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第2話 冷えきった館②

 屋敷の様子を確かめようと、意を決して廊下の隅々まで歩いてみる。途中、タペストリーが飾られた大きなホールや、中庭のある回廊などを見つけたものの、どれも見るからに豪勢で立派だ。その割に人影はまばらで、たまに遭遇するのは顔色の悪い侍女や執事風の男性ばかり。彼らの足音は小さく、擦れ違うたびにこちらを横目で見て、まるで“何故まだ歩き回っているのか”と言いたげに首をひねる。声をかけても、もう相手にされないだろう。そう思うと口が重くなった。


 しだいに疲れを感じ始め、何も収穫がないまま戻るべきか悩んでいると、角を曲がった先で二人の侍女が立ち話をしている声が耳に入った。私はとっさに足を止め、壁の向こうに隠れるようにして耳を澄ます。自分が話題にされていないかという一抹の不安が頭をよぎったからだ。


 「……一体、いつまでここに滞在されるのかしら。私は正直、あまり関わりたくないのだけれど」

 「そんなこと言って、もし当人に聞かれでもしたらどうするの。しばらくは屋敷におられるって話よ」

 「でも、あの子が近くにいると、どうにも落ち着かないわ。前に色々とあったじゃない」

 「そうね……私たちにはどうしようもないことだけれど。表立っては何も言えないし」


 曖昧に言葉を濁しながらも、明らかに“私”への拒絶を含んでいる会話。具体的な事情はわからないが、この屋敷の使用人たちが皆、何か“共通の理由”で私を遠ざけている可能性を感じさせる。しかも以前からの問題のように話しているのが不気味だった。私がここへ来たのは昨日だ。なのに、まるで彼らの中では“以前から”私を厄介な存在として捉えていたような口振りだ。ここでの“私”は、どうやら悪い印象を持たれているらしい。


 それは間違いない。では、その理由は何なのか。何をしたと言うのだろう。私自身は交通事故に遭って突然この身体になり、気がついたらこの屋敷の寝台に寝かされていただけだ。なのに、すでに出来上がった悪評や誤解があるかのような扱い。家族らしき人は見当たらないのに、使用人たちが妙な噂や偏見を持ち続けている。この状況に、私の常識はまったく通用しない。


 じわりと嫌な汗がにじみ、寒気に似た恐怖が背筋を走る。何が起こっているかまったくつかめない。わけもわからず、この世界の中で孤立している。私は耐えきれず、その場から駆け出した。鈍い痛みが足元から走ったが、それでも止まらない。自分の寝かされていた部屋へ戻り、ドアを乱暴に閉めてしまう。


 扉を閉めた瞬間、膝の力が抜けてその場にへたり込んだ。息が荒くなる。部屋の中は先ほどまでと変わらず、冷えた空気が漂う。重たい沈黙が押し寄せてきて、心細さに押しつぶされそうになる。何も得られなかったどころか、使用人たちの冷え切った態度をますます痛感して、今の自分がどれだけ嫌われているかを思い知らされた気がする。


「私、何かしたの……?」


 声に出して自問しても、答えなど返ってこない。現代の日本で暮らしていたときには、こんな孤独を感じることはなかった。誰かしらに相談すれば、話を聞いてくれる友人がいたし、家族も普通に会話ができていた。それが今はどうだろう。階段を下りるときの靴音ですら、周囲から忌避されるような視線を向けられてしまう。食事の場でも、まるで存在自体が空気のように扱われる。暖かい言葉はおろか、同じテーブルを囲む者すらいないのだから、孤独感は深まるばかりだ。


 何もかもがわからない。ここがどこなのか、私はなぜこの身体に“置き換えられて”しまったのか。気がつけば、私の声をまともに聞いてくれる人間は一人もいない。侍女たちの表向きの従順な態度の裏には、あからさまな遠慮と恐怖、時には嫌悪が混ざっている。そして、まるで私を置いてきぼりにするように、家の主らしき人物は姿を見せない。そんな世界で、私はどう生きればいいのだろう。考えれば考えるほど気が滅入り、思考が負のループに陥ってしまう。


 ふと、暗く沈んだ部屋に差し込む光の向きが変わり、窓の外を見てみれば、すでに昼近いらしい薄日が見えた。この屋敷の中で何が行われているのか、どんな暮らしが営まれているのかすら全くわからない。何かを知るためには、再び使用人たちに接触するしかないとわかっていても、あの冷たさを思い出すと足がすくんでしまう。誰も教えてくれないのなら、私が必死で聞き出すしかないのか――そう考えるだけで、深いため息がこぼれた。


 じっとしていても心が休まらない。私はおそるおそる扉を開け、再び廊下へ出ることを決めた。逃げ込むように閉じこもっていたところで、何も進展はないのだから、少しでも状況を知るために動かなければならない。か細い決意を胸に、足を踏み出す。しかし、扉を開けてすぐ、廊下の遠くに立っている侍女の姿を見つけて思わず息を呑む。彼女は私の姿を認めた途端、すぐに背を向けて去っていこうとする動きが見えたからだ。


「待ってください。お話を……」


 声を上げると、相手は立ち止まったものの、振り返る様子はない。私はできるだけ慎重に近づいて、もう一度声をかける。


「すみません。私、何がどうなっているのか全然わからなくて……」


 そう言いながら顔を覗き込もうとするが、彼女は視線を下に落とし、まるで私と目を合わせないようにしている。その態度は、ただ無関心というよりは、恐れからくる回避のように思えた。何がそこまで彼女を怯えさせるのか。まったく見当がつかない。


「……お嬢様。医師が来られるまで、お部屋で静養なさったほうがよろしいかと」


 かろうじてそう言葉を発するが、表情は硬いまま。私は胸が苦しくなる。結局、侍女も何も説明しようとしないのだ。ごく短いその言葉からは、私の動向を制限したい意図だけが感じられる。理由は教えてくれない。その場に立ち尽くしていると、彼女はおそるおそる頭を下げ、今度こそ足早に行ってしまった。


 後に残るのは行き場のない私一人。まるで透明人間が、人の形だけを残して彷徨っているような感覚に陥る。何も話せず、ただ嫌悪か恐怖か、あるいはその両方をぶつけられるだけ。居場所がないという実感が、骨の髄まで染み込んできて、立っているのもつらくなる。

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