電撃
なるほど、そう来たか……。
疑いようがない。こうも揃っていては、疑いようがないのだ。ここは間違いない、あの(この?)マンガの中の世界だ! そしてどういうわけか、オレは『悪役令嬢』として、このマンガの中に入ってしまったようだ。
ということは……だ。つまり、オレは間抜けにも、『悪役令嬢』でありながら『主役少女』に愛の告白をしてしまったということだ。よく言えば革命、普通に言えばアホである。
「え、えーっと……」
あまりのことに柄にもなく言葉に詰まり、自分でもそれとわかるほどに引き攣った笑顔を『主役少女』に向け、固まっていたその時だった。
「おぉぅ……!」
真っ白な閃光がオレを包んだかと思うと、突然の激痛がオレの全身を貫いた。声にもならない音が喉の奥から鳴り、そのまま前のめりに倒れた。痛い! 痛すぎるぞ!
冬場に静電気を食らったことはあるだろうか? あれが全身を貫いたと言えばその威力のほどがわかるだろう。
完全に意識を閉じる直前、『主役少女』の「お嬢様!」という悲鳴が聞こえた気がした。そしてオレは、ブラックアウトした。
目を開けると、中古マンションのやや薄汚れたいつもの天井が目に入ってきた。味気ない、大量生産の、マンションの天井。
そうか、夢を見ていたか……、と一瞬思ったが、しかし、いつもとは微妙に様子が違う。どうも天井の様子がハッキリしない。
その違和感にはすぐ気づいた。どうやら紗に囲まれている。だからハッキリしないのだ。いつの間にオレは自分のベッドを天蓋付きにしたのだろうか。
天蓋の紗を透かして斜め上を見ると、いつもの蛍光灯が据えつけられている。なんだ、このアンバランスは? 俺はまだ夢を見てるのか?
そして更に目線を下げ、横を見る。どうやら俺はまだ夢を見ているようだ。あの『主役少女』が座っている。
そんなオレの視線に気づいたか、主役少女は読んでいた本から目を上げた。
「あ、お気づきになられましたか! 御気分は、如何でございますか……?」
紗の向こうから心配そうな顔を向ける。
「あ、あぁ……。特に問題はない……」
問題があるとすれば、この夢が覚めることだ。
「良かったぁ……。一時はどうなるかと思いました……。安心致しました」
主役少女は一転、心底ホッとしたような笑顔になる。
気絶して、目を覚ますとベッドの傍で看病してくれている。そんな女性を見た時に、オレに残された選択肢は一つしかない。
オレは起き直り、おもむろに紗を避け、主役少女と対峙した。紗を通して見てさえも輝いていた彼女は、今や黄金に光り輝いているようだ。
「あ、まだ横になっていた方が……」
「あなたが好きです」
この瞬間、オレは自分が愛の塊になっていることを感じた。
一方、主役少女は「あッ……」という形になった口を手で覆い、憐れむような目でオレを見た。
どういうことだ?と見つめ返したその向こう側に、粋な飾りを施された全身鏡が見えた。そこに映っていたのは例の好感度の低い美人だった。
背中に悪寒が走り始めたのとほぼ同時だった。動物的勘というやつか。
「あオォォ……ウ!」
さっきの電撃が全身を貫いた。
目が覚めると、いつもの天井が目に入ってきた。
しかしベッドには常とは違い、天蓋があるようだ。天蓋付きベッドとは、豪勢に過ぎるではないか。
天井に視線を移し、徐々に下げていってベッドの傍らを見ると、そこにいたのは麗しの君……などでは断じてなく、割とシワシワしい中老の男が腰かけていた。
「クリスティーヌ様! 気づかれましたか!」
「うおう! 誰だ、貴様は!」
ロマンスグレーにモーニングというその姿は正直、なかなかにして決まっている。しかし、オレが求めているのはおまえじゃない。
あの麗しの『主役少女』はいずこ、と部屋を見回すと粋な装飾の全身鏡が見えた。そこには例の好感度の低い美人が映っていた。そうだ、今のオレはこいつだった。
鏡の中のこの女、これはおそらく……、いや、紛うことなき『悪役令嬢』だ。そう、どうやらオレは、よりにもよって悪役令嬢としてこのマンガの世界に入ってしまったのだ。
『令嬢』なのはともかくとして、なぜこのオレ様が『悪役』なのかはさっぱり理解の外だが、それは後だ。それよりも火急にして重大な問題がある。
一体ここはどういうマンガだ?
アプリを使う前にマンガを読むべきだった。明凛がいなくなったことで、やはり混乱していたのかもしれない。普段なら絶対にしない類のミスをオレは犯してしまった。
とにかく情報がない。どのような社会形態か、どのような文化圏か、倫理観はどうなのか。それに何より大事なのは、オレ、つまりこの『悪役令嬢』がどのような人物なのか。それに沿った行動を取らなくてはならない。
しかし、それを確かめようにもどうしたらいい?
下手にこのおっさんに聞いたら、なぜ自分のことを知らないのかと勘ぐられる可能性は極めて高い。オレがよその世界から来た者だと気取られたら、なんとなくマズいような気がする。いやマズいだろう。本物のお嬢様はどこだ!とか言われそう。言われたところでこっちが聞きたいくらいだが。
そのおっさんがいきなり嘆きはじめた。
「誰だ、などと……! クリスティーヌ様! この私をお忘れですか? お側にお仕えして十七年、執事長のこのセバスティアンをぉ……!」
うるせーな、いちいち。知らねーよ、おまえのことなんざ。しかしそうか、この令嬢はクリスティーヌという名なのか。それよりも、だ。
「あぁ……、えーっと……、さっきここにいたメイドは?」
「あぁ。あの婢女は下がらせました」
おっさんは吐き捨てるようにそう言った。婢女って……。いやおまえが下がれよ。
「そんなことよりもクリスティーヌ様! 私のことは本当にお忘れなのですかッ……? おいたわしや……。電撃の影響で御記憶を失われましたか……」
「電撃……?」
「ああ、いや……、何でも、ありませぬ……」
なんだ、一体? オレが食らったのはやはり電撃の類のものなのか? 雷か? 雷にしては威力は弱すぎる。いや、十分痛かったのではあるが……。しかし、それは後でゆっくり問い詰めればよい。この翁の今の発言でオレは一計を案じた。
今、問題にしなければならないことは四つだ。
まず第一に、明凜を探すこと。それがこの世界に来た理由なのだから、これが一番プライオリティが高い。
第二に、今言ったようにこの世界を知ること。このマンガの世界を知らなくては、明凜を探しようがない。
そして第三に、明凜を無事見つけ出せたとして、ここからどうやって出るか、だ。この問題を思うと、少々混乱を覚えるくらいに大きな問題だ。
いや実はそれによりちょっと震えているし、あと少しでパニック状態に陥る自信がある。このままこの世界に閉じ込められたらどうしよう……。やばい。本当にちょっとパニックになってきた……! あわわわ。額から血の気が引いていくのが自分でもよくわかる。
「クリスティーヌ様! やはりお加減の方がまだ悪いのですか? お顔色が真っ青でございますぞ!」
セバスティアンとかいう執事が、怖いくらいの真剣な顔で問うてきた。どうやら傍目から見ても相当ヤバい状態らしい。それを聞いて更にパニックになりそうだったが、懸命にこらえ、そして瞬時に立てた計画通りの言葉を放った。
「ここはどこ? 私はだあれ?」