第五楽章『趣意【シュイ】』‐10‐
飛んでいる俺たちの下には、所狭しと一面同じような建物が建ち並んでいた。同じ高さの建物ばかりだからか、そこに地面があるようだった。
もう少しで目的地に着くだろう。前には昼に凛と共に見た建設途中のビルがある。それが前に行った場所の目印になっていた。
俺はウィンさんにしがみつきながら大声で話しかける。
「もう少しで夏美さんがいるはずの場所です。少し高度を下げてください」
分かりました、とウィンさんが言うと、徐々に小さく見えていた眼下の建物が近くなってきて、建物の屋上の上を低く飛んでいた。こんなに堂々と飛んでいても近くの大通りを歩く人々は気付かない。意外と盲点なんだな、これが。
すると、目的地が近くなってきた所で雨が降り出してきてしまった。その雨粒は猛スピードで飛ぶ俺たちに、威力を増して容赦なく襲ってくる。
視界も悪くなり、見渡しても先の方はよく見えない。それでも俺は懸命に夏美さんの姿を探した。
「冷たいよぉ~」
俺の様子とはうらはらに、一緒に飛んでいるアンナさんは急な雨に少し参っているようだ。
「だから待っててくださいって言ったんです。今からでも戻ってもいいですよ?」
ウィンさんは厳しくも優しくアンナさんに声をかける。だけどアンナさんは首を横に振り拒否した。
俺はそんな様子を見て、本当にウィンさんが好きなんだな、と感じていた。
そんなやり取りをしている最中も、雨足は一向に弱まる事はなく降り続く。
なおも探しつづけるが、ここでふと思う。このまま見つからず、俺の勘違いで終わればいいと。
「ん? なんでしょうか、あれ…」
ウィンさんの視線を追ってその先を見てみると、ビルの合間に道路があり、先の方で何かが見えた。
雨のせいでよく見えない、俺たちはその何かに近づいていった。近づいていくと段々と姿かたちが見え始め、それが人なんだと分かる。
もしかして…。
「夏美さ---」
その姿が探している人物と思い大声で呼びかけようとした時、その姿がこっちに気付いたように動き始め、途中で声を止めた。
どう見ても夏美さんとは思えない格好の人物だったからだ。
ライダースーツを着ていて、頭にはフルフェイスのヘルメット。それらは赤一色に統一されていて暗い路地でも異様な存在感を放っていた。
するとその人物は俺たちに向け腕を上げる。その先の手には何かが握られていて、次の瞬間…。
「うわっ!?」
それが銃であると思ったときには、こちらに向けて発砲していた。
銃声が聞こえた瞬間、前にいるウィンさんの体が大きく揺れて、乗っていた杖もそのままウィンさんの動きに沿ってしまい大きく横の方に飛んでいく軌道がそれてしまった。
そのまま体勢を立て直す事が出来ずビルの屋上に不時着する事になってしまい、杖から投げ出された俺とウィンさんは屋上を転がっていき、勢いそのままに体をフェンスに叩きつける。大きく歪みながらも俺たちを受け止めてくれたフェンスを見て、衝撃がどんだけのものなのかが分かった。
俺は一瞬気を失いかけたが、なんとか気を保てた。体はあちこち痛むが…。
「って~! 何だよ今の」
膝に手をついて状態を起こす。痛みは思ったほど酷いものじゃなく、体を動かすのには支障はないようだ。
それにしても今のは何だったんだ?。問答無用でこっちに銃をぶっ放すなんて普通じゃない。
アイツは何者で、何故俺たちに向けて発砲したのか…。いろいろ考えても答えは出てこなかった。
「ウィン様! 起きてください! ウィン様!」
アンナさんの声がする方を見ると、一緒に飛ばされたウィンさんの姿があった。
だが無事ではないようで、頭から血を流して気を失っているようだった。アンナさんの様子からすると目を覚ます気配はないらしい。
すると足音が聞こえそちらを見ると、そこには先ほどの人物が立ってこちらを見ていた。
手には先ほど俺たちに向けて撃ったと思われる銃が握られていた。その形から、『ハイスタンダード・デリンジャー』と言う物だった。
それは他の人差し指でトリガーを引くタイプの銃とは違い、形状が独特なうえに銃身を人差し指で支え、中指でトリガーを引くという特徴があり、一目でそれだと分かる。
それだけじゃなくその銃は安全装置がない為に引き金を引くのにかなりの力が必要になっている。まず普通の奴じゃそんな銃を手にする事はない。
「何で俺たちを狙って撃ったんだ…」
俺はいつ銃を向けてくるとも知れないフルフェイスのヘルメットをした相手の顔を睨み問いかけた。
そのまま後ろの腰に差しておいた鞭を握ろうとした。
すると突然俺の問いに答える事無くこちらに銃を向ける。
「動くな」
ヘルメットのせいでくぐもってはいるが、女性のものと思われる声で俺の事を制した。
ライダースーツを着ていて体のラインがはっきりと分かっていたのだが、やはり女性だったようだ。
「私は人を撃ち殺すほど物好きじゃない。大人しく言う事を聞いておけ」
同業者? じゃあこいつも退魔士か?
