39 まだやる気か。
よし、キャシーを言いくるめてやる、と闘志に燃えたところで、再び宝生が腰を押った。
「そもそも、前と同じ展開があるとは限らないぞ」
「またもう!」
「いや、入って早々お前が先制したとして、向こうは違うものをしたかったらどうする。お前のアドリブに付き合わされるという本末転倒どころか拷問だぞ」
「確かに!」
しまった、と幸緒は顔を上げた。
キャシ~と歌いながら入ったはいいが、きょとんとした顔を返されたらどうしよう。それこそ間抜け中の間抜け。こちらが負うダメージは大きい。
向こうがノリノリで演じているからこそ、これは成り立っているのだ。よく考えてみれば、ホテルの一室でオペラをしたり、おじいさんを少年として扱ったり――一歩間違えれば、危ないアブノーマルの世界ではないか。変な職場には違いない。が、そんな事実は素早く投げ捨てた。疑問を持っていたら、せっかく得た職場を失いかねない。
幸緒は頭を抱えた。
今、目前に大きな、それはもう大きな問題が転がっている。
「え。じゃあ、どうしよう」
髭面マーメイドがあれの続きをする気なら、絶対に悲劇に変えるシーンから始めるだろう。あちらの方が何枚も上手なのは、面と向かってぶつかったのでわかる。あれは剛速球の力業だ。
だとしたら、こちらが有利に進める為には先制攻撃しかない。しかし、そのアドリブ自体が間違っていれば有利どころか明らかなルール違反だ。
「……そもそも、有利に進める必要があるのか」
宝生が唸る幸緒を不思議そうに見下ろす。
「あるんですよ」
「なんでまた」
「あいつは、わざとやってるんです」
「お客様をあいつ言うな」
「いえ、キャシーのことですよ。絶対台詞を変えないところに強い意志を感じます。悲劇をしたいのなら最初からジュリエットになればいいものを、わざわざキャシーを選んで私に白手袋を投げて寄越したんです」
「決闘か」
「いい突っ込みですね。ええ、そうです、決闘ですよ。ストーリーを戻せるもんなら戻して見ろと、憧れのサンセットという舞台で決闘を申し込まれてるんです。ここでの選択肢は二つ。向こうの出方を待つ、もしくは恐れずに先制攻撃をする。前者は負けです。バッドエンド確定です」
「後者も間違えていれば負けだな」
「はっ」
幸緒は宝生を見た。なんだ、と視線を寄越す宝生に、にっと笑う。
「決めました。先制攻撃です!」
「……恐ろしいことにならんといいが」
「いいえ。絶対にキャシーですよ。大丈夫です」
「その自信はどこからくるんだ」
「決闘を申し込んだ以上、自ら退くことはないでしょう。問題はどちらが第一声を言えるかにかかってます。では」
幸緒はしゅっと手を挙げて、行ってきますと告げた。ノックをしてドアノブを握る。
開けたら、勝負開始だ。
背後で宝生の呆れた眼差しを受けながら、幸緒は大きく扉を開けた。
ずんと一歩大きく踏み出す。
天井から垂れ下がった幕を切って落とすのは、こっちだ。幸緒は声を張り上げた。言う台詞は決まっている。
「キャシィー! さあ、準備は整った!」
言ってやった。言ってやったぞ。
幸緒は満足感のあまりに頬を上げて勝ち気に笑った。
しかし、ふとなんの反応も返ってこないことに気づく。
え。
やっちゃった?
どどどどどどうしよう。
幸緒はその場で固まった。そういえば、前回は物語の中盤で――夜にまた会おう――で終わっていたが、今したのは終盤。
先制攻撃で有利に進めることだけを考えていた。もし、続きを望んでいたとしたら、これは盛大なスキップだ。やってしまった以上、巻き戻しなどできない。
どどどどどどどどどどうしよう。
レースの向こうで影だけは美しい人が、がくりと崩れ落ちるのが見えた。慌てて幾重にも重なったレースを払いのける。
あと一枚と言うところで、声が響いてきた。
「――やっぱりあなたといると……すべてうまく行くわ。なんて素晴らしいのかしら」
台詞は一緒だ。よし。なんとか胸をなで下ろす。
けど、問題はくっきりと目の前に提示された。
悲愴に満ちているのだ。同じ台詞なのに、全くニュアンスが違う。これではまるで、あなたは素晴らしい人なのに私はなんてだめなのか、釣り合わないと言いたげだった。
くっそう。まだやる気か。
やってやろうじゃないの!
幸緒は最後の一枚のレースをめくり上げて膝をついた。
優しく、できるだけ彼――ではなく彼女を直視しないように囁く。
「僕こそだよ。僕こそ、君といるから」
「いいいえぇえ」
再び腹の底からの絶叫が響く。逞しい肩を抱こうとした幸緒の手がびくうっと跳ねた。
そこは明るく、イエー! と歌い始めるところでしょ!
俯いてイヤイヤとする短髪の頭を思いっきりはたき落としたくなるのを堪える。
「お父様にも反対されたの、こんなことはおやめなさいと。二人は幸せななれはしないと。だから……私は……」
「二人でぇ、協力するんだよ!!」
ノリノリで歌って見せる。キャシーは涙ながらに訴えているが、ここはもうこの際一蹴させてもらう。こんな攻防は無駄だ。なにをどうしても悲劇にする気なら、こちらもなにがなんでもミュージカルにさせてもらう。幸緒は腹をくくった。というよりも、羞恥心というネジが弾け飛んだのだ。ガシッとキャシーの手を取る。
次は友人たちが二人を囲ってるんるんと踊り狂いながら「ハッピー、君といれば、ハッピー、君がいるからハッピー」などとハッピーを連呼して歌っているシーンだ。さあ、踊れ、髭面マーメイド!
幸緒は力任せに引っ張り上げた。
「ほぅら、見てごらんよー。祝福の花たちが降り注ぐ空〜を〜!」
右手を天井に、カッと見開いた目でキャシーを熱く見つめて微笑む。それはもう往年のオールドムービーできらりと歯を見せて笑うスターの顔のように。そして喋らせない。ここ、重要。
「みんな、ハッピー、きっとこれからもハッピィー!!」
ぐるっと手を回すと、キャシーの身体がしなり、つられるように動いた。よし!
幸緒は野太い声で歌いながら、根性でその巨体をくるりと回す。もうはたから見ればプロレスに近い。
「っ! 父上たちは、きっと分かり合うことが必要なんっ、だ! 僕たちがこうしているのも、お互いを知ったから〜だ〜! そうだろう? だからきっと好きになる! 僕が君を愛すように〜、君の父上が君を愛するように〜!」
キャシーを力付くで回し、ステップを踏ませる。というか、引っ張る。
「そうだろ。父さん!」
誰もいないテレビに向かい、幸緒はばっと手を広げた。
「もうそろそろ、下らない意地の張り合いなどぉ、やめにしよう!」




