第七楽章『Aufgeben【ミキリ】』‐5‐
境内に響き渡るのは木刀同士のぶつかる音。もうどれだけの時間続けているだろうか。有効打はお互いにまだ無いが、内容としては一方的だ。
「ほら、もういっちょっ!」
「ッ!?」
またもかすめてくる義雄さんの攻撃。俺はなんとかその攻撃を避けていく。
今までの流れとしては俺の攻撃はことごとく防がれてしまうが、義雄さんの攻撃は腕や太腿、首の辺りに切先が当たっていた。
すでに間合いを制されてしまっているのが原因だ。最初の方で見せていた構えとは違い、片手で持って木刀を振るいながらあらゆる角度から攻撃を仕掛けてくる。片手だと言うのに繰り出してくるその義雄さんの攻撃は、一撃一撃がしっかりとした威力を持っている。
しかもその攻撃に決まった間合いなど無い。迂闊に近づけば餌食にされてしまうし、十分離れていると勘ぐって油断すればいつの間にかその間合いを詰められて攻撃されてしまう。そして対応でき始めたかと思えば持つ手をスイッチして流れを変えてくる。
「ホント、仕事間違ってるんじゃない? 義雄、さんっ」
とはいえ、やはり片手で持てば長い得物は持っているのが難しい。振るってきた木刀を目掛け、俺も叫びながら木刀を振るう。
その木刀同士がぶつかり合うと、義雄さんが持っていた木刀は宙へと弾かれた。両手で持ったものと片手で持ったものの戦いだ。当然と言えば当然だろう。そして素手になった義雄さんを見ると、それでも尚俺に組みかかろうとしてきたので、木刀の先を義雄さんの顔面に向けて突き出す。そこでようやく義雄さんは力を抜き脱力する。
抜かりが無いことだ。と言うよりも、俺に対して心構えが出来ているかを試したのかもしれない。
「やられたね、こりゃ」
「これで義雄さんの木刀弾けてなかったら、俺この仕事続け―――」
言い終わる前に、ゴンッ、と鈍い音が響く。俺と義雄さんはそっちの方をすぐに見た。
そこには倒れている義太の姿と転がっている木刀があった。
◆ ◆ ◆
美緒さんの前で蹲る凛。脇腹を手で押さえ痛そうにしている。痛みは結構なものらしく、なかなか立てないでいる。
するとそれを見ながらゆっくりと凛に近づいていき、目の前で見下ろす美央さん。それを見て、凛はなんとか転がっていた薙刀を握りなおして美緒さんを見上げる。
不思議な事に美緒さんはいくらだって攻撃は出来たはずだったのだが、攻撃はせず、今も薙刀を向けられていると言うのに凛を見つめている。
しばらくそうして膠着して、ようやく切っ先を向けた凛に何をするでもなく美緒さんはただ喋りかける。
「…いいですか? 凛さん」
凛はその言葉に返事をする事も、頷くことさえせずにただ美緒さんの顔を見つめる。
「…私が手を緩めずに攻撃をしていたら、凛さんは今、どうなってましたか?」
美緒さんの言葉に凛は息を飲むような仕草をして、小さな声で返す。
「何も出来ずに…、ここで倒れてた……」
「…それだけじゃありません。…守る者がいたならば、あなたのそばでその者が同じ事になっていた。…あなたが足枷になって、それは確実なものになってです」
言い終わるやいなや美緒さんは、薙刀を持った手首のあたりを素早く隙を突くように叩いてきた。痛っ、と言いながら凛は持っていた手を放し、薙刀は凛の手から落ちていった。
「…今も構えようとするだけで、注意が私の話の方にいってしまい、敵である私の動きを見ようとしていなかった。…私が不意を付いたとは言え、戦いにおいてそれはあるまじき行為です」
そこまで言われ凛は手首を押さえながら涙目になっていく。それを見てしゃがんで片方の手の竹刀を置く美緒さん。
「…だめです。…泣いている暇は無いですよ。…そんな事で悪霊やそういった類のモノが手を緩める事は無いんですから」
美緒さんはそう言いながら、床に転がる薙刀を拾って凛の手に渡す。そして立ち上がり、始めに向き合ったあたりまで戻っていく。
凛は痛そうにしながらも手渡された薙刀を握り直してゆっくりと立ち上がった。そしてもう一度仕切りなおしのようにさっきまでと同じように打ち合いが始まる。