だがその言葉を聞いてまた疑問が浮かんできた。
「質問に答えろ。じゃあ何で撃ったんだ?」
俺は強気で聞き返す。だが銃が向けられている以上、それ以上の行動は出来ない。
俺の問いを聞いた目の前の女性は何か考えているのか、しばらく無言になる。
「そいつには悪いがただの威嚇のつもりだった。私たち組織の計画にお前達が邪魔になると思い警告の為の発砲をした、それだけだ」
それを聞いて俺は怒りが湧いてきた。組織とかそんなのどうでもいい。
そんな言い訳が通じる訳がない。どう考えても俺たちに向けて発砲してたじゃないか。
この先へ急ぎたいという焦りと怒りが入り混じり、俺は目の前の人物に立ち向かいたい衝動に駆られていた。
だがそうしたくてもそれが出来ない。今の状況は圧倒的に俺の不利。どうすればいいか…。
と、その時。
突然ライダースーツを着た女性が目の前で吹き飛ばされる。完全に不意を突かれた女性は避けることも出来なかったようだ。
吹き飛ばしたのは今さっきまでウィンさんに声をかけていたアンナさんで、すらっとスカートから伸びた足が蹴り飛ばしたと言う事を物語っていた。
女性はさっき俺とウィンさんがなったようにフェンスに叩きつけられていた。それを見つめるアンナさんを見て俺は凍りついた。
無表情。そして感情が読み取れないような死んだ眼をしている。
「何やってんの?…、あんた……」
声もさっきまでの様子とは全然違う。そのまま見守っていると。ゆっくりと歩きながら女性へと近づくアンナさん。
「ちょ、危ないっすよ、アン---」
「黙ってて…」
俺が無防備で近づくアンナさんに声をかけるのだが、まったく聞く耳を持たない。
すると頭を押さえながら立ち上がるライダースーツの女性。そのまま銃をアンナさんに向け躊躇わずに発砲する。
だがその発砲された銃弾は当たらない。その時にはもうそこにアンナさんはいなかったから。
相手の姿を見失った女性は慣れた手つきで銃に弾丸を込めながら周りを見渡す。そこに…。
「死ね…」
女性は後ろに振り返る。そこにはアンナさんの姿が。
驚いた女性は慌てて銃を向けようとするが、アンナさんが一気に間合いをつめて蹴り落とす。蹴り落とされた銃は音を立てて転がっていく。
そしてアンナさんは死に体となっている女性に踏み込んで、そのまま蹴った勢いのままヘルメットを無視するように頭に後ろ回し蹴りを浴びせた。
聞いた事がないような衝撃音を響かせ、女性は力なく転がっていく。それをアンナさんがゆっくりと歩いて追いかける。
女性は何とか立ち上がり、アンナさんの追撃に備えようとする。だがそんな事気にせずに立ち向かうアンナさん。
「よくも…」
また中段蹴りを繰り出す。女性は防御しようとする。
だがアンナさんは女性の動きを読んでいたように、急激に蹴りの軌道を変化させて首の付け根へと振り落とす。女性は防御が間に合わずその蹴りを浴び、膝から崩れるように倒れてしまった。
それは『縦蹴り』と呼ばれる攻撃で、今は亡きアンディ=フグの『踵落とし』を足で止め『一撃』という異名を持っていた空手家フランシスコ=フィリォや、『演武』とも表されるほど華麗な蹴り技で有名なグラウベ=フェイトーザの繰り出していた技だった。
踵落としと同じに思えるが、踵落としは脚・踵を振り上げてから落とすという二挙動に対し、その蹴りは変則的に軌道が変わる一挙動の為、防御などの対処が困難。だがそれよりも、それを放つ方には柔軟な筋肉や下半身の強さが必要とされるほどの技だ。それをやってのけたアンナさんを褒めるしかない。
と言うよりも魔女が肉弾戦を得意としてるなんて…。昔話が変わってしまいそうだ…。
その蹴り終えたアンナさんは倒れた女性を見つめる。
「死んで償え…」
