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2.見えない視線

 数週間が過ぎ、メアリーはクレイブン卿の屋敷での生活に、ある種の息苦しさを感じ始めていた。


 伯父の陰鬱で支配的な雰囲気は、常に彼女を押し潰そうとするかのようだったが、メアリーは決して諦めなかった。


 この広大な屋敷のどこかに、幼い頃に別れたきりの、今は亡き母の面影があるはずだと信じていたからだ。


 屋敷の最上階、西の塔。そこには、ほとんど陽が差すことも稀な、重く閉ざされた一室があった。


 古びたベッド、整然と並べられた医療棚と薬瓶が置かれた机。外界とつながる唯一の窓は、塔の高い位置に小さく開いているだけだ。


 十五歳のコリンは、その窓辺に凭れ、庭の方をじっと見下ろしていた。彼の視線は、遠くに見える薔薇園に向けられていた。


 コリンは幼い頃から病を患い、骨も筋も驚くほど弱く、ほとんど屋敷の外に出ることがなかった。その病弱な体質ゆえに、彼は常に閉ざされた世界の中で生きてきた。


 時折、庭で作業をする父――クレイブン卿の姿を目にすることはあったが、近寄ることも、ましてや会話すらろくに交わした記憶がない。 

 父の姿はいつも遠く、まるで一枚の絵画のように、コリンの視界の中に静かに存在しているだけだった。


 ただ、一度だけ、忘れられない光景があった。それは、彼がまだ十歳だった頃のことだ。熱に浮かされて、夜中に窓辺に立った時だった。


 その時、外の庭で何かが動くのが見えたのだ。闇の中に、確かに父の姿があった。父は何かを引きずっていた。泥にまみれた白いものが、かすかに見えたような気がした。


 その翌日から、母の存在はこの屋敷から跡形もなく消え去った。誰も母について口にせず、誰もその行方を尋ねなかった。


 まるで、最初から存在しなかったかのように。


 それ以来、コリンは沈黙を選んだ。病弱であるという理由を盾に、誰とも関わろうとせず、あの夜のことも二度と口に出すことはなかった。 

 しかし、心の奥底では、あの忌まわしい夜の光景が、まるで烙印のように焼き付いていた。


 母は一体どこへ行ったのか。父は何を引きずっていたのか。幼いコリンには理解できない、しかし、深く恐ろしい謎が、彼の心の中に常に存在していた。


 だが今、その薔薇園に――一人の少女が現れた。コリンは、窓に手を伸ばし、冷たいガラス越しにメアリーの姿を追った。


 彼女は、薔薇の茎を折り、そこから流れ出る赤い液体をじっと見つめている。コリンの視線は、メアリーが持つ、まるで血のような赤い液体に釘付けになった。


「金の髪……」


 コリンの小さな声が、薄暗い部屋の中に吸い込まれていく。


「……見てしまったんだね」。


 その言葉は、誰に聞かせるでもなく、ただ空虚に響いた。まるで、メアリーが何か禁断の秘密に触れたことを予見しているかのようだった。


 次の瞬間、部屋の扉が音もなく開いた。現れたのは、顔色の悪い、無表情な老使用人――名をジャッドという。


 彼はクレイブン卿に長年仕え、妻の死の直後から、屋敷の医療係を任されていた男である。その表情には感情がほとんどなく、まるで仮面を被っているかのようだった。


 彼の存在は、常にコリンを監視しているかのような、得体の知れない重苦しさを伴っていた。


「坊ちゃま、お薬の時間です」


 ジャッドは抑揚のない声で言った。コリンは頷きながら、微かに尋ねた。


「……新しい客人のこと、知ってるかい?」


 ジャッドの目が、わずかに笑った気がした。


 その笑みは、病室の薄暗い空気の中で一層不気味に映った。まるで、何かを企んでいるかのような、冷たい光を宿していた。


