第1話:天花寺弓弦という探偵
ゆっくりと瞼を持ち上げて見慣れた天井に目を向ける。ベッドの柔らかい感触を背に暫し瞬きをしてから額に手を当てた。
「頭が痛い」
酷く痛むというほどではないけれど、地味にくる。どうして痛むのだろうかと考えて、思い出した。昨夜、居酒屋で酒を飲んだことを。
次の日が久方ぶりの非番だったこともあってか、少々飲んでしまっていた、気がする。飲みすぎるとは刑事としてどうなんだと、頭を押さえながら身体を起こせば、リビングルームのほうから音がした。
テレビから流れる朝の情報番組のナレーション、ぱたぱたと歩く足音。嫌な予感、とは言わないが察してベッドから下りたタイミングだった。
「尊さん、月城さーん。つーきーしーろーたーけーるーさーん」
「……何度も呼ばないでくれ、弓弦くん」
名前を呼ばれて尊は寝室の扉を開けた。リビングルームの奥、ダイニングキッチンの向こうから綺麗に整った顔がひょっこりと出てくる。
尊よりは少し低い、けれど長身でスタイルの良い体格の青年は襟足の長い黒髪を結っていた。起きてきた尊に「寝すぎですよ」と呆れたように言う彼は天花寺弓弦という大学生だ。
弓弦は料理が盛られた皿を差し出して、「テーブルに置いてください」と家主のように指示を出してきた。皿を受け取りながら尊は「何をしているんだ」と一応、聞いておく。
「何ってお腹が空いたので朝食を作っただけですが?」
「此処は俺の自宅なんだが?」
我が物顔で何をしていると尊が問えば、弓弦は覚えていないのですかと眉を寄せた。
「貴方、昨日は飲み過ぎて潰れたんですよ」
抱えていた事件が一つ片付いてやっと休みとなったこともあり、尊は弓弦と二人で飲みに行った。弓弦は〝認められた探偵〟として協力してくれていたから労う意味も込めてと、言われたからだと話す。
そうだ、弓弦と飲んでいた、居酒屋で。そこまで思い出して、彼の発言に自分が迷惑をかけたのだと理解した。あーっと焦げ茶の短い癖っ毛を掻いて、尊は皿をテーブルに置きながら椅子に腰を掛ける。
普段の爽やかな端整な顔立ちが二日酔いで台無しになっていると弓弦に指摘されても尊には関係がなかった。両肘をテーブルに突いて顔を覆いながら深く息を吐く。
「俺は君に何をした」
「酔いつぶれて家まで送ってくれと甘えられましたね」
「甘えてはない」
「貴方、人前で酔いつぶれない方がいいですよ」
否定する言葉に現実を突きつけてくる弓弦の返しに、尊は恥ずかしいところを見られたことへの羞恥よりも、自分の駄目さに苛立った。酒を飲むといつもこうだ、つい加減を間違えてしまう。
元恋人の女性たちにも「あんまりお酒は飲まないほうがいいよ」などと言われていた。今回は何をしていたのか、自分は。面白いぐらいに甘えてきたと弓弦は笑っている。
全く覚えていないので尊は何も言い返せない。彼は「僕は面白かったのでいいですが」と特に気にしている様子はなかった。
「尊さん、まだぎりぎり二十代とはいえ、飲み過ぎはよくないですよ。キャリア組で一課の警部なんですから」
「仕事仲間たちとは飲まないようにしているから大丈夫だ」
尊は自分が酔いつぶれると少々、弓弦のいう甘えが出てしまう。そんな姿を上司や同僚、ましてや部下たちにはとてもじゃないが見せられない。
できれば誰にも見せたくはなかったのだが、やっとくる休暇に気が緩んだのだろう。不覚だと尊はまた深く息を吐いた。
「それだけ気を許してくれたってことで」
「まぁ、君のことを信頼していないわけではないけれど……」
弓弦とはここ最近、知り合った。現在、警察では実力が認められた探偵と協力関係を結んでいる。
認められた探偵はほんの一握りであり、彼らは警察と共に捜査することができるのだが、彼もその一人だ。
天花寺弓弦。誰もが知っている大御所ミステリー作家、綾坂寿一郎の孫という点以外はいたって普通の大学生だ。
けれど、彼は数々の事件を解決に導いている、祖父の生み出した探偵たちのように。
尊は彼の活躍を上司である源藤管理官から聞いているのだが、現実味が全くといってもいいぐらいにはない。何せ、高校三年生の時からだと言うのだ。
高校生探偵など漫画や小説じゃあるまいしと思ってしまうのは当然ではないだろうか。
だが、認められた探偵として捜査協力を依頼されているのだから納得するしかない。自分もこの目で彼が解決に導く瞬間を見てしまったのだから。
まだ日が浅いけれど、悪い子ではないという信用はあった。そこまで考えて、彼は自分の部下や上司、同僚といった枠組みではないから気軽に居られたというのが、今回の敗因だと尊は結論を出した。
