3 ま、眩しい。
「ですよね」
そう思ってました。
幸緒は再び宝生の後ろをついて行った。階段の前で、宝生が止まって右手を指す。
「あちらは従業員用の部屋です。ここで働いているものは皆住み込みなので、なにかあれば誰かに聞くように」
「アバウトですね」
「業務外のことはあまり頼らないで欲しいので」
「身も蓋もない」
「その代わりにしっかり紹介はしてあげますから」
「お願いします」
どうか、話の通じる、いや、せめてふつうの会話ができる人が居ますように。
幸緒は祈るような気持ちで宝生の後ろをついて行った。
左手の廊下に入ると、宝生が廊下に並んでいる扉を順開け、手早く説明していく。
シーツが几帳面に棚に並んだリネン室。
業務用洗濯機にアイロン台のあるランドリー。
トマトの缶詰やオイル、じゃがいもが置かれた食材貯蔵庫。
さきほど通された応接室。
そして最後に従業員の休憩室。
「休憩室?」
それは、どうみても豪華なダイニングだった。
あれだ、殺人が起こる洋館で、容疑者とされる客が集まって、ナイフとフォークを動かしながら上っ面の会話を繰り広げる、よく見るシーンの再現と言ってもいいような、豪華なダイニングだった。暖炉まである。その上には調度品があり、なにやら天使が踊っているし、頭上には華やかなシャンデリアがあった。煌々と光っている。
客が通るところとはまるで違う雰囲気だ。
明るくて人の気配がある。
「休憩室です」
宝生が繰り返す。
「お客様のための食堂ではなく?」
「ではなく。お食事は三食お部屋にお運びします」
「え、三食?」
ホテルや旅館では多くて朝食と夕食の二食だけだ。伊達にサービス業の面接を受けまくっていない。幸緒はサービス業にシフトチェンジしてからは、その業種に関する情報収集や勉強を欠かさなかった。欠かさなかった上で不採用なのだから、どうしようもない。
「基本的にここに泊まられるお客様は一歩も部屋からお出になりません」
「一歩も?」
「ですから、ベルも鳴りません」
「なるほど」
「鳴ったら」
「鳴ったら?」
「即座に追い返してください」
「お、追い……?」
「できれば丁寧に、このホテルの評判はなるべく落とさず」
「なるべくでいいんですか……」
「追い返すことが絶対です。絶、対、です」
「強調しましたね」
「あなた情にほだされて入れてしまいそうなのでね。大事なことはその脳に刻み込んでください」
「了解しました」
幸緒はなんとかこの宝生という支配人の扱いのこつを早くも掴みつつあった。
容赦がなく辛辣で、神経質な人間はさらっと流すに限る。半分聞いておけばいいのだ。おっと、重要なことはきちんと聞いておくのが大前提です。
「わかっていればいいんです」
「はい、もちろん」
幸緒はにこっと返す。
明るさと笑顔が大切だと、鬼のような母には教わっている。女は愛嬌で人生の三分の二は楽に進めると口酸っぱく言われてきた。残念ながら、それは人生に置いて重要な就職という残りの三分の一には役立たなかったが。
シャンデリアの明かりを見ながら、なんて素敵な休憩室なんだろう、と胸が弾む。
大きなダイニングテーブルの中央には花瓶が置かれ、オレンジやピンク、グリーンのガーベラがこれでもかと言うくらい生けられている。なんだか品のあるロビーとは違って――ちょっとめちゃくちゃだ。
それによく見ると、その花瓶の横にザルがあった。
みかんが山積みにされている。よくこたつの上にセットされているような、あれだ。
重厚で執事が引いてくれそうな椅子には、猫がまどろむ模様のクッションが置かれているし、暖炉の上の天使の隣には、古書のオブジェだと思っていたけど漫画が積み重ねられている。
人の気配があると言うよりも、生活感が溢れている。
「まったく、片づけなさいと言っているのに」
宝生は歩き、暖炉の上の漫画を取ると、天井まで延びる造り付けの棚のドアを開けた。びっしりと漫画が並んでいる。
なんだろう。一気に残念感と安心感がないまぜになる。
「あ、ごめーん、片づけようと思ってたんだけど」
明るい声が響き、幸緒は暖炉の左手から現れた長身の女性を見た。彼女も視線を感じたのか、ぱっと幸緒を見て、目があう。
綺麗な瞳に、陶器のように白い肌。桜色の唇に、一言でいえば”見たこともないほど美しい女性”だった。黒い髪をくるりと後ろで一つに巻き付け、割烹着を――え? 割烹着?
幸緒は自分の目を疑った。小豆色のジャージの上に割烹着を着ている。絶世の、美女が。
「あら、ま」
「紫乃、読み終わったらその足で片づけをしなさいと何度言ったらわかるんですか」
「あはははは」
「笑って誤魔化すのはやめさない、いい年して」
「ひどっ。いや、それより紹介してよ。目が点になってるじゃない」
紫乃と呼ばれた割烹着美女が幸緒を指さした。
「ついでに古町も呼んできてください」
「オッケー」
美女が消える。
宝生が幸緒の顔を見て鼻で笑割れたが、反論する暇もなく、再び美女が現れた。もう一度見ても割烹着を着ている。しかも着慣れている。それが伴ってきたのは、緑のジャージのイケメンだった。
茶髪に、ジャージ。
きゅっと上がった口の端や、人なつっこく細められた目は間違いなくイケメンだった。さぞや女性にもてることだろう。きらきらしたオーラまで引き連れていた。いくらジャージでもかき消されないほどに。
美男美女が割烹着とジャージでにこやかにランウェイを歩くごとくこちらに来る。幸緒は隣の宝生にぼそりと聞いた。
「つかぬことをお聞きしますが」
「はい」
「ここの制服がジャージなんてことは?」
「ありません。だとしたら私も着ているはずでしょう」
「いえ、宝生さんなら、くだらないと自分で用意しそうでしたので」
「言葉にするようになりましたか」
いい度胸だ、と言いたげに薄ら笑う宝生をスルーして、幸緒は目の前に立った二人を見て目を瞬かせた。
ま、眩しい。
華やかな美女ときらめくイケメンを前に、二人がジャージを着ていることも見えなくなり、幸緒は何故か緊張してしまった。ぴしりと背を正し、がばっと頭を下げる。
「あ、あの、富山幸緒です。今日からお世話になります!」