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赤いドレス

 小一時間ほどが経った。場はすっかり盛り上がり、場内の喧噪、高揚は最高潮に達するかと思われた時だった。それまでひっきりなしに流れていた四十人編成のオーケストラの音が止んだ。


 何か、と思うと、ホール奥中央にある大階段の頂上にスポットライトが当たった。その丸く縁取られた光の中の存在に、さすがに焦った。そこにいたのは、こともあろうに、思い返しても憎々しいあいつだった。


 あの仕立て屋に現れた四次元マスクだ。


 野郎、主役気取りか。そこをどけ。主役はウチの瑠璃だ。


 それまでの喧噪が嘘のように、皆静まり返り、直立してあの男の方を向いた。男は、ゆっくりと右から左へ、階下の者たちを我が物であるかのように睥睨した。威風堂々。そんな言葉が浮かんだ。


「ようこそ、我が城へ」


 我が城……?


「おい、セバス」


 隣のセバスに耳打ちした。


「はっ!」


 セバスも小声で応じる。


「あいつ……、この国の王だったのか?」

「いえ……、おそらくは、この国を治める王子様かと思われます……。ワタクシも、お顔を拝見したのは初めてですが……。いや、正確には二度目ですか。あの時は存じ上げなかったもので……」

「そうだよな……。あの時会ったよな……」


 そうかぁ……。あいつが王子様だったんかぁ……。まさか王子様が街に出てくるとは思わなんだ。お忍びで来ていたわけか。自分の国は今どういう感じか、その現地調査だったのかもしれない。暴れん坊将軍みたいなものか。


「いや、ちょっと待て。治めるって言ったか?」

「はい。仰ってましたね」

「じゃあ、あいつ、王子じゃなくて国王なんじゃないの?」

「いえ、この国に国王は存在しません」

「は?」

「王子様が最高権力者であらせられます」

「なんで? だったら王に即位すりゃいいじゃん。なんで、王子のままなの?」

「いや、そう申されましても……。そのような制度になっておりますので……」


 問答無用で王子様が一番偉いってことか……。うーん、でも、なんとなく、わからんではない。このマンガを作った奴は、あの薄い本の絵柄からして十中八九女子だ。


 女子にとっては王子様が絶対であり、おっさんであるところの国王(大体が太った髭面のおっさんのイメージ)は最高位でありながら、彼女らにとっては偉くもなんともない。だから、王子様なんだろう。全くもってアホである。


 その王子様が宣言を始めた。


「突然だが、今宵、余はここにいる皆の中から我が妃を決める」


 場内が驚きの声に包まれる。予定調和の突然、と言ったらいいか。よく考えたら、ここにいる全員、それぞれの役を演じている。腹の中では、今日のこの大団円の予測はついていたのだろう。それでも驚く振りをする。皆、なかなかの役者である。


「もちろん。誰でもいいというわけではない。この南十字蘭丸みなみじゅうじらんまるの妃になるのだから、それなりの資質が必要だ」

「え! ちょっと待て。あいつ、あんな顔して南十字、って言った。おいセバス、聞いたか?」

「え、えぇ。そうですよ。南十字家第十七代当主、蘭丸様にございます。この国をお治めになるのは古より南十字家と決まっております故」


 いやあ、こりゃまた堀の深い南十字だな……、ってェー、そこもそうだがそこじゃない!


「あいつ、蘭丸っていうのか?」

「は、はい……。いかにも」


 ら、蘭丸……、蘭丸だと!


 この王子野郎ォ……! オレはヘソの緒を切って以来、これほどまでに憎いと思った奴に出会ったのは三、四人目くらいだ。いや、四、五、六人目くらいかもしれない。それくらい少ないってことだ。


 オレの名前は乱太(らんた)だ。だがしかし、本来は蘭丸だった。母さんが発案したものらしい。それを、オレたちを捨てた、あのクソ野郎が届出の時、酔っぱらって汚い字で書いたから、「丸」が「太」に読めてしまって、「太」になってしまったのだ。


 しかも「蘭」の字を忘れたため、よりによって「乱れる」にしやがった。そのことを母さんから聞いて以来、オレは自分の名前が嫌いになった。嫌が応にも、あのクソ野郎を思い出させるのも癪だ。


 それを、あの王子……。蘭丸だあ? オレの欲しかったものを全て持ってるとはどういう了見だ……!


