王女の苦悩
風呂場から、ルッカの楽しそうな声が弾むように響いてくる。湯気と一緒に笑い声まで流れてきそうだ。
その音を背景に、椅子に座ったフィオナがお茶を口に含み、静かに話し始めた。
「ルッカは本当に楽しそうで羨ましいわ。私もあれくらい何も考えずにこの世界を楽しみたいものだけれど……色々考えてしまうのよね」
湯呑みを持つ指先が、わずかに強くなる。
異世界に置いてきたもの。
この世界で生きることへの不安。
帰れるかどうかも分からない焦燥感。
きっと、そのどれもが彼女の胸の奥に重く沈んでいるのだろう。
ルッカも言っていたが、フィオナは真面目すぎる。悪いことではない。けれど、肩に力が入り続ければ、いつか折れてしまう。
どう声をかけるべきか考えていると、フィオナが視線を落としたまま続けた。
「実際、楽しくはあるわ。見るもの全てが新鮮で、体験する事も初めての事ばかり。でも、私は王女なのよ。王位継承権があろうとなかろうと、私は国に尽くして民を守っていかなければいけない立場なの……ルッカもそのはずなんだけれどね」
最後は少しだけ、呆れたように零す。
責任感。俺には縁遠い言葉だ。
魔法も使えないただの現代人で、じいちゃんの本が勝手に暴走して二人を呼び寄せてしまったかもしれない張本人。
そんな俺が言えることなんて、たいしたものじゃない。
「無事、帰れた時に頑張ればいいんじゃないかな。今考えても問題は解決しない訳だし。まぁ、じいちゃんから貰った本のせいかもしれないし、俺が言うのは違うかもしれないけど……それにさ」
一度言葉を切って、フィオナを正面から見る。
「ここには未知や未体験が沢山ある。知識を持ち帰るだけでも、すごく国が助かるかも知れないよ」
そう言った瞬間、フィオナがはっと顔を上げた。
「そ、そうよね。ここにしかない知識や技術を持ち帰るチャンスでもあるのよね。そう考えたら、今の状況は決して悪くはないわよね。沢山勉強して学んでおかなきゃ……!」
さっきまで曇っていた表情が、一気に晴れる。瞳に宿る光が強くなる。前を向ける、強さを持っている。
「良かった、元気が出たみたいで」
「悪かったわね、みっともなく泣き言ばっかり聞かせちゃって。もう大丈夫。目標がハッキリしたから」
そう言って胸を張る姿は、やっぱり王女だと思う。
ひとまず安心だなと思ったその時、風呂場の扉が勢いよく開く音が響いた。どうやらルッカが上がったらしい。
脱衣所から出てきたルッカは、髪が見違えるほどさらさらになっていて、新品のスエットを上下きっちり着込んでいる。満足そうに自分の髪を指で梳き、その手触りを確かめるようにさらっと流してみせた。
「どうだ!」
凄く誇らしげなルッカを見て、その変わりように少し驚く。
「すごくさらさらになっているじゃない。どうして!?」
フィオナが思いきり身を乗り出す。
「ここのシャンプーとリンスはすごいんだぞ! 今までの髪が嘘みたいなんだぞ!」
異世界で何を使っていたのかは知らないが、違いは一目瞭然だった。
前も別に不潔だったわけではない。ただ少し、乾燥した森の枝みたいにごわついていたのだ。
今は、照明の下で輪のように光が浮かぶほどだ。
「こうしちゃいられないわ!」
フィオナは勢いよく立ち上がると、自分の部屋へ駆け込み、スエットと下着を抱えて全速力で脱衣所へ飛び込んだ。
ばたん、と扉が閉まる。
「珍しく慌ててたね」
冗談めかして言うと、ルッカは珍しく真顔でこちらを見た。
「女なら当然なんだぞ。むしろ反応が薄い方が信じられないんだぞ」
言い切った。なるほど、ルッカもしっかり女の子していた。




