第5話「尾行と木登りと放課後と」
「学校か……ちょっと、ついて行ってみるか」
玄関を出ていく咲良の背中を、そっと見送る。
ここ数日で、猫としての立ち回りもずいぶん様になってきた。忍び足も、物陰に潜むのも、今ではもうお手の物だ。
咲良が制服のスカートを揺らしながら歩く。
俺は彼女から数メートル後ろを、電柱の影から影へと移動しながらついていく。人間だったら通報されてるレベルだ。
でも今の俺は猫。限りなく怪しくても、通報はされない。たぶん。
通学路は、俺もかつて通っていた道だ。
なのに、まるで知らない街を歩いているような気がする。
自分の足じゃなく、肉球で歩いているだけで、景色はすっかり違って見える。
咲良は途中で友人たちと合流し、話しながら笑っている。
俺はそれを植え込みの中から眺めながら、少しだけ取り残された気分になった。
やがて学校が見えてきた。
思ったよりも遠かったせいで、体力がそろそろ限界に近い。
「やっぱ猫の足って小さいな……」
息を整えつつ、校舎の裏手に回る。
正門から堂々と入る勇気はさすがにない。監視カメラに写った猫が出禁になったら笑えないし。
裏手に立っていた大きな木に目をやると、その枝の先から教室の窓がちょうど見えそうだった。
「……行けるか?」
幹に飛びつき、爪を立てながらよじ登る。
重力に逆らう感覚は、少しクセになる。
枝の上に落ち着く頃には、俺は完全に木登りマスターの顔になっていた。
風が吹く。
その先、窓の向こうに咲良の姿が見えた。
教室の席に座り、ぼんやりと外を眺めている。
時折、先生の話にうなずいたり、ノートに何かを書き込んだり。
まるでテレビでも見ているような、不思議な距離感だった。
ここにいるのに、咲良は俺の存在に気づいていない。
名前を呼んでも届かない。
手を伸ばしても触れられない。
それでも、こうして彼女を見ていられることに、奇妙な安心感を覚えた。
「……見てるだけで、十分かもな」
そう思った瞬間、枝の上にいた俺の鼻先に、ふわりと春の風が通り過ぎた。
*
夕方。
放課後のチャイムが鳴ると、教室の窓にいた咲良がゆっくりと立ち上がる。
机の中から教科書を出して、カバンに詰め込んでいく。
一日の終わりの、どこか気の抜けた時間。
俺は木の上からそっとその様子を見下ろしていた。
ほんの一瞬、彼女がこちらを見たような気がした。
でもそれもすぐに逸れて、誰か友人の名前を呼んで教室を出ていった。
咲良の姿を追って、俺も再び学校を出る。
通学路を戻る彼女の後ろを、今朝と同じように尾行する。
途中でコンビニに寄り、缶コーヒーとパンを買って、また歩き出す。
(……パンか。くれないかな)
なんて思ったけど、袋の中身が自分の胃袋に入ることはたぶんない。
やがて咲良は家の前にたどり着き、玄関のドアを開けて中へと入っていく。
俺は家の塀の上に登り、そっと様子を伺う。
リビングのカーテンの隙間から、咲良がパンを食べながらテレビをつけるのが見えた。
「……やっぱ、ここが一番落ち着くかもな」
夜風が少し冷たいけれど、この距離感が、ちょうどよかった。