怪物
「現在、我が国は大変治安が悪いです」
「そりゃまぁ、あれだけ人が集まればねぇ。色んな人がいるから」
「不埒な輩はトッ捕まえて厳罰にすればいいんじゃない?」
サッチャーが感情のない声で言う。感情がない分、余計怖い。
「それはやりたくありません」
「なんで?」
「それをすると王国と同じになってしまうからです。あの胸糞悪い王子と同じ方式は取りたくありません」
「あぁ、そう。なら、まぁいいけど……」
「それぞれの地域で自警団的なものも作っていますが、今一つ統率が取れていない上、何より私に勝手にそういうことをされると、メンツが潰される上、各自治地区が力を持ってしまい、国がバラバラになる恐れがあります」
「じゃあ、どうすんのー?」
セバスが実にやる気のない声を上げた。
「それを今から決めるのです。何か、策がある方、挙手!」
サッチャーがイの一番に手を挙げた。
「お! サッチャー」
「あきらめる」
「却下! やる気出せ。他には?」
「カリスマでしょ……? じゃあ……」
キャサリンがおずおずと手を挙げた。
「はい、キャサリン!」
「海岸のゴミ拾いとか。そういう人助け的な? みんな感謝すると思うんだけど……」
「地道。却下。悪くはないけど、事は急を要します。もっとドラスティックなものが欲しいの。ハッキリ言っちゃうと、奇跡」
「奇跡?」
「そう、奇跡。民衆を束ねるには、わかりやすく奇跡を見せるしかないの。だから何か、国民が大きく困ってるものって、ない?」
「うーん……」
「大きく……」
皆、長考に入った。膠着状態がしばらく続いた後、「ハイッ!」と言ってセバスとはちょっと違う種類の軽いノリのこの男が手を挙げた。
「おぉー! アームストロング! 何かあるの?」
「町にいる自分の、料理人仲間にね、聞いた話なんだけど、ここ最近、船がぁ、沈没するんだって。怖いよねー。でね、そういう事件が増えてきてるんだってェー! それで、その噂によるとォ……」
カン高い声が部屋にひとしきり響いた後、アームストロングは声を潜めて十分に間を溜めた。ここが話の肝っぽい。なんだか、話し慣れてるな。
「船を、沈めてるのは、ね……」
「沈めてる?」
瑠璃の両親の話が思い浮かんだ。
「怪物……、なんだってェー! 怖いよねー!」
「それだ!」
「……どれ?」
セバスが赤い顔で尋ねた。おまえ、聞いてなかったろ。
オレは今、洋上で、一艘の漁船の舳先に磔になっている。
海は穏やかで、見上げれば空には月が浮かんでいる。包丁ででも割ったかのような、ちょうど半分の月である。
なぜオレがこんな状況になっているのかというと、罪を犯したその罰、などでは断じてない。
船に乗っているのはオレだけということになっている。ここまで船を運んだ者たちは皆、ボートで港へ帰った。オレがそうさせた。別にドMなわけではない。むしろ、どちらかというとSの方だと思っている。
じゃあ、なぜこんなマゾヒスティック極まりない状況に望んで自らを投じているのかというと、我が国民のため、海の魔物の生贄となっているのだ。というのは建前で、その国民を統治すべく、奇跡を起こすためだ。つまりは自分のためである。
襲われた貨物船・客船の類は、全て食料を大量に積んでいた。おそらく、船を沈めている怪物は、その食料を目当てにしているのだろう。そいつは相当なグルメなのかもしれない。人間の食料の味が病みつきになってしまい、何度も襲うようになったのだろう。一度覚えた味は忘れない。熊のようだ。
船の中には大量の食料が積んである。そして、磔にされているオレの周りは食料でデコレートされている。港には害が及ばないよう、外海に出た。つまりは準備万端である。
思えば、瑠璃の一家が襲われた船は客船であった。しかも瑠璃の北斗七家は我が佐反家をも凌ぐ名家。当然、船には豪勢な食事があったはずだ。おそらく、今回と同じ怪物であったろう。
しかし、待てど暮らせど怪物とやらは出てこない。いることは間違いないらしい。そういうマンガなのだ。目撃例も多数ある。ある者は太古の恐竜の生き残りと言い、ある者は巨大な海蛇だと言い、ある者は巨大な人型の怪物だという……。
いないんじゃないだろうか?
全然統一された見解がない。大丈夫か? アームストロングに一杯食わされたんじゃないだろうか? しかし今更である。
さて、磔にされてからどれくらい経ったろう? 海に出てから大体二時間くらいか。出港前の準備段階から磔にされてるから、大体三時間くらいになるだろうか。もういい加減、縛られている手と足の感覚がない。とんでもない苦行である。もし、怪物がちゃんといるんなら、早いところ出てきて欲しい。
いや、ホントはぶっちゃけ出てきて欲しくない自分がいるにはいる。大体、九対一くらいの割合で出て来ない方がいいなぁという気持ちが勝っている。でも、残り一割は出てきて欲しいと、ちゃんと思っている。覚悟はあるのだ。うん。そして勝算も。ああー、出てきて欲しいナア、怪物。まだカナー。
その時である。それまで凪いでいた月明かりに照らされた海面が、にわかに蠢き出した。そして、煌々と輝いていた半分の月に、怪しげな真っ黒い雲がかかり始めた。今や海は波打ち、辺りは暗闇へと変貌した。なんとも気持ちの悪い気分になったその時だ。
ドバシャアーッ!と、海面が割れた。そして、波間から巨大な触手が何本も現れた。吸盤が幾つもついている。怪物の正体見たり。タコであった。イカかもしれないが。
その触手がオレに向かって伸びてくる。一本、二本と伸びてきて、都合五本くらいにはなったろうか。四本かもしれない。どっちでもよい。その四本だか五本だかの触手がオレの手と言わず足と言わず絡んでくる。触手は粘液で覆われており、ぬちゃぬちゃする。
「キャー! やめてー! 気持ち悪ぅーい!」
我ながら引くぐらい慌てふためき、泣き叫んだ。人間というのは不思議なもので、こんな極限状態でも、どこか冷静な自分がいる。自分を俯瞰するもう一人の自分を感じる。無様にも泣き叫ぶ自分のことを「悪役令嬢らしいな」と醒めた目で見ている。
こういう時、多分主役の子はこんなみっともなくも泣き叫ぶような醜態は晒さないんだろうな、悪役令嬢は気楽なもんだな、と思ってしまう。そしてオレは今、悪役令嬢である。思う存分泣き叫んでいる。何のてらいもない。むしろ、ここぞとばかり泣き叫んでやった。
正直言うと、そうでもしないと、とても正気を保つ自信がなかったからだ。
そうこうするうち、船が大きく前方へと傾いた。何か!と思ったら、怪物の本体が船に乗り上げてきたのだ。全身が見えた。大きさは十メートルくらいある。
その十メートルというのが身長なのか全長なのかは定かではない。そもそも十メートルという長さの単位が実際はどれくらいなのか具体的にわかってるわけでもない。なんとなく、人知を超えたデカさに遭遇した時、人は「十メートル」という単語が頭に浮かぶに過ぎない。
大体のフォルムはタコのようなものだった。この時点でイカの線は完全に消えた。その時、雲が晴れたのだろう、再び顔を出した月が怪物を照らし出した。
その姿は、タコか?と問われるとそうでもない。タコにあるまじき、巨大な口がその胴体の中央にポッカリと空いている。その丸い口、三百六十度には牙がびっしりと生えている。更にその深奥からは巨大な舌のような触手のようなものが十数本蠢いている。これは気持ち悪い。




