第七楽章『Aufgeben【ミキリ】』‐1‐
とても静かな夜。私は部屋で一人机に向かって座っていた。その私の手には一通の手紙が握られている。今日届いた封筒の中に入っていた物で、私ではなく湧樹宛の手紙。
自分では読めないので、代わりに美央さんに読んでもらうと、差出人は退魔機関が置かれている「外務省」と記されているよう。
私はその手紙に顔を近づける。ただただ紙とインクの匂いが鼻の中を通っていくだけ。いくらエコーロケーションを使えても、平面の物の違いは分からない。
「…」
内容は湧樹に対しての通告。穏やかなものではないようだった。私は手紙をギュッと握り締めて考え事をしてしまう。
すると誰かが部屋に近づいてくる気配がした。間もなく襖を叩く音が。
「巴様。失礼いたします」
「どうぞ」
返事をするとスーッと開かれた襖の向こうには、和服をしっかりと着こなす美央さんが立っていた。
湧樹がいなくなってからここに来て、私と共に生活をしている女の子で、私の代わりにお料理をしてもらったり、身の回りのお世話を何から何までしてもらっている。
幼さの残る顔つきだけど、物腰が柔らかで本当によく出来た子。とても中学生に思えなかった。
「もう美央さんたら、いつまでもそんなに硬くならなくて良いのよ? 巴さんって呼んでくれて良いんだから」
「はあ…。でも……」
「もう。なんだったら『お母さん』でも許しちゃうわよ? 美央さんはもう家族みたいなものなんだから」
「そんな、『おかあさま』なんて……」
冗談のつもりで言ったのだけど、美央さんは恥ずかしそうに口ごもってしまっている。そんな様子がとてもいとおしく見え、ついつい口元を押さえて笑ってしまう。
女の子がいたらこんな感じだったのかしら…。私の家族は男の人しかいなかったから、こうやって同性の人とお話しをするのは新鮮に感じる。
「お、お食事の用意が出来ましたので、お越しになってください。失礼します」
そう言い残して足早に部屋を後にしようとする美央さんを、私は呼び止めた。
「もうすぐね。湧樹が面倒を見ている子と戦うの。大丈夫?」
私がそう言った瞬間、美央さんは足を止める。そして美央さんが発している雰囲気が途端に変わったのが肌で感じ取れた。
「大丈夫です。私…、負けるつもりありませんので」
そう言っている美央さんの声のトーンも香りも、優しさが感じられなくなってしまう。そんな雰囲気に押されて、私は何も言えなくなってしまった。
すると、では失礼します、と言い残して美央さんは何事もなかったように部屋から出て行った。
息が詰まるようなほどの雰囲気に呑まれていて、私の耳に足音が聞こえなくなると、そこでようやく大きく息を吐けた。
こっちに帰ってきて、あちらでの様子を話した時もこんな感じだった。どうも湧樹が面倒を見ている子が気にかかるらしい。
「若いわねぇ。フフフ」
そう言いながら静かに立ち上がり、部屋を出た。
◆ ◆ ◆
六月も半分を過ぎて梅雨も中休みなのか、日差しがキツく、もうすぐやってくる夏を告げているようだった。
そんな暑さを避けながら俺の実家に向かう為、電車で何駅かの所にある秋葉原に向かい、そこから出ている新しい路線に乗っていた。まず最初の目的地は終点のつくば駅。乗り換えもなくまっすぐに向かっていくだけの電車旅。
俺たちはボックス席に座り、向かいの席には夏美さん、俺の隣には凛が座っている。
夏美さんはいつもどおりのスーツ姿。足を組んで手を膝の上に置いて握り締め、さっきからずっと外を見つめて黙っているだけだ。きっとあの街を離れるのが嫌なんだろう。夏美さんの追っているリリィがいつ現れるか分からないのだから。
一応ウィンさんが、ここであちらからの報告を待ちたい、と言ってきたので、代わりにあの事務所にいてくれることになってくれたけど、その事を考えると気が気じゃないんだろう。
…対して横にいる凛だが、
「ん~…」
よく緊張感もなく眠れるものだ。今日俺の家に行く目的に自分の事も含まれているというのに。
そんな俺の思いを知らないであろう凛は起きる気配を全く見せない。膝の上でルリまで一緒に眠っている。確かに朝は早かったけど…、まさかこんな簡単に寝てしまうなんて思わなかった。
すると頭が俺の方に傾いたと思ったら、そのまま俺の方へもたれかかってくる凛。しょうがなく俺はそのままもたれかからせた。あまりの緊張感のなさに溜息が出てしまう。
そこを夏美さんに見られてしまう。
「ふふふ。逆に良いんじゃない? ずっと頑張ってたから疲れもあるだろうし」
「そうっすね。でも寝らてられるほど余裕はないと思うんすけど…。まあやれるだけの事はやりきりましたから、結果はどうであれ、俺は後悔は無いっす」
「あら? じゃあ明日でお別れなの? 契約解除の書類忘れちゃったわ」
そう意地悪そうに笑いながら言う夏美さん。
さっきまでの雰囲気はなんだったんだ。心配してそんした気分だ。俺は少しムスッとしながら腕を組む。その様子を見ていた夏美さんは口を手で押さえまた笑う。
横を見ると一切関係ないといった様子で眠り続ける凛。それに意味なくムカッとした俺は軽く頬っぺたをつねる。凛は、痛い~、と小さく言いながらも眠るのをやめない。それどころかルリが、やめろ~、と凛と同じように眠りながら言うおまけ付きだ。