「はい、嬢様がいらしております。ご両親を事故で亡くされたとか。……伯爵様の、姪御ですな」


 ジャッドはそう言って、コリンの問いに答えた。彼の言葉には、どこか突き放したような冷たさがあった。


「彼女は……あの庭を歩いていました。何か、起こる気がします」


 コリンはかすれた声で言った。彼の言葉には、不安と、ある種の予感のようなものが含まれていた。ジャッドは無表情のまま、細い目をさらに細めた。


「坊ちゃま、余計なことは考えぬ方が、病には良うございます」


 そう言ってジャッドは小さなガラス瓶を取り出し、コリンの枕元に置いた。


 その中には赤黒く濁った液体が入っていた。瓶の表面には微細な泡が浮き、見る者を不快にさせる独特の臭気を放っていた。


 その匂いは、まるで腐敗した肉のような、あるいは、もっと得体の知れない何かのようだった。


「また新しい薬……?」


 コリンは尋ねた。彼の声には、僅かながら抵抗の意思が感じられた。


「はい。お父上からの命でございます」


 ジャッドは静かに答えた。コリンは、指先で瓶をそっと撫でた。ふと、底に沈んだ何かが、どろりと蠢いたように見えた。


 それは、薬というよりも、まるで生き物のように感じられた。コリンは薬を飲むふりをして、そっと枕の下に隠した。


 彼の脳裏には、先ほど窓から見たメアリーの姿と、あの忌まわしい夜の光景が重なって映っていた。あの白い物体は一体何だったのか。


 そして、なぜメアリーはあの薔薇園を歩いていたのか。コリンの心は、新たな不安と疑念に満ちていた。


 一方その頃、メアリーは薔薇園の中で、あるものを見つけていた。他の薔薇よりも背の低い、若木のような苗がある。


 その花は、赤ではなく、深い紫がかった黒。花びらはベルベットのような質感で、夜の闇に溶け込むような色をしていた。


 その不気味な美しさに、メアリーは思わず息を呑んだ。しかし、彼女の目を強く惹きつけたのは、その薔薇そのものではなかった。


 その根元に、何かが埋まっていた形跡――まるで、最近になって掘り返されたような土があったのだ。土は不自然に盛り上がり、その上にはまだ新しい小石が置かれていた。


 それは、誰かが何かを隠そうとしたかのような、不自然な痕跡だった。メアリーは、その土に手を伸ばしかけた。


 そのとき、背後で声がした。


「そこは、触らぬ方がいいですよ」


 振り向くと、そこに立っていたのはクレイブン卿だった。彼の目は、まるで獲物を狙う鷹のように鋭く、メアリーの全身を射抜くようだった。


 痩せた身体、鋭い眼差し。だがその瞳の奥には、何かが壊れたような、危険な静けさが宿っていた。その静けさは、嵐の前の凪のように、メアリーの心に不穏な予感を植え付けた。


 まるで、その静けさの奥に、狂気じみた嵐が潜んでいるかのようだった。


「……伯父様」


 メアリーは平静を装った。しかし、心臓の鼓動は激しく、その音は耳の中で激しく響いていた。


「この薔薇園、とても美しいですね」


 メアリーは無理に笑顔を作った。その笑顔は、彼女自身の不安を隠すための、精一杯の演技だった。


「そうでしょう。ここは……私の秘密の場所なのです。どうか、大切にしてやってください。……あなたも、気に入ると思いますよ。じきにね」


 クレイブン卿の微笑みは、酷く冷たく、メアリーの背筋に寒気が走った。彼の指が、若木の黒薔薇の茎をそっと撫でた。


 その仕草は、まるで愛しいものを慈しむようであったが、メアリーにはそれがぞっとするほど不気味に思えた。まるで、その黒薔薇が、クレイブン卿の心の闇を映し出しているかのようだった。