そして倒れて動けなくなった女性の頭を蹴ろうとする『サッカーボールキック』の動作に入る。
さすがにやりすぎだと止めに入ろうとするが間に合わない。
「アンナ!」
すると突然ウィンさんの声が響く。見ると頭を押さえフラフラと立っていた。
その声に反応したアンナさんは動作を慌ててやめ、ウィン様…、と言って立ち尽くす。
「そんな事をしてどうするんですか? 僕はそんな事をしろとは言った覚えはないですが」
「でも……」
有無を言わさないといった表情で見つめるウィンさんの視線に耐え切れなくなったアンナさんは、落ち込んだように俯いてしまった。
それを見たウィンさんはそのままアンナさんに近づき、持っていた杖でコツンと叩く。そして頭を押さえるアンナさんを見つめ、ウィンさんは自分の頭から滴り落ちてくる血を気にする様子もなく叱りつけていた。
俺は様子を見守りながら恐る恐る声をかける。
「あの…、ケガは大丈夫なんですか?」
すると俺の問いかけに気付いたウィンさんが俺の方に振り返る。
「ええ。僕は大丈夫です。屋上に落ちた時にちょっと頭を打ったところが悪かっただけです。銃弾は…、ほら、この通り」
そう言って差し出した掌には、女性が撃った物と思われる銃弾が握られていた。
「特殊な魔術加工のされた銃弾のようです。退魔士関係の人なのは分かりますが…」
「そいつが言ってたんすけど、『組織の計画』とか何とか」
「組織…、ですか……」
ウィンさんは顎に手を当てて、う~ん…、と唸りながら考える。そして倒れて動かない女性を見た。
すると、ん?、と言って何かに気付いたように近づく。その様子を見守っていると、視線が胸元にあるエンブレムに向けられている。
その様子を見ながら俺もそのエンブレムに視線を向けた。
「それ、『卍』っすか?」
ウィンさんは返事をしない。何か心当たりがあるんだろうか?
一つ俺も気になる事があった。自分で『卍』と言ったのだが、何かが微妙に違う。頭を振り絞り考えるのだが何も浮かばない。
するとウィンさんがこちらを見る。
「ここは僕とアンナに任せて先に行ってください。急いだ方がいいでしょう?」
「あ、はい」
真剣な顔でウィンさんにそう言われ俺はその場を任せ、先を急ごうとする。
だが一つ気になる事があった。
「そういえば、ウィンさん」
「はい?」
「弾丸はどうやって防いだんですか?」
確かにあの女性が撃った弾丸は俺たちに向けて放たれていた。
前にいたウィンさんに当たったのは確かだった。
するとウィンさんは微笑んで、口に人差し指を当てる。
「それは秘密です。魔術で、とだけ言っておきます」
「そうですか…」
ちょっと聞けないのは悔しいが今はそれ以上聞いている時間はない。
俺は一度頬を叩き、じゃあ先を急ぎます、と言って屋上を飛び移っていった。
◆ ◆ ◆
飛び去る成瀬の背を見送り、もう一度ウィンは視線をエンブレムへと向ける。
成瀬が言ったように、エンブレムは似ているが『卍』ではなかった。
ウィンはそれを見つめながら頭をかきちょっと困ったような顔をする。
「どう、したんですか? ウィン様」
怒られていた手前、声を掛け辛そうにしていたアンナが恐る恐る話しかけた。
「はい? あ、いえ、なんでも無いですよ」
アンナは、はぁ、と納得いかないような声を出す。
「それより、アンナ。この人を本部に送っておいてください。色々聞きたいことがあるんで」
ウィンの言葉にますます意味が分からない様子のアンナ。それでも、はい、と返事をして言われたとおり女性を本部へと送る準備を始めていた。
それを見た後、ウィンは成瀬の向かった方を見つめ、
「面倒くさい状況かもしれないですね、これは…」
誰に話しかける訳でもない言葉は、降り続く雨の音に交じり合い、そのまま消えていった。