、逆らわれる文を持たない私。これが絶対主権なのだ!」
「だとしても、世界中に届けるには――」
「クックックッ。実を言うと、五分前に衛星から流し終えた」
川上の喉が、鳴った。
教授が顎をしゃくった先、研究室のモニターには各国の中継が並んでいた。
安全保障理事会で、ある大使が立ち上がり、口を開く。糾弾の演説のはずだった。だが彼の唇から漏れたのは、宛先を失って空転する音の羅列だけだった。「あの男を――あの男を、わ、私は……」そこから先の構文が、もう彼の中に無い。彼は座り直し、自分の手を、信じられないものを見るように見つめた。
統合参謀本部のスクリーンでは、将官たちが攻撃命令を起案しようとして、ペンを止めていた。標的の欄に名を書き、命令文を綴ろうとするたび、文がほどけて敬称に巻き戻る。「対象を、排除せよ」が、口の中で「対象を、お迎えせよ」に勝手に組み変わる。誰も、それを声に出して笑えなかった。笑いを向ける相手すら、もう文法の中に居なかったからだ。
世界が静かになっていった。怒りが消えたのではない。怒りを差し向ける文が消えたのだ。
「せ、せんせい……」川上は一歩、後ずさった。声を絞り出す。「あなたは、間違っている。私は、あなたには――従わ……ゲ……ゲ…ゲス…!ゲスゲス!ゲス!」
言葉が、ゲスで凍った。
「従わ」の続きが、ゲス以外出てこない。喉まで来た拒否が、宛先に触れた瞬間、するりとほどけ、別の形に巻き戻っていく。彼は三日前から飼い慣らされていた「でゲス」が、今この瞬間、本当は何のための"首輪"だったのかを悟った。あれは、構文を上書きできる証明。そして、最初の一頭を繋ぐ、引き綱だったのだ。
川上の口は、彼の意思とは無関係に、最後まで動ききった。
「――かしこまりました」
教授は、笑いもしなかった。ただ手帳を閉じ、誰にともなく、ひどく穏やかな声で、世界へ向けて最初の一文を発した。
「では、始めましゅでちゅ」
地球上のすべての言語が、その文に返せる答えを、もう一つしか持っていなかった。
「お前の語尾も変わるんかよ」と。




