第14話 決裂の刻
再び法廷へ引きずり出された朝、石造りの階段を上る足取りは限りなく重かった。わずかな睡眠すらままならぬ地下牢の生活に、身体は衰弱しきっている。それでも息を整えて前を向かなければならない――そう自分に言い聞かせても、突き刺さる視線と嫌悪に満ちた周囲の空気が心を凍えさせる。どうせ今日も形ばかりの審議が進むだけだ。そんな予感が胸を苛む中、冷ややかな視線を浴びながら裁判の席へと連行される。
法廷内は前回にも増して騒がしく、傍聴人たちの表情には一種の熱気が漂っていた。まるでこれから始まる“見世物”に期待しているようで、ひそひそとささやき合う声が耳に入る。「今日こそ決着がつくだろう」「どんな判決が下るのかしら」――すべて私の運命を勝手に語り合う遠巻きの声。そこには同情よりも面白がる雰囲気が漂っているように思える。
裁判官が金属製の槌を打ち鳴らし、静寂が広がると同時に、傍に控える書記官が書類を読み上げる。その内容は、明らかに私を罪人として断罪するために練り上げられた証拠ばかりだった。以前よりもさらに“決定的”と謳われる証言が次々と示され、いかに私が国家に対して反逆の意志を抱いていたかを強調する。不正な財務書類や、反乱に関わる情報をやり取りしたという偽りの記録までが添えられ、これほど周到に仕組まれた罠から逃れるのは不可能だと悟る。
書記官は平坦な調子で続ける。「この者は、長きにわたり周囲を欺いてきたと見られ、貴族社会に混乱を招きかねない危険な存在。証言・証拠ともに一致しており、重大な不正と反逆を首謀した疑いはほぼ確実と判断される」――それらの言葉が飄々と読み上げられるたび、傍聴人たちはざわついて私を一瞥し、嘲笑めいた笑みを浮かべる。一度でも「待って、それは違う」と言えればいいのに、裁判官や役人たちの空気はすでに固まっていて、私の声など誰も求めていない。
呼び出された証人の一人が、前回以上に私を糾弾する証言をしたとき、胃の奥がひりつくような痛みに襲われた。かつて侍女として仕えていた者が、昨日の晩にはなかったはずの“新たな話”を持ち出して、私が密かに軍資金を運搬していたかのように断言している。おそらく誰かに言わされているのだろう。一度でも面倒を見たはずの相手なのに、いとも簡単に私を裏切る。その裏には、もっと大きな権力争いがあるに違いないが、ここでその話を立証できる人間は私以外にいない。私は言葉を尽くして否定しようとするが、裁判官は容赦なく私を一喝する。
「被告人は黙れ。順を追って取り調べる」
しかし、その“取り調べ”とやらが私の弁明を聞くつもりなどないのは明白だった。淡々と読み上げられる書類と証言の数々、それらが私に対して不利な形にまとめられ、強固な確証へと繋がっていく。密約の覚書だとされる紙切れはどこで作られたのかさえわからず、そこには私の名が巧妙に記されている。反論したくても知るよしがない。
途中、深い嘆息をついている貴族の一人が「なんて穢らわしい。恥を知れ」とあからさまな嫌悪を示し、法廷は再び揺れ動く。観衆の中でささやかれるのは「やっぱり有罪だ」「こんな者を野放しにしていたなんて」――そんな声だ。私はうつむきそうになる頭を必死に持ち上げ、「違う」と叫び出したくても、恐怖と絶望で息が詰まって声が出ない。
そうして裁判が進むにつれ、さらに別の“決定的証拠”と称されるものが提出される。王城で保管されていたはずの重要文書に私の署名があったとか、あやしい送金の明細に私の紋章が押印されていたという話まで持ち込まれ、私はもう自分が何者であるかすらわからなくなる。作り上げられた偽の証拠がいかに完璧に準備されていたかを痛感しながら、私は最後の望みを失っていく。
「ここまで証拠が揃えば、擁護の余地はないのではないか」
「そもそも品行に問題の多い娘だったと聞いている。相応しい末路だろう」
