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転生した私に待ち受けるのは、無慈悲な裁きと血塗られた結末  作者: ぱる子


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第9話 ささやきの深淵

 暗い噂の火種は、意外なほど些細な出来事から燃え広がった。

 ある日の朝、私は当主の用事で仕方なく外出を命じられ、侍女の付き添いとともに出向いた。といっても特別な社交の場ではなく、王都の片隅にある小さな施設へ書簡を届けるだけの簡単な用事だ。いつも屋敷に閉じこもっているよりはましだと自分に言い聞かせ、憂鬱な気分を押さえ込みながら馬車に揺られて目的地へ向かった。


 施設の前で書簡を渡し、担当らしき人物と二言三言交わしてすぐに帰るつもりだった。だが、思いもよらない“トラブル”が待ち受けていた。

 私が書簡を手渡した相手は、どこか焦りを帯びた表情で書類を受け取ると、侍女の前ではなく私に目を向けて「本当に、これでよろしいのですか」と念を押すように尋ねてきた。内容を知らされていない私は何も答えられず、曖昧にうなずくしかない。すると彼は「では、お言葉通りに……」とだけ言い、急いで奥へと駆け込んだ。


 私は意味もわからず立ち尽くすしかなかった。侍女も特に説明をしてくれる様子はなく、用件が済んだと判断したのか「もう戻りましょう」と強引に馬車へ促す。まるで私の疑問など無視するかのように、彼女はそそくさと帰り支度を進めた。よくあることだ――周囲の人間が私に何も知らせず、ただ作業をこなすだけという光景に、今さら苛立ちよりも諦めの方が強い。


 けれど、そのほんの些細なやり取りが、後に思わぬ噂を招くことになるとは、そのときは夢にも思わなかった。


 数日後のこと。屋敷内を歩いていると、使用人たちが私を見る目つきがいつも以上に険しくなっているのに気がついた。以前から冷たい態度は当たり前だったが、今回は露骨に距離を取り、耳元でささやき合う姿が目立つ。訝しく思ってこっそり言葉を拾おうとすれば、すぐに話を切り上げられてしまう。その時点で良い予感はまったくしなかった。


 そんなある午後、廊下の奥から聞こえてきた侍女の声を、私はうっかり聞き逃さなかった。


「……まさか、あの人がそんな指示を出すなんて。どういうつもりなのかしら」

「さあ。けれど、このままだと大騒動になるかもしれないわよ。あの施設の財務がどうとか、資金が流れているとか……」


 それ以上は遠ざかってしまい、聞き取れない。胸がざわざわと波打つ。まるで先日の書簡が関係しているかのようだが、私には何のことかさっぱりわからない。


 さらに日が経つにつれ、何やら私が大きな不祥事に関わっているという噂が屋敷内、そして一部の貴族社会にも広まり始めたらしい。例えば、あの施設に絡んだ不正取引があって、私がそれを主導したとか、あるいは王都における財務の問題に私の名前が載っていたとか――真偽もわからない話がひとり歩きし始める。どれも耳にするだけで気が遠くなるような内容だ。


「聞いた? あの方、こそこそ外へ出て何か企んでたんですって」

「だから侍女があんなにそわそわしてたんだわ。やはり問題を起こしたのね」


 廊下の曲がり角や中庭の隅で、そんな声を何度も耳にする。どれだけ否定したくても、私自身が何も知らずに行動したのは事実だし、書簡の件に関してはまったく経緯を知らされていない。その無知が、周囲の邪推を招いているのだろう。理由の説明を求めても、当主である父や執事たちは「お前には関係のないことだ」と相手にもしてくれない。


 恐ろしいのは、この噂が単なる陰口レベルではなく、一部の貴族の間で“有力な話”として扱われ始めているらしいことだった。ある使用人の後ろで控えていたとき、ひそひそ声で「そういえば、あの書簡が証拠になるんじゃないか……」なんて言葉を聞いた瞬間、身体が硬直する。どうやら私が書簡を渡したことが“不正の証拠”として利用されかねない状況があるらしい。もちろん、私には何の罪の意識もないし、そもそも指示など受けていない。


 しかし、その事実を客観的に証明する手段がない。気がつけば、どこでどう誤解が広まったのか、まるで私が大きなトラブルの元凶であるかのような噂が獣のように走り回り、どんどん尾ひれが付いて肥大化していく。