何度となく美緒さんのほうに凛を倒すチャンスはあった。今のだって何も言わずに両の手に持つ竹刀で凛の事を叩けば良いだけで…。
もしかして……、
「凛の事を、試してるんですか?」
目を瞑って試合の状況を音で判断していたのであろう巴さんは、私の言葉を聞いて微笑んだ。
「夏美さん、私はこの戦いにおいて勝ち負けは必要ないと思っています。技術云々を身につける事は努力すれば出来ます。でもそれよりもこれから先、あの子は自分が選んだ生き方で、ちゃんと生きていけるかを判断してあげたいんです」
だから湧樹を連れて来ないでこうやって凛を戦わせたんだろうか。多分湧樹に文句を言われないように。湧樹のことだからそんな事を知ればどうなるのか、巴さんは分かってるんだろう。
でも疑問はある。それは巴さんが言った言葉の判断基準だ。
「その判断基準は強さで、ではないんですか?」
「強くなる事、確かにそれは大切です。ですがそれだけじゃ…。なら夏美さん、一つ問題を出します。『競技者』と『武道家』の大きな違いはなんだか分かりますか?」
「違い、ですか…」
突然不思議な質問をされ、私は戸惑ってしまう。
改めて『競技者』と『武道家』の違いを考えてみる。だけどよく分からない。人によっての呼び方の違いじゃないんだろうか。
「同じ武道をやるにしても、強くなるだけでは『競技者』と呼ばれる者になってしまいます。私の考えではそれではこの先生きていけない。生きる為には『武道家』のような『心』を持つのが大切なんだと思っています。あなたや退魔士が相手と戦った時に持つ心とほとんど一緒で、難しい事じゃないですが、簡単ではないかもしれませんけどね」
そういってまた微笑む巴さん。私は目の前の戦況を見ながら思案する。
『競技者』と『武道家』の違いである『心』。それは一体なんなのか。自分自身こういう仕事をしているのだというのに、それが判らないのは少し不思議だ。こんな立派な神社の方からの問答だ。とんちでも出されているのだろうかとも思ってしまう。
そんな事をしている間も凛と美緒さんの試合は進んでいく。やはり今までとそれ程戦況に変わりは無いが、美緒さんはさっきまでの余裕過ぎるぐらいに戦っていたスタイルをやめていて、実力差そのままに試合を有利に進めていっている。防戦一方、と言うよりは何も出来ないでいる凛。なんとか美緒さんの攻撃を防いではいるものの、一瞬の隙を見つけられてはガラ空きになっている体の箇所へ攻撃されてしまっていた。今もガラ空きになった脛に打ち込まれてしまう凛。眉間にしわを寄せて痛そうにする。そのまままた薙刀を落とすのかと思った。
だけど凛はそうしなかった。
凛は薙刀を、痛みを堪えるように歯を食いしばって握る。そして必死の思いで薙刀を振っていく。脛の痛みで上手く踏ん張れないのか、振るっていく力ないその攻撃は美緒さんには当たらず、ただ空を切るばかり。竹刀で受けずに大きな動きもなく避けていく美緒さんは、さながら『煙』のようだ。
「斬っても斬っても斬れない煙のような相手と戦うのは辛いでしょうね…」
思っていた事を言い当てられたのかと思い、ビックリしてしまう。
「あの…、まだ続けるんですか? その『心』というのを見極めるまでは」
「ええ。その為のこの場ですから。…とは言っても、凛さんの体力が続く限りです。今も何とか立ってはいるようですが、長くは続きそうも無いですね。元々の体力の無さだけじゃなくてダメージもあります。凛さんの息遣いからして限界は近いです」
巴さんの言うとおり、私から見ても凛の状態は限界に近い。この様子だと巴さんの言う『心』というのを見極められずに終わってしまいそうだ。
実力差からして当然の結果だったんだ。凛には悲観しないでほしい。短い間でも少しだけでも戦える事は証明出来たのだ。これから先、凛にその気があればいくらだって強くなる事は出来る。
だがその時、凛の敗戦を予想をしながら眺めていると、突然大きな声が響き渡る。
「リーン! 頑張ってくださーい!!」
声の主は、その大きな声とは不釣合いな小さな体のルリだった。
◆ ◆ ◆
もう限界だった。腕も脚も体中全てに鉛でも着けているように重く感じた。
