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顔面グランドキャニオン

 紅茶を飲み終わると、頃合いを見計らった店主のおばさんが寄ってきた。いよいよ採寸である。おばさんに連れられ、別室に移る。なんというか……柄にもなく緊張してきた。


「失礼します」


 と言って、おばさんはオレの服を脱がせ下着姿にし(焦った。恥ずかしかった)、メジャーで体の各部位を計り始めた。


 自分の丈に合った、自分だけの服を作ってもらえるというのは初めての経験だが、何か照れ臭くもあり、それでいて誇らしいような、そんな気分である。しかし、そんな気持ちはおくびにも出さず、ツンと澄ましていた。


「クリスティーヌ様、嬉しそうなご様子で、何よりでございます」

「ん。あぁ」


 バレバレであった。


「時に店主、」

「はい……?」

「最近、あなたの身近で様子がそれまでと変わった人間に心当たりはおあり? そういう噂を聞いた、でもいいんだけど」

「そうですねぇ……。特に、私の周りでは変わった人は……。そういう話も聞いたことがございませんし……」

「そう……」

「何か、お困りごとですか?」

「うん、いいの。ありがとう」




 一通り採寸をして店内に戻ってくると、すぐに異変に気付いた。


 なんとなく、雰囲気が違うのである。いやそれどころか、物理的にもおかしい。金色に輝く粒子がそこかしこに漂っているのだ。


 大丈夫かこれ? 有毒な物質ではあるまいな。しかし、それにしてはやけに良い香りが漂っている。と、思った矢先であった。


「あッ……! おう……! お待たせして誠に申し訳ございませんでしたあ!」


 さっきまでオレにへりくだっていた店主のおばさんが、オレの存在が消えたかのごとくオレを置き去りにした。おばさんが向かったその先には、とんでもないのがいた。


 黄金色に輝く金髪、碧い瞳、超高層の鼻、涼しい口元。そしてその職人技の如く丁寧な顔は実にコンパクトにまとまっており、高身長と相俟って十頭身はあろうかというスタイルの良さだ。もちろん、その頭身の半分ほどは足で占められている。


 負けた……、とオレは思った。正直に言おう。オレは自分のことをなかなかのイケメンだと思っていた。朝、顔を洗って鏡を見る時間が大好物だった。だが今、そんな自分を素直に恥じよう。オレは、決してイケメンなどではなかった!


 見よ、あの金髪を! 毛根から金が採掘されるのだ。なんという錬金術! まさに頭皮からのゴールドラッシュ! しかも良い感じにカールしている。ナイス巻き毛。見よ、あの堀の深さを! ボッコォーんと音がしそうなほどでないか。これぞ人体に起きた地殻変動。まさに顔面グランドキャニオン! 上背も下手したら百九十を越えているのではないだろうか。


 方やオレ。髪は黒い上に直毛、味も素っ気もない。奴に比べれば顔の堀などないに等しい。扁平顔面と言って差し支えないだろう。顔の上の関東平野である。背も去年二センチ伸びたのに百七十六しかない。日本人男性としてはまあまあだが、ワールドスタンダードに照らし合わせるとあまりに見劣りする。違う。あまりにも違いすぎる。オレは自分がコテコテの東洋人であることを嫌というほど思い知らされた。


「いやいや。全然。気にしなくていいよ。美味しいお茶もいただいたし、時間的にも丁度良いくらいさ。それに何より、良い出会いがあった」


 三次元を通り越し、四次元はあろうかという立体的な顔面のその男は艶のある甘い声で、そう(のたま)った。まだ若い(多分、二十五くらい)のに、余裕と品格を感じさせる。


 こういう店で仕立てるくらいだから、なかなかの出なのだろうが、待たされても文句の一つも言わず、相手を(おもんぱか)る言葉を並べる。人格面でも負けてるぞ、悪役令嬢!


「どうだい? お気に召したかい?」


 四次元の甘いマスクの男は、試着室に向かってそう声をかけた。返事の代わりに、試着室のドアが開いた。


 色んな意味で、オレは驚愕して意識が飛びそうになった。それをすんでのところで堪えた。さすがはオレの胆力である。そしてオレが見た光景は、完全に打ちのめされたオレの闘争心に再び火をつけるに十分だった。


「はい……。でも、自分には勿体なく、畏れ多いのですが……」


 瑠璃であった。


 それだけでも驚くに十分なのに、彼女はイブニングドレスを身に纏っていた。裾は床まで届くフルレングス。そしてノースリーブ。背中は大胆に見せ、胸元の開き具合は意外にも彼女が豊満であったことを誇示して止まない。


 ドレスの色は鮮やかな赤で統一されており、彼女の光るような白い肌を引き立ててもいる。昨日の夕景の薔薇園を思い出した。それこそ、あの時彼女自身が言った、朝霧に濡れた赤い薔薇のようである。


「いやいや、とても似合ってるじゃあないか。むしろ、そのドレスの方があなたに着られることによって控えめに見えるくらいさ。うん。サイズもぴったりだね」

「そ、そんな……」


 瑠璃はそれ以上、言葉が出てこない。嬉しいのだ。嬉しすぎて、それを表すための言葉が追いつかないのだ。その心の動きが手に取るようにわかる。


 この男が瑠璃に与えたこの感情は、今のオレには決して与えることができない。なぜなら、オレは悪役令嬢なのだから……。


 四次元マスクは瑠璃へと近づいた。そして彼の一挙手一投足に従い、彼の手から、足から、光の粒子が撒き散らされた。


 なんだこいつ! マイケルか? さっき見た金色に光る粒子の正体はこれだったのか。いくらマンガの中とはいえ、やりすぎではないだろうか。


 そして四次元マスクは瑠璃の手を取った。あまつさえ、背中に手を回した。小粋な紳士であっても背中に手を回すまでには、出会いから四十五分を要するはずだ。オレが採寸を取っていたのはせいぜい三十分。つまりこの男、弱冠二十五歳(推定)にして、多く見積もっても出会って三十分にして瑠璃の背中に手を回したのだ。


 回した手はごく自然に瑠璃の背中へと添えられ、普通の男ならセクハラと訴えられてもおかしくないその行為も、この男がすると実にスマートである。


 気づいたら、体が動いていた。


 オレは、四次元マスクを突き飛ばしていた。


 突き飛ばす、と言っても軽く肩を押し、瑠璃から引き離しただけだが。そして、瑠璃との間に立ち、四次元マスクを睨み上げた。


「ク、クリスティーヌ様……!」


 視界の端に驚愕の表情でオレを見る店主のおばさんが映った。


「失礼ですが、ウチのメイドに何か御用でも?」

「これはこれは。あなたがこのお方のご主人でしたか。非礼をお詫び致します」


 四次元マスクはオレに無礼を働かれても(そのことは自分でも重々承知している)、取り乱すことなく紳士的な笑顔を浮かべ、詫びさえした。ただ、その余裕しゃくしゃくの感じがオレの神経を逆撫でる。


「このお方の器量があまりにも美しすぎたため……。差し出がましいことをしてしまいました。お恥ずかしい限りです」


 瑠璃のドレスは自分がプレゼントする、と喉まで出かかったが、すんでのところで言えなかった。反射的なものだった。やはりあの電撃が怖い。我ながらパブロフの犬のようだ。


 しかし、この男のドレスだけは瑠璃に着せたくない。瑠璃にドレスを買い与える男は(今は女だけど)オレだ! さて、どうしてくれよう。


「失礼ですが、使用人にドレスを買い与える必要などない、と存じます。物事には立場によるけじめ、というものが存在します故」


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