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9 今の、誰。


 幸緒は仕事モードに切り替え、疑問なんぞぐるぐるぽいっと放り投げた。


 ノックをした宝生はというと、返事も待たずにドアを開けた。ぎょっとする幸緒をギロリと睨んで窘め、その長い足を遠慮なく踏み入れる。


 返事ないのに入っちゃった。いいのかな。いや、私は黒子、黒子。幸緒は心の中で呟きながら、宝生の後ろをそろそろと鴨の雛のようについていく。




 部屋へ入ると、豪華な部屋の明かりに思わず目をつぶりそうになった。



 なんだろう、この部屋、とてつもなく明るい。



 宝生の手の合図で、幸緒はすぐに足を止める。綺麗な指先だな、なんて邪念をふき飛ばし、部屋から入って三歩のところで控えるように気配を消した。


 部屋の作りは、どこも同じらしい。

 けれど、紳士のいた落ち着いた風格とは違い、こちらはとにかく豪華絢爛という言葉が相応しかった。あちこちに金の装飾で溢れかえっている上に、壁に隙間なく埋められている絵画の額縁までもビカビカの金色だ。さらにシャンデリアが二つも吊され、ついでとばかりに燭台まで棚という棚に置かれている。目がチカチカしそうだった。


 その中央で、着物姿の女性がソファに座っている。肩で切りそろえられた髪は真っ黒で、その後ろ姿はさながら市松人形のようだ。黒い頭が、ゆっくりとこちらを振り返る。


 幸緒はすかさず視線を下げた。


 一瞬、居心地の悪い空気が流れる。

 と、どちらかが口を開いた気配がした。



「ねー。待ってたんだよお」



 甘ったるい声だった。間延びした、どこかけだるげな声だ。市松人形は一昔前のいわゆるギャルだったのかと、幸緒は啞然としかけたが、何とか我慢する。ギリギリセーフだ。多分。



「今日はあ、シャンパンを入れまーす。早く、マリアの席についてよ。リュウセイ。指名してるのに待たせるってどういうことなの?」

 


 は?

 リュウセイ?

 宝生さんって名前リュウセイなの? 似合わない……


 幸緒は顔を俯かせたまま、深呼吸をしようとして、やめた。ホテルマンならば、息をするのも気をつけろと言われたばかりだった。なにがあっても、と。幸緒は床を見つめる。じっと、絨毯の毛足の向きを観察しようと試みる。


 けれど、幸緒の必死な無心は宝生によって打ち破られた。



「ああー、ごめんごめん、マリアちゃん。今日も来てくれて嬉しいよ。指名ありがとう。席についていいかな?」

「うーん、いいよ」

「ありがとう」


 え。

 え?

 え?!


 今の、誰。



 底抜けに明るく、華やかでほんの少し色気を織り交ぜた――そう、まるでホストのような声にばっと顔を上げそうになる。が、堪える。我慢だ、我慢だ、と、必死を通り越して意地で絨毯を見つめる。


 ふと、宝生がソファに座った気配がしたので、そろりと視線だけを上げた。


 やっぱり。

 宝生の背中に隠れて、市松人形の顔も宝生の顔も見えない。が、宝生の肩に朱色の着物の袖がたらりと掛かっていた。市松人形もといマリアが、宝生の肩に抱きつき、しなだれかかっている。


「会いたかったよ、リュウセイ」


 囁いている。今にもいちゃいちゃが始まりそうな気配だ。いや、マリアはその気だ。

 宝生は片腕をアンティークソファの木製フレームに置き、右腕でマリアを引き寄せて抱きしめた。


 もう目がテンになった幸緒は、自分が石膏で固められたように動けなくなっていることにも気づけなかった。



「俺も会いたかった。来てくれて嬉しいよ」


 囁いている。こいつも囁いている。


「んー、嬉しい!」



 マリアはぎゅっと抱きつき目を瞑った。そのまま首筋にキスでもおとしそうな勢いだ。しかし、ハグを終わらせると、リュウセイはやんわりと身体を離した。頭をよしよしと撫でている。マリアが満足したように微笑んだ。


「で、今日はどうしたの?」

「仕事でね、失敗しちゃった」

「そう」

「ん」


 宝生――いや、リュウセイの片腕を引き寄せ、マリアはそれに抱きついた。

 ふたりともソファにずっしりと座り、リュウセイは大きく足を組んでいる。ついでに見てみると、眼鏡もない。七三分けもない。ぐしゃぐしゃとかき混ぜた前髪に、だらしなく開いた胸元。そこはかとなく漂う素人ではない夜の空気をまとった雰囲気。



 あ、そっか、ここホストクラブだった。

 私はホストクラブの黒子の面接に来たんだ。



 幸緒の脳は状況を把握しきれず、トリップしていた。そうじゃなければ、気配を消すことができない。とにかく言われたことは守っている。というか、そうすることしかできない。


 な、なにやってんですかあ、と言えたらどれだけ楽だろう。


 有無を言わさぬ圧で満ちているこの場でそれをしては絶対にいけないと、幸緒の勘が言っている。


 よかった。本当によかった。演劇部に入ってて。


 今思えば、あれで空気を読むという力を養ってきたのかもしれない。特に有名な演劇部だったわけじゃないが、顧問の佐藤がとてつもなく変人で奇人で、しかし幸緒は彼が不思議と好きだった。陰でザビエルと呼ばれていた彼の禿頭が懐かしい。


 ザビエルは、即興劇を好んでやらせた。

 やれ白雪姫で、竹取り物語りで、とアドリブでしっちゃかめっちゃかな劇をすると大層喜んだのだ。


 普遍的で終わらせると、お前等ができるのはそれだけか、枠からはみ出して見ろと発破をかけられた。部員は必死の形相で、悪役の母親が実は苦労人でやっと掴んだ再婚話を必死に離すまいと画策するという劇にして、ヒロインシンドロームの白雪姫をうざったく演じたりと、とにかくユニークで風変わりな劇をその日その日でやっていた。


 よく思い返してみれば、誰でも知っている既存の物語のアドリブだけしかさせられてない気がする。


 幸緒は思わず首をひねりたくなった。


 台本なんてものも用意されていない。

 ザビエルはいつも顧問席といって、どこから持ち込んだわからない大きな革張りソファに座って、おやつを食べていた。もしかしてあれっておかしかったのかな、なんて、やっと思い当たったのだった。






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