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誰にも言っちゃダメだよ

伊織川(いおりがわ)くん!」


 オレは掃除の手を休め、振り返った。


「なんだ、雨之戸(あめのど)さんか。今日も部活? 大変だね」

「大変なのは伊織川くんだよぉ! こんな辺鄙なところの掃除なんてして」

「うん。たまに見ると、結構汚れてるから、その……、気になっちゃってね」

「え! じゃあ、いつも綺麗にしてくれてたの、伊織川くんだったの?」

「あー、うん。……たまにね」

「ありがとー! ここの洗面所、私たち、結構使うんだよね、部活の後とかに。わぁー、助かるぅー。やっぱすごいなぁ、伊織川くんは……。伊織川くん見てると、こんな完璧超人もいるんだなぁ、ってホント思うよ。誰も気づかないところの掃除までして、あんなに成績良いんだから」


 フン。やはり凡人にはそう見えてしまうのか。無理もない。事実、そうなのだから。貴様ら愚民どもにできること、それはオレのような完璧超人を崇め奉ることだけだ。もっと誉めろ。


 ここ、体育館へ通じる校舎一階出入口脇にある洗面所は、建物の角っこにある上、体育館に用でもなければ普段あまり見かけることすらない。なぜこんなところに洗面所があるのか理解に苦しむが、なんせ古い建物だから色々と変遷があり、その名残なのだろう。


 だがしかし、そんな雨之戸さんの言葉通り「辺鄙なところ」にある洗面所だが、一部の人間には極めてよく使用される。それはバスケやバレー、卓球など、体育館で部活を行う者たちだ。部活後、体育館の洗面所はすぐにいっぱいになってしまう。そこでこの校舎入り口脇の洗面所の出番というわけだ。


 需要は高いが目立たない。兎角そういう場所は利用者たちも細かいところまではあまり気に留めないものだ。しかし、目立たないが需要は高い。つまり、一部の人間にとっては日常的な風景でもある。すなわち、見られていないようでその実、よく見られているのだ。人はそういう場所の変化に無意識に気付いている。人間の感覚をバカにしてはいけない。


 普段使いつつも「汚いナァ」と感じている場所が綺麗になっていると、必ずそれは気付かれている。そしてその綺麗さは人知れず誰かの手によってもたらされたものだとしたら? 人はその人物に一目置かざるを得ないだろう。


 ここで大事なのは『人知れず』ということだ。人、殊に日本人は隠れた善行に弱い。大好物と言っていいだろう。


 しかし、秘密兵器が秘密のまま終わったら、それは秘密兵器でも何でもない。闇から闇へと葬り去られた事実に過ぎない。隠れた善行は暴かれなければ意味がない。


 オレは事前にこの雨之戸さんがこの時間、ここを通ること、しかも一人であることを既に調べ上げている。


 まずオレは、彼女のズボラ且つ目立ちたがり屋の性格に目を付けた。時間にルーズでいながら部活の最中も髪型はもちろん、ウェアの着こなしにまで気を配る。それ故他のルーズ勢にも増して更に時間に遅れることを予測した。そしてその予測は当たった。一度や二度ではないことも確認済みだ。


 もちろん、その間『本当に人知れず』洗面所を掃除していた。雨之戸さんが体育館に行った後、『本当に誰も通らない』時間も把握してある。


 人に気づかれる前に()()は必要だ。一回や二回、気まぐれに掃除しただけでは、ありがたみなど感じられまい。人知れず()()()()()。そのストリークこそが人の心を打つのだ。


 そして機は熟し、この女に『人が見ていないのにやる』ところを見せつけている、というわけだ。


「伊織川くんがここ掃除してるの、他に知ってる人、いるの?」


 わかる。わかるぞ。貴様は今、誰かに話したくてウズウズしているのだろう。手に取るようにわかるぞ。


 そして何より、オレが雨之戸さんを選んだのは、彼女が人間拡声器だからである。


 彼女は口が軽い。極めて軽い。会話に重力があるとすれば、軽く成層圏は突破しているであろう。噂話を聞くのも話すのも三時のおやつよりも大好物である。


 彼女一人に知らせれば、その三分後には学校中に知れ渡ることとなる。素晴らしい宣伝効果だ。


「うーん、どうだろうね。あんまりそういうこと気にしないからなぁ……」


 いるわけないだろう。周到に誰にも気付かれないようにしてきたのだから。無論、本当は気にしまくりである。


「ふーん……。そうなんだ」


 そして今この瞬間、彼女は誰も知らない情報を得た、という優越感に浸っているはずだ。


「ねぇ、伊織川くん、」


「ん?」


 雨之戸さんは短パンのポケットから、やおらスマホを取り出した。これから部活だというのにスマホを持参しているのはいかがなものか、とも思うのだが、問題ないのである。以前なら禁止されていた行為だが、現在の生徒会長が変えてしまったのだ。


 「自由な学園生活」、そして「世界に取り残されている日本社会のデジタル化」への警鐘を謳い、スマホの常時携帯を学校側に認めさせたのだ。このように、学生の学校での生活は生徒会長の腕次第でどうとでもなる。やはり生徒会長は学園に君臨する最強の生徒なのである。


 そしてそのスマホを片手に雨之戸さんは言った。


「写メ撮らない?」

「いいよ」


 何を突然こんなところで、と思わなくもないが、なるほどそういうことか。()()写真というわけだな。


 雨之戸さんはオレの隣に来ると、知らないカメラアプリを起動した。ちょっと前まで流行っていたのとは違うアプリだ。本当にこういうのは流行り廃りのサイクルが早い。


「はい。撮るヨー」


 雨之戸さんは洗面台をバックに、インカメにしたスマホを掲げる。……ちょっと顔が近すぎる気もするが、多分、雨之戸さんは他人とのパーソナルスペースが人よりも近いのだろう。


「あ! いけない! ちょっと待って。えーっとね、」


 そう言って、雨之戸さんはオレの肘をつかんで壁際へと移動した。


「はい、撮るヨー」


 画面の向こうからオレと雨之戸さんが笑いかける。その笑顔が一瞬で凍りつく。オレたちの時間が切り取られる。


「わあ! 伊織川くん、なんで何もやってないのに盛れてるの? ズルいなぁ」

「え? そうかなぁ」

「でも、これをこうしてこうすると……、ほら! 私も盛れた!」

「おお!」


 それは()()なんてもんじゃない。アニメのキャラだ。文字通り、我々は()()()()()()()()()()()()()


「すごいな、これ……」


 さすがのオレもびっくりだ。


「色んなマンガのタッチにできるんだよ」

「おお!」


 雨之戸さんは次から次へとエフェクトを変えていく。


「すごいなぁ……。巨大ロボットに乗ってそう、かと思いえば、海賊船に乗ってそう……、制服とジャージだけど」

「ね! このアプリすごいでしょ? だから、みんな使ってるんだよ」

「なるほどなぁ……。って!雨之戸さん。そろそろ部活、行かなくていいの?」

「あ! いけない! また先生に怒られちゃう。じゃあね、伊織川くん」


 ここで更にオレは『トドメのもうひと押し』ってやつをした。


「あ、このこと、()()()()()()()()()()()

「うん! わかったあー!」


 フッ。これで完璧だ。


 おっと。オレもこうしちゃいられない。


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