第五楽章『趣意【シュイ】』‐13‐
一通りの応急処置的な霊気治療を施すと、雨を避ける為に入り口付近にある屋根の下に移動する。
時折吹き付けてくる事もあるが、思いっきり雨ざらしになるよりはマシだ。
俺と夏美さんはどちらも喋らず、ただ黙って座っていた。
夏美さんは実際危ない状態だったが、もうあとは本人の治癒力でどうにかなる所までは回復していた。とは言っても、当たり前だが激しく動くのは無理だ。折れていた肋骨なんか一発でどうにかなってしまうだろう。
「ごめんね、成瀬君。迷惑かけちゃって」
胸の辺りを押さえながら突然夏美さんが口を開く。いつも綺麗に着ているスーツが所々傷ついていて痛々しく見えた。
でも俺は労いの言葉なんてかけない。
「なんで一人でいったんすか? 俺が戻ってきてから一緒にじゃダメだったんですか?」
夏美さんは俺の言葉に何も返さない。ただ目の前の雨の降る光景を眺めていた。
雨は止まず、降る勢いもいまだ衰える事がない。俺の気持ちも同じように腹立たしさが治まらなかった。
「前に言いましたよね。『一人で何でも抱え込まないでくださいよ。助手の俺がいるんすから』って。全然聞いてなかったんすか?」
「ごめん…。でもやっぱりこれは私の問題だから、成瀬君には関係は無いし、迷惑かけちゃう……。
成瀬君は私が雇って私の所にいてもらってるんだから、あまり無理強いはさせたくな---」
何を言ってるんだこの人は…。
「一人で…、何でも出来ると思わないでください。一人の力は限界があるんすから。確かに俺じゃ役不足かもしれません。でも雇われたからには手助けぐらいはするつもりなんですよ」
そこまで言うとまた何も返さなくなり、黙り込んでしまう夏美さん。こんな所を見ていると、この人はなんて子供のような人なんだと思ってしまう。
まるで小学生が誰にも助けを求めず、難しい宿題に一人立ち向かっている姿のようだ。
硬くなってしまった頭ではもう解けなくなってるというのに、それでも一人で解こうとする。なんて悪循環…。
俺が思うに夏美さんは戦いにおいての技術だけ見れば『A+』なのに疑いはない。一度手合わせをしたからそれは間違いはない。
でも夏美さんは、あのリリィと名乗る姉さんの事となると実力に見合わないようなほど短絡的な思考になる。最良の選択が出来なくなるのだ。
その結果が大怪我をするという失敗に終わったのに、それでも間違いを改めない。
そんな夏美さんを見ていると苛立たしさと悲しみが湧いてくる。
「すいませんが俺には今の夏美さんが一人で何でも出来る風にも強そうにも思えません。現にそんなふうにボロボロになってるし」
「…」
「そうやって黙り込んでやり過ごそうとしてるのも、まるで怒られてる子供じゃないですか」
すると突然、黙り込んでいた夏美さんは立ち上がってゆっくりと俺に近づいてくる。
そして手を振り上げて俺の頬を叩いた。乾いた音が降り続く雨の音にかき消される。俺自身は頬から頭に直接響いていくような感じがした。
「なんでもかんでも知った風な事言わないで!? アナタに私が考えてる事が分かるって言うの?!」
今にも掴みかかってきそうな声を上げる夏美さん。でも傷を負っている為か、今まで言われていた分も合わせて俺に怒声を上げてくる。
俺はただ頬を押さえながら、何事もないように夏美さんを見つめ返す。
「分かるわけないじゃないっすか。夏美さんの考えてる事なんて」
俺は苛立たしげに、ただそう告げる。
本当に分かる訳が無い。別に助けも要らないようなどうでもいい事を俺に頼り、大きな問題は自分でどうにかしようとするような人の考えなんて。
俺だってこんな事言えるほど『人』として出来てるとは思わない。でもだからって夏美さんのような人を、何にも思わないような薄情者でもない。
「俺はただ、夏美さんの助けになりたい。ただそれだけなんですけどね」
俺は夏美さんを睨むように見ながら言った。その思いに嘘は無い。偽善と言われようが俺はなんとも思わない。
それでも何も言わない夏美さん。でも聞く耳は持たないといった様子は無いようだ。
でもそこまで言ってて自分が熱くなってることに気付く。柄にもなく熱くなった自分に呆れるように俺は溜息をついた。
