舞…
研修最終日
グラスの持ち方からテーブルマナー、歩き方に立ち居振る舞い、所作にホストの美学、接客に至るまで紫苑に教わりいよいよ
麗は店内で先輩ホストの薫のヘルプで接客することになった
「翠玉、初回の姫に着いてみろ」
「はい、紫苑様。あの、どなたのヘルプですか?」
「ひとりでやってみろ…初回の姫は緊張しているから相手が同姓だとホッとするだろう。
お前のやりたいように接客してみろ」
「紫苑様! 研修でいきなり姫を任せるのは…俺のヘルプで着かせますよ」
ナンバー4のリオを紫苑はギロリと睨みつけると「いつから意見するようになったんだ? 偉くなったものだな…」
リオは顔色を変えて頭を下げる
「す、すみませんでした。ご無礼をお許しください」
「翠玉の素質を見てみたい。余計な口を挟むな…責任は俺がとる」
有無を言わせない紫苑のオーラにリオは黙って頷くしかなかった
「初回なんですけど…誰でもいいから話を聞いてほしいの」
見た目からしてお嬢さんらしい長い黒髪の清楚な19くらいの女性だ
泣きはらした瞳が痛々しい
麗は彼女を見た瞬間、心から血を流しているのを感じとる
「いらっしゃいませ。姫。翠玉と申します」
跪く翠玉をチラリと見て女性は首をかしげる
「女の人…よね…レズ?」
予想していた質問に麗は微笑んだ
「そう見えますか?」
「だって女がホストしないでしょう…ま、いいや。
水割り頂戴……名刺いらないから話だけ聞いてくれる?」
「かしこまりました姫…何てお呼びすればよろしいですか?」
「舞…」
「舞様…美しい響きですね。お着物で舞われるお姿が浮かぶような…」
舞は驚いたように麗を見つめた
「よくわかるわね…日舞の師範だけど…」
「鷺娘とか似合いそうですね」
「詳しいわね…十八番よ…でも私、もう踊れない…踊れないのよ」
いまにも溢れだしそうな感情を吐き出させてあげなくては…
麗は無言で水割りを作りながら舞を見つめた
「お兄ちゃんが…私に舞を教えてくれたのはお兄ちゃんなのに…勝手に…いなくなっちゃって…
相手役はお前しかいないって言ってたのに…!! 人妻と不倫して心中なんて…」
そこまで言うと舞はテーブルに伏せて号泣する
そうか…わかる…最愛の人に取り残される辛さは泣いてどうにかなるものじゃない
麗は泣き崩れている舞の頭をそっと撫でた
「ぼくもね…最愛の妹に先立たれたんです…何度も後を追おうとしても逝けなかった死にぞこないの成れの果てです」
嗚咽をあげていた舞の肩がピクリと反応した
「妹さん…どうして?」
「体の弱い子でした…最後の最後まで僕を心配してた…」
麗の瞳からとめどなく涙が溢れていた
それが演技でないことは同じ悲しみを背負った舞には痛いほど感じられる
「愛して…いたのね…あなた…」
麗はコクリと頷いた
「理想でした…でも言えなかった…同じ血族の妹だから…彼女を苦しめたくなかった」
「じゃあ…思いを伝えないまま…おんなじね…」
「舞様…」
「私も兄がすべてだった…誰と付き合っても比べちゃってうまくいかなくて…気持ち悪いんだもの。
お兄ちゃん以外に触れらるなんて考えただけでゾッとする! でも…でもね、舞台で一緒に踊っている時は恋人でいられたの。
私…お兄ちゃんの踊りが大好きだった…」
「なのに…どうして? どうして他の女と…お兄ちゃん、私が誰かとデートするたびにムッとしてたじゃない!」
麗はまた泣き出す舞の頭を撫でると優雅に席を立ちカウンターにノンアルのドリンクをオーダーするとテーブルに戻り
オレンジの輪切りにストローが添えられたオレンジジュースをそっと差し出す
コト…
「喉…乾いたでしょう? ビタミン補給も兼ねて乾杯しましょう」
慟哭し続ける自分にドン引きせず優しい微笑みを浮かべる麗にいつしか舞の警戒心はほどけていた
「美味しい…オレンジジュースなんて飲むの…何年ぶりかしら」
「僕の特効薬。悲しいときはお酒じゃまぎれなくてこれ一択(笑)」
「翠玉…翠って呼んでもいい? 」
「名前、憶えてくださったんだ! 嬉しい。どうぞお心のままに…」
「オレンジジュース…妹さんが好きだったの?」
麗は寂しそうに微笑んで首を横に振った
「いえ…あの子はミントティーが好きだったんです…私がオレンジジュースが好きだからミキサーで作ってくれてね…」
愁いを含んだ例の美しい顔をまじまじと見ていると不思議と暗闇と絶望の渦が遠ざかっていくのを舞は感じた
このひとは…同じ悲しみを背負ってる
だから涙と言葉に嘘がない…
「ほんとは…べろべろに酔って兄のところに逝くつもりだった…でも…またあなたに会いたくなったから今夜はやめておくわ。
名刺、くれる?」
麗はその言葉に反応して舞の手を両手で包み込むように握りしめると囁いた
「そんなことしても再会できないんですよ。私も何度も失敗してね…まるで彼女が止めているみたいに…あの子は約束したんです。
絶対に生まれ変わるから待っててって…」
「お兄ちゃんも…枕元に立っておんなじこと言ってた…追っかけてくるな、絶対に会いに来るから待ってろって…
不倫で心中しといて説得力ないよね…バカ…みたいでしょう」
麗は握りしめた指に力を込めると舞を見つめた
「バカじゃない…兄上は他人として生まれ変わりたいのではありませんか? 」
「そんな…だって私を置いてったのよっ」
「もしかして…本当に不倫だったのかな…」
「わかんない…だけど相手の女は生きてるわ…」
麗の顔色が変わった
見えてくる
まるでスクリーンのように舞の兄が許されない妹への想いにもがき苦しんで誰も愛さず、そんな彼に密かに想いを寄せていた女が
慰めるのにかこつけグラスに睡眠薬を入れ心中をはかり生き残ってしまった場面が麗の脳内に映し出された
物心ついたときから麗はこの特殊な能力に悩み苦しんでいた
口にしたところで信じてはもらえないだろう
せめて亡くなった兄の気持ちだけでも舞に伝えてやる方法はないかと考えてしまう
「今夜は帰るね…下まで送ってくれる?」
「喜んで…舞様…車をお呼びしますのでお待ちください」
数分後…タクシーが店の前に来ると舞は小さな手を差し出した
「不思議なひとね…あなたと話していたらなんだか少し…救われたわ…またね翠。
あ、私のこと、舞でいいわ…」
「大事な姫を呼び捨てにしたら兄上に叱られますよ…では…舞ちゃん、いつでも胸の内を吐き出してください。
あなたの心が少しでも安らぎますように…おやすみなさい…」
「ありがとう…おやすみなさい…」
手を振る舞の車が小さくなるまで見送ると麗はふと空を見上げて店内へと戻って行った