 さらに不穏なのは、まるで私を“生贄”にするような動きが水面下で進んでいる可能性を感じさせる点だ。王都で起きている財務不正が何らかの形で問題視され始め、その責任を誰かに押しつけたい勢力がいる――そんな声を、使用人たちの会話の断片から嗅ぎ取ることができた。もちろん、どれも確証はないし、私には何も説明されないから憶測するしかない。それでも、屋敷の空気が日増しに重く淀んでいくのを肌で感じる。


 私を冷遇してきた人々が、さらに怖れと嫌悪を剥き出しにし始めているのも、きっとその影響だろう。自分たちまで疑いをかけられたり、巻き添えを食ったりするかもしれないという不安から、皆が私を避け、罵るような視線を投げてくる。もちろん、私には抗うすべがない。いつも通り私の部屋に閉じこもって沈黙を貫いても、彼らが抱く疑念は消えないらしい。


「また何かしでかすんじゃないの?」

「王都の誰かを陥れて、自分だけ助かろうとしているのかもしれないわ」


 そんな荒唐無稽な噂が広まるたび、私は自らを責める気持ちが強まるばかりだ。何も知らされず、言われるがまま行動してしまった――結局、自分の不甲斐なさが原因なのではないか。周りから見れば、思い通りに動かしやすい駒を私は演じているのだと感じてしまう。


 「私が悪いから、こんなことになっているんだろうか……」


 夜、自室の窓辺でこぼれる独白は、誰に届くわけでもない。遠くに見える王都の灯りが、どこか寂しく瞬いている。大きな闇の中で、私はますます自分を追い詰める。あの書簡ひとつさえ、もっと慎重に扱っていれば、こんな騒ぎにはならなかったのかもしれない。父や侍女が何を考えているかわからないけれど、それでも何か手立てがあったのでは……そう思い始めると、一切の逃げ場がなくなる。


 唯一の救いは、まだ表立って誰からも正式に糾弾されていないことだ。しかし、それはいつまで続くかわからない。真犯人が誰なのか、どんな不正が行われているのか――私には想像もできないが、何らかの勢力が私を隠れ蓑にしようとしているなら、いずれ断罪されるのは私なのではないか。そう考えた瞬間、胸が凍るように痛む。


 使用人や侍女に助けを求めても、まともに取り合ってはくれない。むしろ「そんなものは知りません」と言われたり、「余計なことを聞かないでください」と拒絶されるだけだ。当主や取り巻きの貴族たちも、私を気にかけるそぶりなどなく、むしろ「問題を起こすな」「お前が下手に動くともっと厄介になる」と冷たく言い放つばかり。


 こんな状況で、私が自分の潔白を証明する方法など何ひとつない。元々の評判が悪く、周囲の信頼もなければ、婚約者と呼ばれた相手にも相手にされず、頼れる人など誰もいない。愛されず、信じられず、厄介者として扱われる人間にとっては、噂に反論する術すら与えられないのだ。


「どうしよう……わからないよ……」


 嘆きにも似た言葉が、夜の闇に沈むように消えていく。もし私が本当に生贄として利用されるのだとしたら、この先どうなってしまうのか――考えるだけで息が詰まりそうだ。だが、何も知らされない以上、怖れだけが増幅し、私を縛りつける。


 やがて、暗い廊下の向こうから足音が響き、侍女が部屋の前を通り過ぎていった。鍵穴から漏れる明かりを見つめながら、私はそっとまぶたを閉じる。外ではもう誰かが次の策略を練っているのだろう。そんな気配ばかりが身に染みる屋敷の冷気が、私の肌を刺してくる。


 かつて私は交通事故の瞬間、「もっと生きたい」と強く願った。それが叶って、こうして生きながらえているというのに、なぜこれほど苦しめられるのか。希望など何も見えない。抱けるものといえば、不安と孤独と罪悪感だけ――この夜もまた、そうした思いを抱えたまま、眠れぬ時をやり過ごすしかないのだろう。


 窓外の闇がますます濃くなり、屋敷の灯りも落ちてゆく。密やかな陰謀が渦巻き、私を“犠牲”に仕立て上げようとする見えない影の手。それが確かに迫っているような気がしてならないのに、私はただ怯えながら自分を責め続ける。言葉にならない虚しさと閉塞感が、またひとつ私の心を蝕んでいくのを感じながら、長い夜を独りきりでやり過ごすより他ないのだった。

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