「…すいません。俺みたいな奴が偉そうな事言って」
俺はそう言って座った。それを見た夏美さんも少し離れた所に座る。
「…こっちこそ、ごめんなさい。つい熱くなっちゃって……」
ふと夏美さんが小さな声で言った。こっちを見ていないが申し訳なさそうなその様子から、夏美さんも少し落ち着きを取り戻したように伺える。
俺はそれを見て安心した。
そしてそのまま俺は視線を街の方へ移す。そこには灯火のように暗闇に輝く街の灯り。止む様子の無い雨がそれを消そうとするかのように降り続いていた。
◆ ◆ ◆
雨が降り続く街を私は成瀬の隣で眺めていた。
姉さんにやられた場所は成瀬の処置のおかげか、痛みは大分引いていた。
さっきまでの事を思い出す。成瀬に言われるだけ言われて、つい成瀬の事を叩いてしまった。しかも大人気なく言い返すなんて…。思い出すと年上としてなんて恥ずかしい姿を見せてしまったのだろう。少し後悔してしまう。
そしてその後に言われた言葉。
『俺はただ、夏美さんの助けになりたい』
きっとあのままだったら、私は一人で胸の辺りの激しい痛みと格闘していただろう。
でもそうはならなかった。成瀬が来てくれたから。その事には感謝するほかない。でも…、
「でもなんで、成瀬君は事務所で待ってなかったの?」
正直助けに来てくれた事は嬉しいと思う。でも別に成瀬はここに来なくてもいいはずだ。成瀬が「少ししたら帰ってくるだろう」と考えたのなら、きっとここには来なかったから。
それが私には不思議だった。
私の言葉を聞いた成瀬君は、腕を組んで考える。
「まあいろいろ言っといて、俺だけ何も言わないってのは平等じゃないっすね」
そう言って手を顎に当てて喋り始める。
「さっき言った事に嘘は無いですけど、一つ本当の事を言うと、俺一人で待つのが苦手なんすよ。それで居ても立ってもいられなくなったってのが理由ですし」
「どうして?」
私の言葉に言うのを躊躇ってしまった成瀬は、表情が曇る。
でもそれを振り切るように首を振った。
「俺のせいで父さんと兄貴が死んだ時の事が…、ですかね」
成瀬は雨の降る景色を見つめながら答える。その姿にいつものような強かさはなく、歳相応の弱そうな一人の男の子の姿があった。
初めてかもしれない成瀬のその姿。私は何も言わず、その姿を見つめながら次の言葉を待った。
「父さんが…、襲ってきた案件対象だった悪霊から俺を助けてくれて、兄貴は俺を連れてその場から離れました…。
無理をして俺を助けた父さんが怪我を負ってたのを知ってた兄貴は、俺を安全な場所まで連れてきた後、父さんを心配して戻っていったんす……」
成瀬は悲しみとも怒りとも取れるような表情をしたまま語り続ける。
「でもその時、戻る前に俺を心配させまいと笑顔で兄貴が俺に言った言葉が…、『すぐ戻る。待ってろよ』でした……」
「…」
「俺は信じて待ちました。戻ってきて俺のこと叱ってくれるんだ、どんなに厳しく怒られても良い、って…。
でも…、俺を迎えに来たのは父さんたちじゃなかった……」
そこまで言って成瀬は苦笑いを浮かべる。
「それからですかね。誰かを待つってのが嫌になったのは…。もともと自分のせいなんすけど……」
私はなんだか成瀬がとても弱弱しく見えた。そしてさっきまでの私が、まるで悲劇の主人公を気取っていたような錯覚さえしてしまう。
そう思うと自分がとても恥ずかしく感じてしまう。
「…ごめんね? そんな事話させちゃって」
「…いえ、勝手にいろいろと話しただけっす。気にしないでください…」
そこで私たちの会話は途切れ、ただ目の前の景色を眺めているだけだった。
◆ ◆ ◆
「今タオル持ってきますね」
帰ってきた俺たちを見るなり、そう言って凛は洗面所のある方へと走っていく。
あの後、夏美さんが大分回復したのを見計らって、夏美さんの車があるところまで走っていって車に乗り込んで帰ってきた。もう濡れているのは最初からだし、開き直ったのだ。
そのせいでさすがに走った後、車の中で夏美さんはまた休憩したが…。
「おかえりなさい、お二人とも」