「余の妃になるにふさわしい者。それは、このドレスを着ることができる者である!」


 王子がさッと右手を振り上げると、従者が一着のドレスを掲げた。


 赤いドレス。


 紛うことはない。あの仕立て屋で王子が瑠璃にプレゼントしようとした、あのドレスだ。もう、完全にピンポイントで瑠璃に狙いを定めている。一本釣りである。


 そして、舞踏会に集まった女性全員に対し、急遽、身体測定大会が催されることになった。




「不合格」


 係の者がサッチャーの脳天の上の数値を見てそう言った。そりゃそうだ。サッチャーは瑠璃とそう背の変わらないオレことクリちゃんと比べても頭半分ほど小さい。


「茶番ですね」

「ちょっと、さっちゃん!」


 サッチャーの鋭すぎる当たり前の一言をキャサリンが小声でたしなめる。


 手順としては、ドレスに合う身長に合致した者は別室へと移動、そこでドレスを試着。そして見事ドレスを着こなすことができた者は、晴れて王子へと至る大階段の下に現れる手はずとなっている。


 身長検査にパスしたのは、この段階で五人にも満たない。しかし、彼女らは決して王子様に選ばれることはない。サッチャーの言った通り茶番である。我々はその茶番の世界を生きている。


 その後、当然の如くキャサリンも撃沈。しかし次の瞬間、係の声が身体測定大会となった臨時会場に響いた。


「合格!」


 無論、瑠璃への判定だった。約束された勝利。それに向かい、着実に『主役少女』は進んでいく。


 周囲からは溜息と、静かな歓声が漏れた。その感じは、やはり基本的には嫉妬である。しかしその中に、そこはかとなく祝福のような香りがあることは否定できない。やはり皆、結末を知っているのだ。


 それに何より、やはり瑠璃には「主役少女」としてのオーラがある。皆、一目見てそれとわかるのだろう。あの子が王子様の妃となるのか、あの子がこの世界の主役なのか、そんな感じだ。


「こちらへ」


 係の者に促された瑠璃は、一度我々屋敷の者を振り返った。そして一人一人の顔を見て、


「あの……、すぐ戻って参ります……」


 そう言った。そして、実に申し訳なさそうに頭を下げた後、我々には背を向け、『勝者』だけが行くことを許された別室へと向かう……と思ったら、再びこちらを振り向き、駆け寄ってきた。


 先ずはキャサリンに、次いでサッチャーに、そして最後にオレに、一人一人を強く抱きしめた。オレたちは声も出せず、瑠璃に抱かれるがままだった。


「……忘れない」


 そして、再びオレたちに背を向けると、今度こそ別室へと消えていった。「忘れない」と言った瑠璃の瞳には、シャンデリアの光が大きく波打っていた。オレたちに抱きついた瑠璃に電撃が落とされることはなかった。


 主役少女特典かもしれないが(これからが一番のクライマックスなので、さすがに電撃を落とすことはないだろう)、「忘れない」を「今までの恨み、忘れない」に全元が解釈したのかもしれない。もちろん、彼女の「忘れない」の本当の意味を、オレたちは知っている。


 オレは、なんともやるせない気持ちで彼女の消えていったドアを見つめたまま動けなかった。


「さすが悪役令嬢。クリちゃん、迫真の演技だね」


 そんなオレの表情を見て、キャサリンが小声で声をかける。


「どうどう」


 サッチャーはオレの背中をさすってくれた。


 でも、これは演技力なんかじゃないんだ。ドキュメントなんだ。あのドレスにふさわしいのは私なのに……、という表情と解釈してもらえれば、電撃を喰らわずに済むだろう。だがもちろん、事実はそうではない。


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