第七楽章『Aufgeben【ミキリ】』‐4‐
俺は義雄さんたちと神社に残り、今は境内にいた。
神社とはいえ、勝手の知っている自分の家だ。特別見るところも何もする事も無くてどうしようかと考えていた。すると義雄さんが家の物置に置いてあった昔使っていた木刀を持って俺のところに来ると、暇つぶしでもするかい?、との申し出に俺は快く承諾する。
義雄さんは本来退魔士の商売道具である武器をメンテナンスしたり修理したりするのが仕事だ。でも、武器の事やその使い方を知らなければ手を加えることなんてできないよ、なんて微笑みながら言っていたっけ。
その言葉どおり、義雄さんはいろんな武術に精通している。中でも剣術は相当なもの。小さい頃は父さんや兄さんがいなくなってから、内緒で俺の面倒を見てもらっていたほどだ。実力はそれなりと言うより普通の人から見ればかなりのモノだろう。
義太の奴はどうするのだろうと思っていると、ただ見ているだけなようだ。男のクセに…。
あいつは良いんだ、と言いながら俺の肩を叩いて微笑む義雄さん。まあそう言うのならと俺は義雄さんから離れて向かい合って立つ。人除けの札によって誰も邪魔の入らない境内ならではの雰囲気がこういう事をするのに合っている気がする。多分不謹慎だけど…。
開始の合図も無いまま義雄さんは微笑を絶やさずに正眼の構えをして俺を見る。ピクリとも動かずに俺を見据えるその姿は、いつでもこちらから攻撃を仕掛けられるはずなのに隙が見つからない。
俺の方も一つ息を吐くと木刀を顔の右側の方に寄せ、左足を前に出して構える八双の構えをする。簡単に説明すると左足のつま先を若干相手に向けているというのを抜きにすれば、野球の右打者が構えているのに近い。
俺はそのままの構えで摺り足をしながらじりじりと間合いを詰める。その動きを見ながらも動こうとしない義雄さん。
ここで安易には動けない。今動けばきっと駄目なのは明白だ。…と思っていたのだが、
「湧樹はあの子の事、心配じゃないのかい?」
「へ?」
突然何を言い出すのかと思えば、なんて考えた瞬間、一気に間合いを詰めてきて俺の頭部を狙っていきなり木刀を振り落とし襲い掛かってくる。俺は慌てて木刀を横にし、ガンっと木と木がぶつかる音を響かせながら防ぐ。八双の構えなら防ぎきれると踏んでの攻撃だろう。義雄さんらしくて物言いをする気はない。
ならばと俺は近づいてきてくれたのをチャンスと見て、木刀を右に大きく払いながら左肩を義雄さんの体に当てていく。
体が後ろに下がったところで、俺はそのまま右手だけで木刀を持って回転し、足を狙って横薙ぎに木刀を振るう。
だがそこに足は無く、義雄さんは飛び上がってバク宙を決めていた。着地するやいなや、すぐさま俺に突きを放ってくる。顔めがけて飛んでくるそれを、俺は慌てずに木刀をあてて軌道を逸らして距離を置いた。
「ははは、なかなかやるようになったね。小さいときは最初の一撃でやられてたのに」
「そんな事言って…。ホントに義雄さんって無茶苦茶だよ。そんなの鍛冶屋が出来るような動きじゃないし」
「万能鍛冶屋だからね。コレぐらいは出来なくちゃ」
答えになって無い。まあ何をされても驚かないけど。
「それで、さっき聞いた事なんだけど、ホントの所、あの子とはどうなんだい?」
「どうって…」
なんとなく聞きたい事は分かるけど、残念ながら期待に副えるような答えは出来ないだろう。
「義雄さんが思ってるような間柄ではないよ。言うならばただの師弟関係。だって俺を男性として見たことなんて無いと思うから、アイツ」
「そっか。それは残念だ」
「残念って、どういう意味?」
