第4話 虚ろな縁②
扉が閉まり、ふと後ろを振り返る。かすかに隙間から当主の声が漏れるが、その内容は聞き取れない。私に背を向け、何事もなかったように執事と会話を続けているのだろう。その背中から感じられるのは、無関心と冷ややかな怒り。まるで虫けらを追い払うかのような態度を受けて、胸が軋んだ。
廊下に出ると、先ほどの侍女が機械的な微笑を浮かべて私を案内しはじめる。言葉はないが、その笑みの裏には「上手くいくはずがないでしょう」という諦めと嘲りが同居しているように見える。私は虚ろな足取りで再び自室へ向かうしかなかった。今更言われるまでもないが、この家で私に居場所などない。その冷たい事実を、改めて突きつけられただけだ。
自室の扉を閉めると、急に膝から力が抜けて座り込んでしまう。どうしようもないほど惨めで、死にたいとまでは思わないが、生きる希望を失うような無力感が押し寄せる。親という存在は子を守るもの――現代の日本で得ていた常識は、この世界ではまるで通じない。少なくとも、この名家の当主にとって、私は家族ではなく厄介事の源泉でしかないのだ。
「……これで、本当に親子なんて言えるんだろうか」
独り言が、薄暗い部屋に虚しく溶けていく。彼の態度も、言葉も、どれもが突き放すようで、私を責め立てるわけでもないが関心を持たれるわけでもない。最悪の場合、過去の私がどんなに悪事を働いたとしても、たった一度の対面でここまで無慈悲になれるものだろうか。私がその事実を受け入れられないだけなのかもしれない。
けれど、当主の言葉の隅々ににじんでいたのは「お前に期待などしていない」という感情だった。愛情も興味もなく、ただ問題を起こさなければそれでいい。言い換えれば、私がこの家で静かに息を潜めている限りは、いずれ追い出されることもないだろうが、決して救いの言葉も手助けも望めない。そんな冷めきった“親子関係”など、あってないようなものだ。
震える手で寝台のふちをつかみ、ようやく立ち上がる。部屋の中は相変わらず暗く、石壁がひやりとした空気を宿している。この身体に慣れないせいか、それとも心の奥が怯えているからか、寒さがいっそう骨身に染みるようだった。まるで屋敷全体が私を排除しようとするかのように感じられる。
しばらくして、扉の向こうから控えめなノックの音がした。返事をすると侍女が顔を出し、「当主様との面会、お疲れになったでしょう。少し休まれては?」と、どこか形式ばった口調で言う。そこに思いやりは感じられず、むしろ「余計な行動を起こさせないために寝ていてほしい」という意図が見え隠れする。今の私には、彼女を問い質す気力すら湧かなかった。
「……うん、ありがとう」
かろうじてそれだけ答えると、侍女はそそくさと退室していった。重く閉じられる扉が、まるで“自分からは何もするな”と警告しているようだ。父との対面は、結局なぜここまで嫌われているのかをつかむには遠く及ばないまま、むしろ親子の温もりなどないことを明確に示された時間だった。私はがっくりと肩を落とし、ベッドの上に体をあずける。硬いマットレスが背中を押し返してくる感触が、ひどく冷徹に思えた。
どうして私は、この屋敷に生まれ、こんなにも嫌われた存在になってしまったのか。事故に遭ってから意識を取り戻すまでの空白を埋められないまま、“ここ”での人生の重みだけがのしかかる。誤解なら解きたい、もし過去に何か悪い行いをしたなら謝罪したい。だが、父親を含めて誰も聞く耳を持たない雰囲気が、私から立ち上がる気力を奪っていく。
「なんで……どうして、こんなことに……」
目を閉じると、ほんの少し前まで現代で暮らしていた光景がふとよみがえる。家族と過ごした平凡な朝、友人たちと交わした他愛もないおしゃべり――どんなにささいなやりとりだったとしても、今はひどく輝いているように見える。失って初めて気づく温かさ。ここでの“家族”は、まるで氷の壁のような距離感を保ち、私を押し返し続けるだけだ。
重いまぶたがじわりと閉じかける。ひとしきり悲しみや憤りをぶつけても、何の解決にもならないとわかっている。逃げるように眠ってしまえば、一時的にでもこの苦しさから解放されるのかもしれない。しかし、目が覚めたところで、父と私の関係が変わるとは思えなかった。
屋敷の外では鳥が鳴いているらしい。かすかに聞こえるさえずりが、夢か現か判別できないほど遠い。こんなにも広い屋敷に住んでいながら、なぜ私は孤独を極めた気持ちになるのか。手足に鉛をはめられたような思いで、私は深い溜息を吐いた。深刻な冷遇は続くだろう。きっと当主が私に微笑みかける日は来ない。たとえ世間から見て親子という肩書があっても、心はつながっていないのだから。
半ば眠りに落ちるように横たわりながら、涙がにじむのをどうすることもできない。ここでは家族さえも私を支えてくれない。それが現実だ。何を頼りに生きればいいのか――答えが見つからないまま、また深い虚無感が胸を占領していくのを、私はぼんやりと感じるしかなかった。