ことりとテーブルに物が置かれたのを感じて顔を覆っていた手を下した。目玉焼きの上に乗せられたこんがりと焼かれたベーコンの良い香りがする。
レタスとトマト、茹で卵のサラダにドレッシングがかけられた。二枚置かれたトーストの皿をはいと差し出される。
「尊さん、自宅に帰らない時とかあるでしょうに、食材が冷蔵庫にあってびっくりしました。恋人いませんでしたよね?」
「独り身だよ。食材は朝だけは自分で作るようにしているからだ」
朝食だけはまともなものを食べようと気をつけているのだと尊が答えれば、弓弦は「毎食、まともなものを食べてください」とトーストにジャムを塗った。
「それはいいとして。君は他人の家で勝手に食材を使って朝食を作るんじゃない」
「えー、だってお腹がすきましたし」
「許可を取りなさい、許可を」
「長めに寝かせてあげようという僕の優しさだったのですがねぇ」
何が優しさだろうかと、尊は突っ込みたくなったが笑って流されるのを短い付き合いで知っている。なので、出そうになった言葉をベーコンを口に含むことで押さえた。
テレビの情報番組から「認められた探偵、事件解決」などと流れてくる。観てみれば弓弦とは違う探偵が取材を受けていた。
尊も見たことがあったが、捜査第二課に協力している人物だったので関りはあまりない。
「弓弦くんはテレビに出たいと思わないのかい?」
「嫌ですよ、面倒くさい」
それはもう嫌そうに弓弦は顔を顰めた。テレビの取材班に付き纏われるのも、周囲に持ち上げられるのも、面倒くさすぎると彼はトーストを齧る。
それに自分の立場的に面倒になるのは確定だと弓弦は眉を寄せた。確かに捜査一課の協力者となれば特に食いついてきそうではある。
「テレビに出ている探偵はマスコミたちの目を向けさせる、言わば身代わりみたいなものだからなぁ。君はお祖父さんが有名だから逆に目立ちそうだ」
認められた探偵というのは世間でも知られていることだった。人間というのはそういった珍しい存在に興味が行くもので、あれこれと詮索をしてくる。
捜査中など関係なく追い回してくるため、表に出て彼らの目を惹かせる身代わりが必要になるのだ。
このテレビに出ている探偵も、口が堅く信頼されており、なおかつ対話能力が高い。コミュニケーション能力もあるのでその役目を任せられているのだろう。
「彼は確か口が堅すぎるで有名だったかな」
「口が堅いというか、そもそも捜査内容を喋るような人は認められていませんよ」
口が堅いというよりも、捜査内容などを喋らない、余計なことを言わないは当然の要素だ。それから捜査能力が求められて、貢献した実績によって認められる。
なので、大金を積まれても、脅されても語ることはない、それが警察と協力することができる探偵だ。
「身代わりも大変ですよね。僕には無理です」
「君ははっきり物を言うから駄目だろうね」
弓弦は遠慮なく物事をはっきり口に出す。嫌味な事や、下手な質問などされれば、容赦なく指摘するので喧嘩になりかねない。それでマスコミに大袈裟に取り上げられて目立ちそうだった。
こういうのは得意な人がやるべきなんですよと弓弦はコーヒーを飲む。
「これ美味しいですね」
「君、これ高い豆だって知ってて淹れただろ」
「もちろん」
それはそれは綺麗に微笑まれて尊は眉を下げた。自分のやらかした結果なので文句を言うに言えない。
甘えた部分は誰にも言わないと笑みを向けられる。なんだろうか、この負けた気分は。尊はなんとも言えない感情を味わう。
そんな心境など知ったことではないと弓弦は「あとでもう一杯、飲もう」と当然のように言った。
「君ね、遠慮はないのかい」
「ないですね。少なくとも貴方には」
「……はぁ」
何故、即答するのか。尊は深い溜息を吐いた。弓弦は気にするでもなく朝食を口に運んでいる。全く、遠慮などしていない。
「帰れないって寿一郎さんに連絡したら、笑っていましたからね」
「君のお祖父さんに会ったら目の前で笑われそうだな……」
七十歳を超える弓弦の祖父、寿一郎は今でも現役で小説家をしている。昔よりも本の出版数は減ったにしろ、それでもまだまだ人気だ。
元気なうちにバディを組んでいると一度は挨拶をしないとなと思っていたが、会う前に酒に酔いつぶれた男としての印象を与えてしまった。
「寿一郎さんは気にしませんよ。あぁ、そうだ。冷凍庫に入っていたアイス食べますね」
「そこは了承を得るところじゃないのかな?」
てへっとわざとらしくしてみせる弓弦に尊は本当に遠慮がないなと思う。そういえば、初めて会った時も遠慮がなかったな、いろいろと。
尊の頭には少し前の、弓弦と顔を合わせた日の出来事が色褪せずに残っていた。