なんだかその様子に自分が惨めになる。俺はすぐに手を離した。
「それにしても私に用があるって…。巴さん、どうしたのかしら。成瀬君は何か聞いてるの?」
「いや、何も。俺だけじゃダメか?、って聞いたんですけど、夏美さんにも来てほしいって聞かなくて。
本当にスイマセン。俺の親が無理言って」
大丈夫よ、と夏美さんは優しく言ってくれるけど、やっぱり悪いって思いは消えない。
本当になんだと言うんだろう。急にそんな事を言うなんて…。
「やっぱり成瀬君を即刻帰ってくるようにしたいのかな? 『こちらが勝ったから湧樹を返してもらいます』って感じで」
…無いとは思う。けど、なんかありえなくもない気がする。
イマイチ今回の母さんの考えてる事が分からない。でも俺だけじゃなくて夏美さんにも用があるとは、結構穏やかな事ではないのではないか。そう考えてしまう。
「それで、成瀬君の家ってどこにあるの?」
「あれ? 最初に出した俺の資料に書いてあったと思うんですけど」
そうだっけ?、ととぼけた事を言う夏美さん。何のための資料だったんだあれは…。
俺は一つ溜息をして夏美さんの問いに答えた。
今日何回俺は溜息しているんだ…。
◆ ◆ ◆
つくば駅に着いてバスに乗り換え、バスに揺られること数十分。
私たちが乗っているバスの前に大きな鳥居が見えてきた。
「ホントに成瀬君の家ってここなの?」
「今更嘘ついてどうするんだよ。ここまで来て、ドッキリでした~、なんて時間の無駄だろ」
いまだに信じられずにいる凛に、もう聞き飽きたといった感じで返す成瀬。
凛がそう言うのも分かる。私もここまで来たのに同じ思いだ。
「嘘じゃない証明に、もうバス降りますよ?」
そう言ってバスの下車ボタンを押す成瀬。しばらくしてバスが止まり私たちは降りる。そこには参拝客の人たちなのか、休日なので結構な人で溢れていた。確かこの山って登山でも有名って聞いた事がある。そういう人たちもいるんだろう。
すると、こっちっすよ、と言いながら先を行く成瀬。私たちは付いて行くと目の前に階段が現れた。
「疲れるかもしれませんけど、この上なんで」
凛は露骨に嫌そうな顔つきになる。
それでも私たちはまた同じように成瀬の後に続き、その階段を上っていく。上りきった先にはとても清らかな空気に包まれた境内があり、拝殿がどっしりと構えていた。
見るとそこに誰かが立ってこちらを見ているのに気付いた。
「…お待ち、してました。…お客様、ですね?」
「あ、はい。えっと…」
私たちを客人と分かっているようだけど、私は面識がなかった。
戸惑っている私を見てか、成瀬が割って入ってきた。
「ただいま。美央」
成瀬の言葉にぺこりとお辞儀をする美央と呼ばれた女の子。
おかっぱ頭で幼いように見えるけど、藍色の着物を着こなし、どこか落ち着きのある姿は大人っぽさも併せ持っているようで、そのアンバランスさが絶妙だ。女である私でも見惚れてしまう。凛とルリも同じように感じているのか、黙ってその子のことを見つめていた。
その視線に気付いたのか美央という子は、凛に近づいていきじっと見つめ返す。凛は固まって動けなくなっている。
「…あなたが、凛さんですか?」
「え? はい、そうですけど…」
すると左手で着物の袖を掴みながら右手を前に差し出してきて笑顔を見せる。
「…今日は、よろしくお願いします」
「あ、すいません。えっと…」
凛は慌てて持っていた薙刀の入ったバッグを置いて右手を出し握り返す。こちらこそよろしくお願いします、と凛が言ってお互いに手を放した。
とても穏やかな雰囲気で交わされた握手だった。
「…」
でもなんだろう…。あの子、なんだか……。
「あらあら。みなさん遠い所お疲れ様です」
と、ここで丁度成瀬の母、巴さんがやって来た。こちらも美央さんと同じように着物姿だ。
杖を突きながら風で流れる髪を押さえる姿というだけなのに綺麗に見える。本当に所作に無駄が無い。
「立ち話もなんですから、お部屋の方に上がってください。お茶の準備をいたしますので」
「…あ、私、用意してきますね」
そう言って美央さんはそそくさと建物の中に入っていく。
「さあ、どうぞこちらに」
促されるまま歩き出そうとした時、後ろを見ると立ち止まってキョロキョロとしている凛が。
何をしているのかと見ていると、私の視線に気付いた凛が話しかけてくる。
「あの、なんでここ人がいないんですか? さっき下にいた時は結構人がいましたよね」
「ああ、そういえば…。でも多分これは……」
私はそう言って上ってきた階段の方に行ってみる。階段の最上段の両端を見てみると、思ったとおりそれらしき物があった。
後から付いて来た凛に指をさしてそれを見せる。
「これは?」
「多分札による人払いね。東洋のそういう術は専門外だけど、似たようなのを見たことはあるわ。
分かりやすく言うと、『簡易的な結界』、って所かしら」
そうは言ってもなかなか簡単なことではない。ここに来ようとする人たちを、ここを無意識に来させないようにするのだから。それをこれだけ簡単に行ってあるのだから、あの巴さんという人がどれだけすごいのかが分かる。
…でも、個人的なことでこんな事していいのかしら?
私はそんな事を考えながら、先を行った巴さんたちを凛と共に追いかけた。