その時、大きく響いた声は道場を響き渡る。私の疲れきった頭にもよく通る声だった。見ると必死に叫んでいるルリちゃんの姿が。
「負けないでください! 凛なら出来ます!」
誰がどう見てもそれは無理だと思う。自分が今の状況を客観的に見ればそれが無理な事だって分かってる。
でもそんな事お構いなしにルリちゃんは私の事を信じて叫び続け見守っている。
思わず笑ってしまった。体は辛いのにそんな事どうでも良いくらいにルリちゃんの思いが嬉しかった。薙刀を握り締め直し、目の前に立っている美緒さんを見つめる。
すると私の顔を見てニコリと笑った。
「…良いお友達ですね?」
「うん…、ホントに」
それなら私はそのルリちゃんの思いに応えなくちゃいけない。勝ち負けじゃなく、私の全ての力を使って出来る限りの結果でだ。
握り締める手に力を込めて、薙刀を振っていく。正直に言えば腕に力なんてほとんど入らなくなってる足だってもう重くて重くて動きたくない。自分でも今こうして動いてるのが不思議なくらいだ。でもルリちゃんが見てるんだ。頼りない姿は見せられない。頑張らなくちゃいけないんだ。
でもそんな思いも虚しく、薙刀はただ空を切るだけ。まるで美緒さんまで空気になったかのように私の攻撃は当たらない。
挫けそう…。でも頑張る。
もうやめたい…。いや、頑張る。
ブンブンと無我夢中で私は薙刀を振るい続けた。当たらなくても知るもんか。
何の考えもなく薙刀を振っていた私。しばらく続けていた時、ふと成瀬君が言っていた事を思い出す。そして私は薙刀を振るうのをやめ、一旦距離を置いて深呼吸をして落ち着いた。美緒さんは不思議にもそんな私に攻撃をしてくる事はせず、私に時間をくれた。
思い出すのは成瀬君に試合形式の練習をしていた時だ。こっちの攻撃を全部防がれて、ヤケ気味に攻撃している私を見て、溜息をつきながら薙刀で私は足を払われ倒されてしまった。そしてその時私を見て言ってきた。
『おい、落ち着け。何も考えずに飛び込めば結局負ける。どんな相手だって隙や弱点はあるし、何かで漬け込めるクセだってある。それがなんなのかを見つける事に集中しろ。そうすれば活路は見出せる』
活路…。成瀬君を相手にしていた時もそうだけど、とても美緒さん相手に見つけられる気がしない。…いやでも、とにかく考えなしはダメだと言っていた。考えるだけ考えよう。
まずは私にあって美緒さんに無いもの。中々見つけられないでいると、私の前に構えて持っている薙刀と美緒さんが持っている両の手の竹刀が目に入る。それを見て有利な点になるかは分からないけど、一つだけ挙げられるモノがあった。
それは『間合い』が持てる事。成瀬君もそれが薙刀の長所の一つだと言っていた。
ただ問題はその『間合い』を制する事が出来ないのだ。私が仕掛けると狙ったように私の攻撃を避けながら一気に間合いを詰められてやられてしまう。美緒さんが持ってる武器からしての戦術であるスピードを活かしてのカウンターを仕掛けてくる戦い方には薙刀を使っての戦い方には不利なんだろうか。
いや、それならそれなりの戦い方を考えれば良いんだ。きっとあるはずだ。例えば美緒さんに仕掛けさせる間もあげずに一撃で倒せるような…。
『間合い』、『カウンター』、そして『一撃』。その3つの単語を頭に入れて考える。
その時、
「…あっ」
自分でも間抜けだと思うほどアホみたいな声を出してしまった。巴さんや夏美さん、ルリちゃんだけじゃなく向き合ってた美緒さんにまでキョトンとした顔をされてしまう。
私は、失礼しました、と苦笑いして言いながら薙刀を握りなおす。握る位置を元の位置から石突の方に少しずらし、刀のような持ち方にする。
ただ持つ場所から先端までの距離が長くなった分、先の方に重心がかかり持ちにくくなった。私はそれを補う為に頭の上に持ち上げるように構える。もはや薙刀の構えではない。成瀬君が見れば怒っていたかもしれない。
でもこれで私の策の準備が整った。通用するかは分からないけど唯一の活路を見つけたんだ。体力ももう限界だ。これに賭けるしかない。
大きく息を吸う。そして、
「桜井凛、行きます…」