 クレイブン卿はメアリーから目を離さず、ゆっくりと薔薇の茂みの中に消えていった。


 メアリーは、彼の残した言葉が、まるで呪文のように心にまとわりつくのを感じた。「じきにね」という言葉が、彼女の心に深い不安を植え付けた。


 その日の夜、メアリーは自室のベッドで横になっていたが、眠りにつくことはできなかった。伯父の言葉と、あの黒薔薇の不気味な姿が、彼女の脳裏から離れない。


 窓の外では、風が唸り、木の枝が窓枠を叩く音がした。まるで、何かが彼女に語りかけようとしているかのようだった。


 その音は、メアリーの不安をさらに掻き立てた。


 深夜、屋敷の廊下から微かな物音が聞こえた。メアリーはベッドから起き上がり、そっとドアを開けた。廊下は闇に包まれ、何も見えない。


 しかし、確かに何かの音がする。それは、引きずるような音、そして、微かな喘ぎ声のようなものだった。その音は、まるで誰かが苦しんでいるかのようにも聞こえた。


 メアリーは好奇心に駆られ、音のする方へと足を進めた。廊下を進むにつれて、音は大きくなり、その不気味さも増していった。


 それはまるで、屋敷の深淵から聞こえてくるような、底知れぬ響きだった。階段を下り、地下へと続く扉の前に差し掛かると、そこからさらに大きな物音が聞こえてきた。その音は、もう隠すことのできないほどの大きさになっていた。


 扉の隙間から、仄かな光が漏れている。メアリーは息を殺し、そっと扉の隙間から中を覗き込んだ。


 そこは、屋敷の奥深くにある薄暗い地下室だった。埃っぽい空気と、腐敗したような異臭が鼻をついた。その匂いは、まるで死の匂いのように、メアリーの嗅覚を刺激した。


 そして、その光景にメアリーは息を呑んだ。クレイブン卿が、一人の女を肩に抱き、地下室の奥へと連れて行こうとしているところだった。


 その女は、先ほど伯父が屋敷に連れてきた娼婦だった。娼婦は酔っているのか、ぐったりと伯父の腕に体を預けていた。メアリーにはその娼婦の顔は見えなかったが、クレイブン卿の顔には、狂気にも似た愉悦の表情が浮かんでいるように見えた。


 それは、獲物を手に入れた獣のような、あるいは、禁断の喜びに浸っているかのような表情だった。


 メアリーは、あまりの衝撃に言葉を失った。全身が凍りつき、その場から一歩も動けない。クレイブン卿は、その女を地下室の奥へと連れて行った。


 そして、鈍い音が響いた。それは、まるで何かが閉じたような、重く、嫌な音だった。


 メアリーは慌ててその場を離れ、自室へと戻った。心臓は激しく鼓動し、呼吸は乱れていた。彼女はベッドに身を投げ出し、全身を毛布で覆った。


 あの光景は、彼女の目に焼き付いて離れなかった。伯父は、あの女をどうしたのだろうか。


 そして、あの娼婦の髪は、失踪した奥様と同じ色、鮮やかな金色だったような気がした。


 メアリーの脳裏には、あの黒薔薇の根元にあった不自然な土と、娼婦の金色の髪が重なり、言いようのない恐怖がこみ上げてきた。


 この屋敷の秘密は、彼女が想像していたよりもはるかに深く、そして、おぞましいものなのではないか。メアリーは、恐怖と混乱の中で、夜が明けるのをただ待つしかなかった。


 翌朝、コリンはいつものように窓辺にいた。彼の視線は、昨日からずっと、屋敷の庭、特に薔薇園の周辺に固定されていた。


 メアリーが屋敷に来てから数週間、コリンは彼女の姿を追うことに、ある種の安らぎを感じていた。


 彼女が薔薇園を散策する姿、時折、花に語りかけるかのように屈み込む様子、そして、陽光を浴びてきらめく美しい金の髪。その全てが、彼の心を掴んで離さなかった。


 しかし、その安らぎは、昨夜の出来事によって、深い不安へと変貌していた。


 彼は、昨夜、父が屋敷の地下から何かを引きずり出すのを、かすかに見た。その記憶は曖昧で、輪郭がはっきりしない。


 以前、十歳の時に目撃した何かの姿と酷似していたような、そうでないような、ぼんやりとした残像。


 しかし、その光景が、彼の心を締め付けていたことは確かだった。


 そして、今朝、父は機嫌が良さそうに朝食を摂っていた。その姿に、コリンは漠然とした嫌悪感を覚えた。父の笑顔の裏に、一体何が隠されているのか。その無垢な笑顔が、かえってコリンの心に冷たい水を浴びせかけた。


