ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド
港に長く突き出した波止場を挟んで、深い青の海がガラス越しに広がる。水平線に水平に伸びる高い雲の白さが、鮮やかなコントラストを成している。雲の後ろには空が眩しく、海とはまた違う深さでどこまでも広がる。
この街で一番のお気に入りのカフェ。その窓側の一番端に陣取り、オーシャンビューを独占する。初夏の日差しがテーブルの上の紅茶に注ぐ。
「辺鄙なところですなあ」
全てを台なしにするとんでもないセリフを吐いたセバスを振り向いて睨み上げる。オレの背後に立つセバスは、慌てて口をつぐむ。
「そういうセリフは二時会まで取っておけ」
小声で小言を言ってやった。
「申し訳ございません」
セバスも小声で短く謝罪する。どこに全元がいるかわからない。執事が令嬢の気分を削ぐ発言をするなど、言語道断なのである。
「おめぇ、ちょっと待て! 待てよおめぇ!」
「待てっつったって、一回おめぇ、もう、置いちゃっただろ!」
怒声に振り向くと、爺さん連中がチェスをやっている。二人の周りには五、六人ほどの、これまた爺さんたちが囲みになっている。しかし、ケンカを始めた二人はすぐに静かになった。ケンカをするのも億劫だ、といった風情だ。歳を取るとケンカをする体力も削られるのだろう。
そういえば、クラスで将棋を指していた男子二人が殴り合いのケンカに発展していたことがある。ウチの高校は知能指数の低い連中ばかりなので、たまに殴り合いが勃発する。頭の悪い証拠でもあるが、今の爺さん連中を思えば、元気な証拠でもあったのだろう。
店内を見回すと、ところどころ壁の塗装も剥がれ、電灯には埃が溜まっている。視線をオーシャンビューに戻す。店の前の道路を脂ぎった毛の白い老犬がゆっくりと横切るのが目に入ってきた。口には腐りかけた魚が咥えられている。
犬でも魚を食うのだな、と思って見ていると、トラ猫が老犬から一定の距離を保って後からついていった。その魚を狙っているらしい。こちらの毛並みも相当悪い。目線をすぐに上方へと修正する。カモメがホバリングしているのが見えた。少し気分を持ち直す。
あれからひと月ほど経った。瑠璃は今や南十字家のお姫様である。元気でやっているだろうか。一方、我々佐反家は王都から遠く離れ、この海辺の町でひっそりと暮らしている。引っ越しの慌ただしさから解放されて、ようやくこの町に腰を落ち着けることができてから、そろそろ一週間といったところか。
屋敷の者たちは、それぞれにグラデーションはあるものの、特に文句も言わず従ってくれた。まぁ、そういう役割だからと言われればそれまでだが、二時会でも議論が紛糾することはなかった。セバスが一番不満顔だったが、そのセバスも「酒が飲めるんならどこでもいいです」と言ってくれた。
皆が表立って文句を言わなかったのは、多分、瑠璃を取られてしまった傷心からのこと、と解釈されたのだろう。玖梨子と瑠璃がそれぞれ役を離れたところでは仲が良かったことをみんなは知っている。
しかし、正直この街はセバスの言った通り辺鄙な立地である。それは否めない。広大な平野を誇っているものの、前には大きな湾が迫り、後ろには山脈が連なっている。
他所の地域とは大自然によって隔絶されていると言ってよく、従って他の都市との交流はほとんどない。人流もほぼない。そのため人口も少ない。広い平野ゆえに家々はまばらに点在することとなり、閑散とした印象に拍車がかかる。
ほとんどの家は漁で生計を立てている。それもそれほどの漁獲高があるわけではなく、皆細々と暮らしている。まさに世界の果て、ジ・エンド・オブ・ザ・ワールドである。
「はい、お待たせー」
ぞんざいな口ぶりで店のおばさんがケーキを持ってきた。
「ちょっとあなた、」
「なぁに?」
さっさと店奥に引っ込もうとしたおばさんを呼び止めると、実に面倒臭そうに応対された。
「他にケーキはなくって?」
「え? ケーキっつったら、それでしょ?」
「こんな、スポンジに生クリーム塗ったくって頂上にイチゴを乗っけただけのものを本場ではケーキとは言わないわ」
「本場ってどこよ?」
おばさんの質問は無視することにした。
「例えば、もっとこう、小麦粉とか卵とかチョコレートで生地作ってオーブンで焼いて、杏を挟んだり塗ったりして、それをチョコレートでコーティングして……、そういうの。作ってちょうだい作りなさい」
ザッハトルテといったところで通じなさそうなのでざっくり説明してやった。作り方を知らないわけではない。めんどくさいから割愛したまでだ。商品の種類が少ないのは、この世界では都会も田舎も同じである。どうせこのケーキも王立のものであるのだろう。
「あー、そういうのはよそでやってもらえないかね」
「ワタクシ、佐反玖梨子と申しますの」
「誰?」
「新しくこの街を治めることになった貴族です」
「え? あ……、そうだったんですか……。ハイ……。よしなに……」
おばさんは逃げるように奥へ引っ込んだ。
「全く。田舎ですな。佐反家の名前も知らないとは」
「焦らずとも、後々認知されれば良い」
そこへ、一人の青年が現れた。
「あの……」
「なんだね、君は?」
セバスが応対する。
「海辺日報の小林と申します」
年の頃は二十歳そこそこといったところか。背はそれほど高くはないが、細く引き締まった印象を与える。着ている服もこざっぱりとして、清潔感がある。顔立ちも平凡ながら、どこか意志の強さを滲ませている。
「あぁ、あなた?」
オレは小林青年に声をかける。
「佐反玖梨子様ですか?」
「ええ。お待ちしておりましたわ。どうぞ。おかけになって」
「失礼します」
「早速だけど、あなたのところの新聞、売り上げはどお?」
「残念ながら……さっぱりです」
「そう」
オレは満足そうにケーキを一欠片、口に運んだ。甘い。甘すぎる。すかさず紅茶で中和させる。
「小林くん……、でよろしいかしら?」
「はい」
「ねぇ、小林くん」
オレはテーブルに両肘をついて手を組み、目の前に座る小林青年の方へと身を乗り出した。
「センセーショナルな記事は欲しくない?」
新しい我が屋敷はもちろん海のそばに建てた。海に臨む高台の上に元の屋敷を移築したので、眺望は以前よりも良いくらいである。朝起きて、カーテンを開けた時の爽快さったらない。特に晴れた日は五分くらいボーッと海を眺めてしまう。おまけに土地は余りまくっているので、領地は更に広くなった。
その広くなった我が領地、その庭園に、今日は町の住人たちを招待した。新しくこの都市の領主となったことの報告とご挨拶のためである。普段は閉ざされているこの一等地の屋敷を、今日だけは特別に解放する。簡単ではあるが食事も用意した。
しかし簡単とはいえ、そして人口が少ないとはいえ、都市の住人分である。アームストロングには徹夜で頑張ってもらった。キャサリンとサッチャーも手伝った。セバスとトニーは役に立たなかった。
もちろん、オレも腕を振るった。腕に覚えがあるからな。しかし当然それだけでは足りないと踏み、町の料理人たちにも来てもらった。その甲斐あって、なんとか形になった。正直、もうフラフラである。
しかし、これからが本番だ。オレは気合のブラックコーヒーを濃いめに淹れて飲んだ。




