戦場
馬車に揺られ、山中を突っ切っている。前後左右には、念のため兵士を固めている。
王国から停戦交渉の打診があった。それに応じるための旅である。
トニーを前線に投入してから半月ほど。効果は絶大だったようで、電撃が落とされる度に王国軍はパニックになったそうだ。共和国軍は連戦連勝を重ね、山脈頂上付近だった国境が山の向こう側の麓まで押し広げられた。おかげでこうして馬車を使って山中を通行できるようにもなった。
交渉の条件として、王国側はその場所を南十字蘭丸王子の城で執り行うことを挙げてきた。戦況が不利であるにも関わらず、なかなかにして大胆不敵である。
しかし、戦況はこちらに有利とは言っても、しょせんは国境を少し押し広げただけであり、人口や領土など、国家の規模としては向こうの方が断然上だ。そういう背景が彼らを強気にさせたのだろう。
また、プライドという面もあるだろう。なんせ向こうは主役側の王子様。悪役のこちらとの格の違いを見せつけたい、ということなのかもしれない。全く下らないことだ。
しかし、こっちは交渉さえできればどこでもよく、そんなケチ臭いプライドなどはどうでもよい。逆に悪役令嬢らしく、プライドにこだわった方が面白かったろうか。
しかしセバスをはじめ、周囲の者は「暗殺されるかもしれません!」と反対した。敵の真っ只中へ飛び込むのだから、そういう危惧は出てきて当然である。
が、そこは押し通した。なんせこっちは悪役令嬢である。独断とわがままは得意とするところである。アイデンティティと言ってもよい。それに、仮に暗殺されたとして、それならそれで構わない。大勢に影響はない。
悪路に揺られながら山中を行くと、唐突に馬車が止まった。ん? どした?
何やら外が騒がしい。窓には防御のための装甲が施してあるので外の様子がわからない。ただ、ヤバいことが行われていることだけはわかった。飛び交う怒声、響き合う武器の打撃音、そして悲鳴……いや、断末魔……か?
にわかに足元から震えが立ち上ってきた。それと同時に吐き気も催してきた。かつて感じたことのない悪寒が背筋に張り付く。
ドンッ、という爆発音のような打撃音が馬車の装甲を叩いた。呼応するように、オレの心臓も大きく速くなった。どうした? 何が起こっている? 兵士たちは何をやっているのだ? と思った次の瞬間、床が大きく傾いた。馬車の中の茶器がテーブルを滑り、音を立てて割れていく。
「あぶないあぶないあぶないあぶない!」
我ながら、この場にふさわしくない間抜けな悲鳴を上げてしまった。床は地面に対して四十五度となり、すぐに九十度、つまり直角、つまりは馬車は横倒しになった。オレは床……ではなく、壁に叩きつけられた。
「痛って!」
強かに肩を打った。右の肩を脱臼したかと思ったが、動かしてみたらなんとか動いた。痛みに瞑っていた目を開けると、天井……ではなく、窓の装甲が剥がされ、兵士が顔を覗かせた。しかし、見たことのない兵士だ。顔はいちいち覚えちゃいないが、知らない鎧を身に着けている。王国の兵士だ。
「いたぞ!」
と、そいつは大声を張り上げ、槍を振りかざした。槍の先端と目が合った。オレの思考は止まった。指一本動かせない。目は槍から離せない。呼吸すらできない。
そいつの槍を持った腕が後方に引かれた。投擲の予備動作だ。目を瞑りたかったが、なぜかできなかった。
突然、そいつの動きが凍りついた。それまでオレを見ていたはずの目はあらぬ方を見、力強く握っていたはずの槍が手からこぼれ落ちた。落下した槍はオレの耳のすぐそばに突き刺さった。そしてゆっくりと、王国の兵士が落ちてきた。オレの上に。
「グヘッ!」
ちょうど、フライングボディプレスを食らった形となった。ただでさえ息ができなかったのに、更に追い打ちをかけられた感じだ。呼吸困難の酸欠状態で頭がクラクラしてきた。
とにかくこいつをどけなくては。しかし重い。オレは強引に両膝を曲げて王国兵士とオレの間に潜り込ませ、渾身の力を込めて、思い切り足の屈伸運動をした。兵士は鈍い音を立て、なんとかどいてくれた。
しばらくぶりに肺に空気を送る。荒く息が弾み、横たわったまま動けなかった。
「お久しぶりです」
この場にあまりにもそぐわない、そんな緊張感のない、弛緩した挨拶が上から降ってきた。トニーの声だ。なんとか目を開け、仰ぎ見る。さっき王国の兵士がいた場所に同じような格好でトニーがいた。おそらくはトニーが電撃を撃ってくれたのだろう。ありがとう、と言いたかったが声が出ない。
トニーは笑っていた。ただその笑顔は、笑っているのに笑っていないような、そんな印象を与えた。そういう笑顔を見せたことは、それまでに一度もなかったと思う。
「立てます?」
どこかのんびりした、この場に圧倒的にそぐわないトニーの言葉に若干の違和感を覚えつつ、深呼吸をし、息を整え、半身を起こした。
「あぁ。なんとかな」
気づくと、何か、べっとりとしたものが手と言わず腕と言わずこびり付いていた。赤い。血だ。
「うわっ!」
慌てて手や腕についた血を拭おうとするが、かえって逆効果だった。余計にこびりついてしまった。突き刺さった槍を見る。血まみれである。改めて自分の体をまさぐる。痛いところはない。王国兵士を見る。血に染まっていた。しかし、傷らしきものはない。どうやら返り血のようだ。胃の腑から上がって来るものを感じた。
「馬車立て直すんで、一旦外出てもらえますか?」
トニーがそう言いつつ、手を差し出した。
「あぁ……」
やっとの思いで立ち上がり、トニーの手を掴んで引っ張り上げてもらう。それにしてもこいつ、腕長ぇな。
倒れた馬車から顔を出すと、むせ返るような生暖かい、腐った肉のような臭いを伴った空気が鼻を突いた。思わずむせてしまう。その空気の向こう、辺りを見回すと、赤黒いものが点々としている。何かと思ったが、それは人だった。そして皆、事切れているようだ。
そこは戦場の真っ只中だった。いや、より正確に言うと、かつて……いや、ちょっと前まで戦場の真っ只中だった場所だ。戦闘は終わっている。みんな倒れている。オレは吐いた。泥と血で汚れていた車輪は、オレのゲロで更に汚れた。