そんな言葉が一部の貴族席から飛び交い、判事や裁判官たちも同意を示すようにうなずいている。私を貶めようとする勢力がどれほど周到に動いたか、もう疑いの余地などない。これは最初から出来レース――私がどう訴えようとも結果は変わらない。
最後のとどめを刺すように、元婚約者が再び証言台に立ち、「自分は正式に婚約を破棄する」と大声で宣言する。場内が沸く中、彼は私を見下す視線でこう続けた。
「私はとうの昔に、彼女と縁を切りたいと思っていました。今回の事件を知って、確信しましたよ。この者と繋がりを持てば、家名に深刻な被害が出る。よって、ここに婚約破棄を宣言します」
膝が震える。これまで形ばかりだった婚約だとしても、その宣告は私にもう居場所などないことを象徴する。彼は言葉を畳みかけるように私を断罪し、面白がるように「こんな反逆者など相応しくない」と言い放った。心の中にあったわずかな人間関係の破片まで踏みにじられた気がして、涙がこみ上げる。でもここで泣いてしまえば、ますます喜ぶ人々がいるはずだ。
やがて、裁判長が槌を打ち鳴らす。傍聴人が息を飲むように沈黙すると、彼はどこか儀式めいて荘厳な口調で宣言を始める。
「この者は王国に対する反逆、重大な不正への関与、並びに財務上の混乱を招いた罪により……有罪と認定する。よって、死刑をもって処す」
言葉が途切れると同時に、私の頭が真っ白になる。周囲では一部の人々がざわつき、ある者は「当然の結果だ」と舌打ちし、ある者は「ついに死刑か……」と憐れむようにつぶやく。だが、その憐れみさえも嘲笑まじりの娯楽にしか見えない。息苦しさに胸が締めつけられ、足元がふらつく。
もう何を言えばいいのか、何を叫べばいいのかもわからない。ひとつ確かなのは、これで私の運命が完全に断ち切られたということだけだ。兵士が私の両腕をつかんで引き立てるが、震える脚には力が入らず、よろめきそうになる。その様子を見て、どこかでくすくすと笑い声が上がったような気がした。
「静粛に。判決は以上だ。速やかに執行される予定である」
裁判長が再び槌を振り下ろすと、法廷内は一気にざわめきから興奮へ移り変わる。まるで私の死刑判決を見届けることがこの場の娯楽であるかのように、傍聴席のあちこちで狂騒めいた談笑が始まっていた。
結局、私はまともな弁明を一度たりとも許されず、婚約まで破棄され、死を宣告された。頭の中で「こんなはずではなかった」という言葉が何度もこだまし、胸を引き裂くような痛みに変わっていく。どうにもできない後悔と無力感。足元からがくがくと力が抜け、兵士に支えられなければ立っていられないほどだ。
「連れて行け。次の手続きがある」
威圧的な声をかけられ、私は人形のように引きずられて退廷を余儀なくされる。背後では余韻に浸る傍聴人たちが口々に談笑し、裁判官や判事はそれを制することもない。誰一人として私を救おうとはしない。かつて家族と呼んだ者も、友人と信じかけた者も、今この場にはいない。完全に見捨てられ、引き裂かれた。
廊下へ出ても、兵士の無機質な足音だけが続き、心を引き裂く沈黙が広がっていた。後ろから聞こえる人々のざわめきに「見ろ、あれが死刑囚だ」と囃し立てられているような錯覚に陥る。もう何もかも遅い。私がどんな想いを抱いていても、この国では完全に“反逆者”として処分される運命が定まってしまったのだ。
こうして、最悪の形で人生が終焉へと近づいていく。すべて奪われ、すべて否定され、今はただ死の宣告を待つだけ――私は目の前にじんわりと広がる闇に翻弄されながら、心が砕け散っていくのを感じずにはいられなかった。周囲の冷たい顔と、頭上の薄曇りの光が、これ以上ないほど絶望の色を濃く映し出している気がする。そして私は、その暗闇の底へ落ちていくしかないのだという無力感に、最後の気力さえも奪われていくのを感じた。