 ジャッドが薬を持って部屋に入ってきた。その無表情な顔は、いつもと変わらない。コリンは昨日と同様に、薬を飲むふりをして枕の下に隠した。


 ジャッドは何も言わず、ただ無言でコリンの行動を見つめ、無表情のまま部屋を出て行った。


 その沈黙が、かえってコリンを不安にさせた。ジャッドは全てを知っているのではないか。この薬が、自分を弱らせるためのものだと、薄々感づいているのではないか。


 コリンは、隠した薬瓶を手に取った。赤黒い液体は、まるで凝固した血のように見えた。瓶の表面に浮く微細な泡は、まるで生き物のように蠢いているかのようだった。


 彼は、この薬が自分を弱らせ、父の言いなりにさせるためのものだと漠然と直感していた。


 この薬を飲めば、彼の体はさらに衰え、思考力も奪われ、父の支配から逃れる術を完全に失ってしまうだろう。


「父さん……」


 コリンは小さな声で呟いた。彼の心は、父に対する拭いきれない恐怖と、メアリーへの複雑な感情で満たされていた。


 彼は、メアリーに真実を伝えたいとぼんやりと思った。


 この屋敷の隠された秘密を、父の闇を、彼女に教えたい。


 しかし、それは同時に、父を裏切ることになる。そして、その結果、自分がどうなるか分からない。病弱なコリンにとって、父の存在は絶対的なものだった。


 父の怒りを買えば、彼はこの屋敷の中で、さらに孤立し、生きる望みを失ってしまうかもしれない。


 彼は、自分の弱さを呪った。もし、自分が健康だったら、この屋敷から逃げ出すことができたかもしれない。メアリーを救い出すことができたかもしれない。


 しかし、彼は病弱で、屋敷の外に出ることすら叶わない。彼の体は、彼を屋敷の中に閉じ込める鎖のようなものだった。


 コリンは、窓の外の薔薇園を見つめた。メアリーが、薔薇の間に消えていくのが見えた。彼の心は、言いようのない不安に襲われた。


 彼女が、この屋敷の闇に飲み込まれてしまうのではないかという、漠然とした予感。彼の心は、深い苦悩と無力感に苛まれていた。


 数日後、メアリーは薔薇園で散策を楽しんでいた。陽光が降り注ぎ、色とりどりの薔薇が咲き誇るその場所は、一見すると平和な楽園のように見えた。


 しかし、彼女の心は常に張り詰めていた。伯父の目が、常に自分を追っているような気がしたのだ。彼は、メアリーの些細な動き、言葉、表情の全てを観察しているようだった。


 その視線は、まるで獲物を追い詰める捕食者のように、メアリーの心を締め付けた。


 クレイブン卿は、最近特にメアリーに執着していた。彼は、彼女の髪を褒め、その瞳の色を賛美した。まるで、自分の失踪した妻の面影を重ね合わせているかのようだった。


 メアリーが、伯父の失踪した妻に瓜二つであることは、屋敷の使用人たちの間でも囁かれていた。そのことが、伯父の執着をさらに強めているようだった。


 使用人たちの視線は、メアリーを憐れむような、あるいは、何かを恐れるような色を帯びていた。


 その視線が、メアリーの不安をさらに募らせた。


 クレイブン卿の執着は、日を追うごとにエスカレートしていった。彼は、メアリーが身につける服の色や、髪の結い方にまで口を出すようになった。


 そして、その要求は、失踪した妻の好みに酷似しているものだった。メアリーは、自分が伯父の失踪した妻の代わりとして、この屋敷に連れてこられたのではないかという、恐ろしい考えに囚われ始めていた。


 ある日の夕食後、クレイブン卿はメアリーを執務室に呼び出した。薄暗い部屋には、古びた書物と、無数の剥製が飾られていた。書棚には、黒魔術や錬金術に関する古めかしい文献が並び、不気味な雰囲気を醸し出していた。


 壁に飾られた動物たちの剥製は、生気を失ったガラスの目で、メアリーの心をぞっとさせた。まるで、その剥製が、この屋敷の秘密を全て知っているかのように、メアリーを見つめているかのようだった。


