中の関白家のあがき
清少納言は言う。
「中の関白家としては、トンビに油揚げをさらわれた形ね。 故道隆様は、自分の後を伊周様に継がせるべく、かなり強引に伊周様を昇進させてこられたの。これがあだになって、三条院詮子様やたくさんの貴族たちの反感を買ってしまわれてね。特に詮子様が当時中継ぎの天皇とみなされていた円融天皇の女御となられた時、たいしてご挨拶にもうかがわず、行かれても冗談ばかり言っていらっしゃったので、女御に対する礼儀がなっていないとこぼしていらしたということだし。」
「まあ、生真面目な三条院様には、そうとられても仕方がないですね。」
(実際、私が見たのは冗談を言って定子様や女房たちを笑わせていらっしゃる姿ばっかりだったし。)
「そのうえ、三条院様が、中宮になられなかったことをからかうような発言をなさったらしく、恨まれていらっしゃったようで。」
「そういえば、そんなお話を聞いたことがありましたわ。」
(ええと、子も産んでない女御様が中宮になったので、定子様の祖父藤原兼家が怒って参内しなかったとか、詮子様が里に引き上げてしまったとか、異世界学校の歴史の時間に習ったんだったかなあ。そのせいで一条天皇は一人っ子だし。)
「昔の恨みが、伊周様に降りかかったような感じなの。」
7月24日には、伊周様と道長様が陣座の席で氏長者の所領帳の所有をめぐって激しく口論され、罵声が外まで聞こえて一座は恐れをなしたといううわさを聞いた。3日後には伊周様の同母弟隆家様の従者が道長様の従者と都の大路で乱闘したそうだ。
半年たったが、ここで転移をやめるのには忍びず、もう半年延長することにした。
8月2日には道長様の随身が隆家様の家の者たちに殺されるという事態に発展したという。同じころ、道隆様の正妻高階高子様の父、従二位・高階成忠様が道長様を呪詛しているという噂も流れた。みにくい権力争いである。そして、藤原道長のほうが一枚上手だ。