それは、と言って一つ息を吐き、真面目な顔で俺を見る義雄さん。そして力任せに振り下ろしてくる木刀。ガンと音を立てながら、鍔迫り合いのような形となって義雄さんは俺を見てくる。
「…美央は絶対やらないからな」
こわ…。感情をすごく込めた言葉を放つ義雄さんの眼は、その言葉どおり本気だった。
仕事も出来て夫婦仲もよくて言う事なしのこの人には、残念な一つの大きな問題があった。
それはあまりにも娘を大事にし過ぎていることだ。
義太に聞いた話だと、美央が小さい頃に自分の家に何人かの友達を連れてきたとき、その中には男の子もいたのだが、その子だけ義雄さんが家に上がるのを止めようとしたとの事だ。その時は間に入った美琴さんが怒って渋々了承したらしいが…。
「…いい加減、子離れしないと逆に嫌われますよ? 美央だっていい歳なんだし」
「それでも自分の子供なんだ。可愛がっても良いじゃないか」
そう言ってすぐに後ろに離れ、コツコツと木刀で地面を叩いている。
その可愛がり方が問題だと言うのに、分かってないのだろうか。美央だっていろいろ自分で自分の事を決めていく時期だ。親がどうこう言って干渉するのもやめていく方が良いと俺は思う。道を正してやるのは確かに親の役目だと思うが、生き方を決めるのは自分。たとえ自分の子だとしても、将来や色恋事だって他人が干渉する権利は無い。
まあ、そう家族でもない俺が言うのもなんだが…。
「というかこっちの事はどうだっていい。今僕が聞いてるのは、あの凛って子の事。今度は別に変な意味あいは無いんだが、君から見てあの子はどう思う? それなりに出来る子なのか?」
そう言われて俺は凛の事を考えた。確かにこの短い期間で思ったよりも成果はあった。ただ考えなきゃいけないのは相手は母さんが指導した美央だ。美央は昔から同い年の子達よりもずば抜けて運動神経は良いほうだと聞いていた。そんな美央が相手では、かなり分が悪いと言っていい。今の実力が未知数なだけあって余計に分が悪い。
「どうだろうね。言った事はすぐに出来ちゃうけど、元々の運動神経が悪い分、動きにスピードが無い。それがどれだけ流れの中で上手く動いて補えるか、そこがポイントだと思う」
「運動神経が悪いのに言われた事はすぐに出来る…。なんかひどく矛盾してるようにも思えるけど、それにしても変な子だね。運動神経が悪ければそれなりの道があると言うのに、自分から危ない橋を渡ろうとしているようなものだ。面白いね」
本当に義雄さんの言うとおりだ。なにもアイツはこんな事しなくていいんだ。今までどおり普通にして平和に暮らしていれば、妖精と共に少しの間過ごす事を抜きにすれば今までどおりの生活が出来るんだ。本来だったら退魔士機関の置かれてある外務省に届出して、無理矢理にでも退魔士として登録されるかもしれないというのに。
俺たちの措置は寛大すぎるほどのものだ。感謝されてもいいくらいかもしれない。
それも夏美さんのおかげだ。俺は仕方が無いけど本来の手筈でいこうとした。だがそこで夏美さんが待ったをかけたのだ。
『わざわざ届出なんて出さなくていいわ。この子が望む未来を尊重した方が、私はいいと思う』
何を思ってかは分からなかったが、今考えれば思う所があったんだろう。
凛には普通の生活があって、そして家族がいる。そんな環境にいる凛の事を考えて、夏美さんがした措置だろう。どうなんだろうと思ったが夏美さんらしいと言えば夏美さんらしい。
「そこん所は後々言い聞かせたりしないとヤバイかな。夏美さんの思いを酌んであげたいし」
「ははは。いい奴だな、お前は」
義雄さんはそう言いながら笑っている。その顔を見ながら俺も笑っていた。
