権力争い
定子様の父、道隆様の後、叔父の道兼様が関白になられたと聞いてから、十日余りで道兼様は病に倒れそのままお亡くなりになってしまわれた。まだ35歳でいらっしゃった。
次の関白は、道隆、道兼様の同腹の弟道長様か、定子様の兄伊周様か。
道長様は、30歳。権大納言で一条天皇の母君、三条院詮子様が特にかわいがっていらっしゃる。
伊周様は、22歳。内大臣で一条天皇の中宮、定子の兄君。
母を取るか、妻を取るか。
ここで、大きく動いたのは、三条院だった。うわさでは、一条天皇のご寝所まで追いかけ、泣き落としをされて、ついに主上が根負けされたのだという。関白としては、道長さまは若すぎる。大臣としての経験もない。関白ではなく、「内覧」(天皇がご覧になる文書を先に見る役職)になり、八日のちに右大臣となられる。
道長さまは、兄二人に比べ、どのような方か、よくわからない。定子様の先々が不安だと清少納言が心配する。
不安どころではない。最悪の事態になったことを、私は知っている。しかし、歴史に干渉してはならないと、学校でしつこく教わっているし、定子の女房という身では、何をどうしようもない。
道隆様の喪に服している6月末日、半年に一度のお祓のため朱雀門に定子様が行かれるのに、方角が悪いということで、太政官庁に渡られた時のこと。夏の暑いときで、月末だから月は出ず、面白みはない。それでも、屋根は瓦ぶきで、格子のかわりに御簾がぐるっとかけてあるさまが、珍しい。女房たちは、庭に下りたり、鐘つき台に登ったりして遊んでいた。何とも、のん気なことだ。




