私は別にやさしくなんかない
「突っ込んでないよ」
「だから、なんで嘘つくの? 肥溜めの中に落ちた靴紐、自分で拾ったでしょ?」
「申し訳ない」
お見通しであったか。こちらは電撃は喰らわなかったものの、悪役令嬢の行為としてはグレーゾーンではある。お咎めなしで済んだのは「次からはあなたがやるのですよ」の一言が効いたのだろうと思う。
「ありがとう」
しかし、玖梨子はそんなことを言った。
「……え? 今、なんて?」
「だから、……ありがとう」
「なんでだ? だってオレ、ヘマして電撃喰らったし、おまえの体でウンコの中に手ェ突っ込んだし……」
「私……、あの金髪、嫌いなんだよね」
「え?」
「だから……、スッとした。ありがとう」
「あ、おぉ……」
あれほどのイケメンを嫌いとは……。男のオレが面白くないのは自然として、女子の玖梨子が嫌うのは意外中の意外である。蓼食う虫も好き好きとはこのことか。いや、その逆か。蓼食う虫も嫌い嫌い……なんか変な風になってしまったが、まぁよい。
「肥溜めはね、ちょっとやりすぎだよね。あの子はああいうところあるから……」
「あの子、って……?」
一応、聞いてみた。
「臼井っち」
「……誰?」
聞いたことない名前が飛び出た。
「え? あ、ああ。サッチャーのこと」
「ええ? なんでサッチャーが臼井になんの?」
「あれ、聞いてない? この屋敷の人、私が……、っていうか、悪役令嬢がヨーロッパ貴族の真似事したい、ってんで、みんなに欧米風のニックネーム付けたんだよ」
「何それ?」
アホである。
「だから、サッチャーは本名臼井幸子だから、サッチャー」
「なんだそりゃ!」
「他には、セバスティアンは瀬場素太郎さんで、キャサリンは笠井響華さん、トニーは殿垣内俊之介さんで、アームストロングは山中三太郎さん。大体は本名をもじってるけど、山中さんだけは見た目からね」
もう、このまま夢の中で暮らしたいとさえ思うくらいのバカバカしさだった。どうりでみんな平たい顔をしていると思った。自分だけじゃなく、使用人にも強要していたのか……。
それにしても皆、イメージが違い過ぎる。あのおばさん、本名響華っていうのか。トニーは使用人な上、貧相な見た目なのに殿……。アームストロングだけは色々納得だが。いよいよもって、このマンガの作者はバカ確定である。
「で、何の話だったっけ?」
「肥溜め。忘れんなよ」
「話のコシを折ったの、あんたでしょ。そうそう、肥溜め肥溜め。臼井っちはたまにやりすぎちゃうの。あの子、変に真面目なのかな。役柄に没頭しすぎっていうか……。だから……、ルリルリの代わりに拾ってくれてありがとう」
「でも、おまえの体汚しちゃったけど……」
「いいの。ルリルリにあんなこと、させられないから」
「おまえ……、瑠璃のこと好きなのか?」
「な、な、な、何ヲぉ……、バカなななな、こと、いいい言ってんの……?」
「おまえ、……やさしいんだな」
「やさしい、ね……」
心理テストの最後の動物。あれは、即自的自分と対自的自分をひっくるめた全体的自分を表しているという。他人に対しての自分、自分に即した自分、それらを含めた総合しての自分とはどういう人間か、ということだ。
玖梨子はマナティと言った。マナティという動物は、尖ったところが何もない。ヒレも丸いし、尻尾も丸い。しゃもじみたいな形をしている。爪はあるにはあるが、これも丸い。牙に関しては、ない。持っていないのである。
食べるものは水草である。本気を出せば時速二十キロ以上で泳ぐことができるらしいが、普段は全然急がない。八キロくらいだ。
噛みつけないし、爪でひっかくこともできない。動きが緩慢なので打撃もできない。草食なので他の動物を殺生しない(植物は食うが)。つまり、攻撃的要素が一つもないということだ。
おまけに性格も穏やかときている。やさしさの権化のような生命体である。玖梨子はそのマナティを最後に挙げた。つまりは玖梨子の本質はそういう人なのである。
そんな玖梨子は悪役を演じて、親友の女の子をいじめている。彼女もまた、意にそぐわない役を与えられて、それでも必死になって役を全うしているのだろう。でも……誰のために?
「……昼間にね、全元様が怖いばっかりに、私たちがルリルリに結構やりすぎちゃうこともあるの」
主にサッチャーかな?と思ったが、言わないでおいた。
「さすがにそういう時はみんな引きずっちゃって、その日一日は、顔には出さないけど、なんか気まずいの。でもね、ルリルリはね、そういう日もね、二時会で私たちにいつもと変わらず、話しかけてくるの。いつもと変わらず。……ルリルリはね、いつもね、二時会はじまると、瀬場さんと一緒に雰囲気盛り上げて、乾杯するの。でもあれって、そういう、私たちがやりすぎちゃった時のために、やってるのかもしれない。いつもと変わらないように、ルリルリが話しかけるのは気を遣ってるからじゃなくて、普段通りだよ、って思ってもらうために、普段からルリルリは盛り上げて、話しかけているのかもしれない。そういう子をね、私はいじめている。それを今日、あなたは、ああいう風にしてくれた。だからちょっと救われた。それだけ。だから、私は別にやさしくなんかない」
それを称して「やさしい」と言うと思うのだが、なんとなく、黙っておいた。
「ところでさ、最近、それまでとは様子の変わった奴、いるかな?」
「様子が変わった……? え、どういうこと?」
オレはマンガの中に入った外の人間はマンガのキャラクターの体を借りる、というオレの説を説明した。
「なーるほどね。それは確かにそうかもしれない」
「だろ? だから、最近、ちょっとそれまでとは様子の変わった奴、知らないか?」
「様子ねぇ……。あー、うーん……」
「え、何だ? 思い当たる奴、いるのか?」
「うーん。いや……、いない」
「ホントか?」
「うん。いない」
「嘘つけ。今の、実質「いる」って言ったようなもんだぞ」
「何言ってんの? いないよ」
「誰なんだよ? その、気になった奴教えろよ」
「教えない」
「なんだよ!」
「教えろよ、って言い方が気に入らない」
「く……っ! 教えろください」
「はァ?」
「教えてください」
屈辱だ。
「嫌」
「あ、汚ったねー!」
「だって、そもそもいないもん」
「そんなわきゃねーだろ! ぜってー「いる」っていうリアクションだったじゃねーか!」
「だって、いないんだからしょうがないでしょオ!」
そこからしばらく、オレと玖梨子の睨み合いが続いた。が、ややあって玖梨子が沈黙を破った。
「じゃ、そろそろ私行くから」
「あ、逃げんのかよ」
「だから、知らないって……」
「嘘くさい……」
「今日は、昼間のお礼が言いたかったから起こしただけだから、もう行く」
「あ、おう……」
それを言われると、なんとなく気が引けてしまう。
「あと、それから、電撃にはくれぐれも気を付けてよ。私も痛いんだから」
「あ、あぁ……。わかった。気を付ける」
それも言われると、弱い。
そして玖梨子は紅茶を飲み干して、席を立った。
「あ、ちょっとごめん。もう一つだけ」
「なによぉ……?」
すごく嫌そうな顔をするが、構わず続けた。
「今度の舞踏会で、瑠璃が王子に見染められて、このマンガは大団円って噂だけど、……おまえはどうなんだ?」
「どう……、って?」




