初めて出仕したころ
今は、長徳元年の如月ですから、私が初めて出仕した正暦四年から、三年の月日がったっていますね。二十八歳になっていました。頼みの父、藤原元輔が西暦元年に任国肥後にてはかなくなっており、夫橘則光とも疎遠になっていたところ、関白様に請われて中宮様の女房になったのです。
それはもう、何をしてもうまくいかず、おろおろと、身の程もわきまえず出仕してしまったことを後悔しない日はありませんでした。
(えっ、そうなの?今の様子からは、想像もつかないわ。)
わたくしのお勤めは、夜に定子様のおそばに侍っていることだったので、毎夜、定子さまのお側の三尺の御几帳のそばに控えておりました。そうすると、定子さまは絵などをお取り出しになって、お見せくださるのです。
「この絵は、藤原行成様が書かれたものよ。わたくしの祖父、藤原兼家の兄の孫にあたる方で、お手も絵も素晴らしくお上手なの。わたくしの五つお年上になられるかしら。こちらの絵は、」などとおっしゃるの。とても寒いころなのに、定子様の手は、とってもつやつやして薄紅色だったのよ。こんな世界があるなんて、中流貴族の受領の娘では知ることはないから、思わずじっと定子様の手を見つめてしまったわ。
(髪でも、お顔でもなくて、手か。さすが清少納言。観察力があって、人と違う描写ができる。)
なんせ、年増なので、しかも、人に劣る顔立ちなので、朝日が昇ってしまったら大変だと、夜明け前に帰ろうといつもあせっていました。
(まあ、美人とは言い難いわね。)
すると、定子さまは、「葛城の神でも、そんなにあせりませんよ。もうちょっといなさい。」とおっしゃる。
そのとき、女官が来て格子を上げようとするので「まだ、上げてはなりません。」とお止めになった。それから、私に「さあ、局にお帰り。」とおっしゃって、さらに、「夜になったら、早くいらっしゃい。」と付け加えられたの。
(まあ、なんて優しい。仕える女房の気持ちを察して、こんな行動をなさるなんて。清少納言が心酔するのも当然ね。)