心の中ではどうしようかと考えているのだが…。
◆ ◆ ◆
私は成瀬君とやっていた通り、右半身を前に縦に横にと薙刀を振るっていく。
「はっ!」
成瀬君に言われた事の一つ、『やられる前にやれ』。相手に攻撃させる隙を与えないのが目的だ。
だけど何度も私から攻撃を仕掛けていくのだが、美央さんは両の手に持つ小太刀ぐらいの大きさの竹刀を使い、簡単に私の攻撃を往なしていく。まるで私の攻撃が美央さんに届く気配が無い。美央さんの周りに球体があるように一定の距離で私の攻撃が防がれてしまう。
ただ美央さんは攻撃を仕掛けてくる様子は無く、私の事をずっと観察しているようで、冷汗が頬を伝っていく。
長い事ずっと攻撃をしていたので、薙刀を振るう事がきつくなった。私は一旦距離を置く。
肩で息をしながら目の前に立っている美央さんを見る。美央さんの方はほとんど疲れていないように見える。
「…それで終わりですか? 凛さん」
そう言って怪しく微笑む美央さん。その顔を見て私はビクッとしてしまう。
すると美央さんは左手の竹刀を私のほうに向け腰を少し落として構え、キッと表情が切り替わった。
「…それなら、こちらから行かせてもらいます」
言い終わるやいなや、私に向かって迫ってくる美央さん。私はギュッと薙刀を握り直して構える。
後ろになっていた右の手の竹刀を振り上げてきた。横にして振り下ろしてきた竹刀を受け止めるのだけど、
「…まだまだ」
今度は横から振るってくる竹刀。飛び退いて避けるのだけど、次から次にどんどん攻撃を仕掛けてくる。小さな武器、しかも両手持ちと言う事で連続した攻撃が速くて防ぐのは難しい。いろんな事を想定していた成瀬君が言うには、手数が多い敵に対しては攻撃を受けて防ぐより避けた方が得策との事だった。
教え通りに私は後ろに飛んで、何とか美央さんの攻撃を避けていく。
―――避ける、避ける、受ける、避ける!
まったくと言っていいほどこちらの攻撃の機会が訪れず、私は防戦一方。どんどん後ろに下がっていく。
「…それで大丈夫と思っていますか?」
突然美央さんに話しかけられ、何の事なんだろうと思っていると、その言葉の意味がすぐに分かった。
私の背中に、トン、と軽い衝撃を受ける。そして動く事が出来なくなった。
---えっ?
何が起こったのか分からず頭が混乱したけど、すぐにその理由が分かった。背中に感じる硬い感触はこの道場の壁だった。いつも屋外で練習していた為に、道場の動ける範囲に限りがある事を考えていなかった。屋内で動くと言うのはこんなにも違うなんて思わなかったから。
でも考えている時間は無かった。もう目の前には襲い掛かってくる美央さんがいるから。
振り下ろす、そして突く。選択肢はあるけど私の攻撃速度と美央さんの攻撃速度では絶対私が負けるに決まってる。
なら被害を最小限にするためにどうすればいいか。だけど何故か私は考える間もなく体が行動に移していた。
意を決して、両手で縦に持ちながら美央さんの方に飛び込んでいく。一瞬美央さんが、え?、という顔をした。でも振るう竹刀を止める気配は無い。
私の頭に浮かんだのは、私と稽古をしていた時に見た成瀬君の動き。
薙刀を持つ左手を下から持ち上げるように動かし、石突側の素扱部で美央さんの攻撃を防ぐ。意表を突いたのか、動きが止まった美央さんにそのまま上から力いっぱい薙刀を振り下ろした。
でも私の動きが遅かったのか、その攻撃は美央さんに当たることなく空を切り、道場の床を力いっぱい叩いくだけとなる。
「…見くびっていたようですね。あなたの事を」
私は声のする方に反応する間もなく、右の脇腹に衝撃を受けた。