「メアリー、君は本当に美しい。失踪した妻を彷彿とさせる」


 クレイブン卿はそう言って、メアリーの髪にそっと触れた。その指先は、まるで獲物を品定めするかのように、ゆっくりとメアリーの髪をなぞった。


 メアリーは身の毛がよだつのを感じたが、笑顔でその場を乗り切ろうとした。


 その笑顔は、恐怖に引きつりそうになる口元を必死で抑え込んだものだった。


「ありがとうございます、伯父様」


 メアリーは震える声で答えた。


「しかし、君の美しさは、まだ完璧ではない。もっと、輝かせることができる」


 クレイブン卿の目に、奇妙な光が宿った。その光は、狂気と愉悦が混じり合ったような、形容しがたい輝きだった。


 彼は、メアリーに近づき、その耳元で囁いた。その声は、まるで蛇の舌のように、メアリーの鼓膜にまとわりついた。


「薔薇は、ある種の養分を吸って、より一層美しくなる。人間の魂が、薔薇に宿ることで、永遠の美しさを手に入れるのだ」


 メアリーは、伯父の言葉に背筋が凍りついた。彼の言葉は、まるで狂気を帯びた詩のようだった。


 その瞬間、彼女は、この屋敷の全てが、伯父の狂気に染まっていることを悟った。あの美しい薔薇園も。


 そして、この屋敷に隠された全ての秘密が、伯父の歪んだ願望と結びついているのだと。メアリーは、逃げ出したいという衝動に駆られたが、その足は鉛のように重く、一歩も動かすことができなかった。


 メアリーは、伯父の言葉の真意を探るべく、翌朝、再び薔薇園へと向かった。


 そこは、日差しを浴びて幻想的に輝いていたが、メアリーにはその美しさが、どこか不気味に見えた。


 咲き誇る薔薇の花々が、まるで血を吸って育ったかのように、鮮やかで、しかし、同時にぞっとするような色をしていた。


 まるで、全ての薔薇が、何か恐ろしい秘密を隠しているかのようだった。


 彼女は、以前見つけた、背の低い黒薔薇の若木に近づいた。その黒薔薇は、他の薔薇とは明らかに異質な存在感を放っていた。


 深い闇の色を宿した花びらは、ベルベットのような質感で、見る者を惹きつけるような、しかし、同時に何かを拒むような、不思議な魅力を放っていた。


 その根元には、やはり掘り返されたような跡があった。土は、不自然に盛り上がっており、その上に置かれた新しい小石は、誰かが意図的にそこに置いたことを示唆していた。


 メアリーは、胸騒ぎを感じながら、その土を素手で掘り始めた。手袋も道具も持たないまま、彼女は一心不乱に土を掻き分けた。


 土は湿り気を帯び、ひんやりとしていた。彼女の指先は、冷たい土の中で、何かを探し求めていた。土を掘り進めるたびに、腐敗したような、かすかな、しかし不快な匂いが鼻をついた。


 それは、まるで土の中で何かが腐りかけているかのような、生々しい匂いだった。


 掘り進めるうちに、メアリーの指先に硬いものが触れた。


 それは、木の根ではない。もっと、柔らかく、それでいて、何かの形を保っているものだった。メアリーはさらに土を掻き分け、その正体を確かめようとした。彼女の心臓は激しく脈打っていた。


 何か恐ろしいものが出てくるのではないかという予感と、それでも真実を知りたいという強い好奇心が、彼女を突き動かしていた。


 そして、そこに現れたのは――


 一枚のハンカチだった。


 それは、白く、柔らかい布で、縁には繊細な刺繍が施されていた。白い布は、かつては純粋な白だったのだろうが、今は、土の色に染まり、所々には、乾いた茶色い染みが点々と広がっていた。それは、まるで血が乾いたかのような、不吉な色をしていた。


 メアリーは、それが何なのか分からなかったが、とてつもない不安と恐怖を感じた。


 そのハンカチは、まるで地下の冷たい土の中から、自ら這い上がってきたかのように、そこに存在していた。


 この美しい薔薇園の根元に、なぜハンカチが埋められているのか。


 そして、この染みは何なのか。メアリーは、それを手に取ることもできず、ただ茫然と立ち尽くした。彼女の足元に広がる、幻想的に美しい薔薇園は、今や、恐ろしい秘密を隠し持つ、不気味な場所にしか見えなかった。


 薔薇の鮮やかな赤色が、まるで血の色のように見え、その甘い香りは、腐敗の匂いを覆い隠すための煙幕のように感じられた。


 メアリーの心臓は、激しく脈打った。彼女は、その場から逃げ出したい衝動にかられた。彼女は、薔薇の間に埋められた、数々の秘密を恐怖に支配されていた。

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