長徳三年のころ
令和では半年後、平安では2年後の長徳三年六月に清少納言のもとに戻るよう申請する。過去には戻れないが、3年以内なら間が空いても戻れる。
いろいろなことが、様変わりしていた。
定子様は、前年十二月に第一皇女、脩子様を出産なさって母になっていらっしゃった。
以前は、女御は定子様ただ一人でいらっしゃったのに、大納言藤原公任の娘義子が弘徽殿の女御になっている。右大臣顕光の娘元子が承香殿に
入内、じき女御になられるだろう。天皇の鏡のような一条天皇は、まるで妹全員をかわいがるように、后全員と仲良くお過ごしだ。もちろん、心の中では定子様が一番なのだが、兄君たちの罪もあり、定子様が一度剃髪されたこともあり、臣下の中にはとやかく言うものも多い。
定子様は、清少納言らを連れて、職の御曹司に入られた。
故道隆様の月ごとの供養を職の御曹司で行われた時、上達部や殿上人がたくさんやって来られた。法師が説法をすると、皆々心に迫るものがあり涙を禁じ得ない。供養が終わると酒宴になり、歌人として著名な頭の中将藤原斉信様が
「月秋として身いまいずくにか」と吟じられたのは、素晴らしく立派なご様子で、一同感激していた。清少納言が、いそいで定子様のもとに近づいていくのに、私もついていくと、定子様のほうからも、こちらに近づいていらっしゃって、
「まあ、素晴らしいこと。この場にぴったりね。今日のために作られた詩のようだわ。」とおっしゃる。清少納言は、
「その通りですね。この感激を共にしたくて、急いでまいったのでございます。」と答えていた。
ああ、この場面は、枕草子絵詞の第三段の場面だわ。