声がした方を見ると、頭に包帯を巻いたウィンさんの姿が。
「どうしたの? ウィンったら」
そりゃ気になるよな。知った仲とはいえ、いきなりお邪魔していて、しかも頭には包帯を巻いているのを見たら。
「ああ、これはですね…」
でもウィンさんの口から出た言葉は、俺を困惑させた。
「ちょっと杖で移動していたらバランスを崩してしまって。情け無いです」
ウィンさんは頬を掻きながらそう言った。
あきらかに嘘だった。俺が一緒だったんだから意味が無い。何か言おうとするが、ウィンさんは俺を視線で制する。ただ見られただけなのに、俺は何も言えなかった。
するとそれを知らない夏美さんは、猿も木から落ちるって所かしら、と少し驚きながら言っている。
「シャワーでも浴びると良いですよ? そんなに濡れていては風邪を引いてしまいますし。僕やアンナの事は気にしないでください」
「じゃあ、お言葉に甘えて。失礼するわ」
ウィンさんが夏美さんにシャワーを浴びるのを進め、夏美さんは進められるがままシャワーを浴びに行く。入れ違いで凛がタオルを持って事務所に現れた。
俺は夏美さんが見えなくなるなり、ウィンさんに問い詰める。
「どうして嘘をついたんすか?」
近寄るとウィンさんはさっきまでの笑みを消して、真剣な表情で俺と向かい合った。
「これは内密でお願いします。いいですか?」
「え? あ、はい」
ウィンさんが何を考えているのか分からない俺は、ただ言うとおりに耳を傾ける。
「どうも夏美の今受けている案件が怪しいんです。というよりそもそも今考えればおかしい事ばかりだったんです」
「どうしてっすか?」
「考えてもみてください。確かに内密に案件を処理するのに『多人数の行動は出来ない』というのは納得出来ます。でも今回の案件対象、『リリィ』の戦闘レベルに対して『一人だけ』というのはおかしくありませんか? 普通僕だったらこの案件に最低でもAランクを二・三人は配属させますよ」
ウィンさんが言いたい事がだんだん分かってくる。
そう言われればそうだ。いくら対象が一人だとしても、それに対してあのリリィ相手に一人で処理に臨むというのは非効率的、いや、自殺行為だといえる。まして対象がその身内だった者を配属させるなんて非常識すぎる。任せるにしても誰かをパートナーとして一緒に就けなくちゃおかしい。
噂では日本のどこかで行われてると聞いた案件処理に、四人ほどAランクの退魔士を配属していると聞いた事があった。対象がどれだけの強さのレベルだかは知らないが、俺なんかに詳細が分からないようじゃきっとかなりのものだろう。だからこそ万全を期すため、腕の良い退魔士を揃える。
それを例に考えれば異例中の異例といえる。
「まだ断定は出来ないんで、僕はなんとも言えませんが」
そこまで言ってウィンさんはまたいつもの笑顔になった。
「まあまだ僕の勝手な想像です。気にせずにいてください。ただ…」
「ただ?」
「夏美には内緒で。今はさすがにこれを言わない方がいいと思いますし」
俺はその提案には同意だ。
今の夏美さんでは頭の中の許容範囲を超えてしまうかもしれない。ただでさえあのリリィのことでいっぱいいっぱいなのに、これを聞いたらどうなるか分からない。
「分かりました。でもそれじゃあこれからどうしますか?」
「まあ君は今までどおりで良いですよ。こっちは僕が受け持ちます。帰国ついでに退魔士協会にお邪魔しますから」
「いいんですか?」
そう言うと、はい、とウィンさんは答えてくれた。もしかして俺ではさすがにもう手が出せない事なのだろうか。俺は何も出来ないようで歯痒くも感じていた。
「あの…、何話してるんですか?」
そこに横から声をかけてくる凛。いたのを忘れてしまっていた。するとウィンさんが答える。
「何でもありませんよ。ただの世間話です」
ウィンさんに凛はそう言われると、はぁ、と不思議そうな顔をする。
その横で俺は、面倒な事にならなきゃいいけど、と不安になっていた。
第五楽章『趣意【シュイ】』‐了‐
区切りが見つからずあせりました。
この楽章を終わらせる事で、ようやく半分に差し掛かりました。
これからが大変そうだ…。うん……。