第五楽章『趣意【シュイ】』‐9‐
俺は走った。疲れた足を必死に動かして。
あの後、事務所でルリの話を聞いた俺は事務所を飛び出して、前にドッペルゲンガーを追った場所へ向かっていた。
※ ※ ※
「ドッペルゲンガーを追っていた時があったじゃないですか。憶えてますよね?」
そう聞かれ、俺はあの時の事を思い出す。
あの時、確か追っていった路地裏で凛たちに会ったんだったな。
「ああ。でもあれがどうしたんだ?」
別にもうあの案件は終わっていた。夏美さんがドッペルゲンガーを倒して。
それならどうして?
「あの案件とは別に、悪霊化した女の霊がいまして。それを夏美さんにお知らせしてたんです」
「あ、そういえばそんな事言ってたよね」
凛が言った言葉に、はい、と言って答えるルリ。
女の霊…。それは何も知っていなければ別に気にする事なんてない。誰かが死んで悪霊になるなんて、この仕事をしていれば何度も見たことのある話だ。
でもその後にルリの言った言葉で確信する。
「確かその霊、茶色い長い髪で、白いワンピースを着た姿でしたね」
俺は手で顔を押さえた。そうであって欲しくなかったから。
でもその言葉で確信する。夏美さんはきっとそれを確かめにいったんだ。
「それなんで俺に言わなかったんだ?」
「いえ、凛の事で大変そうでしたので、夏美さんの方が良いかと思ったので」
「ああ…、タイミングが悪すぎたな」
何も言わずに出て行った…。まさかとは思うが何か嫌な予感がする……。
そこに行ったからってリリィと戦うと言うわけではない。でも逆も言える。
そう、戦わないとも言い切れない。
俺は鞭を持って事務所を飛びだした。
※ ※ ※
急いで駆けつけたい所だが、残念な事に俺には「足」がない。俺がこのまま走り続けて目的地にたどり着いたとき、二人が出会っていれば決着がついているかもしれない。
それはどちらの意味でも取れる。
夏美さんがあの姉さんと呼ぶ「リリィ」を目的どおり倒しているか、それとも、夏美さんが……。
俺の頭の中ではどうしても後者の方が現実的に思ってしまう。
リリィの方が強いというわけではない。ただ夏美さんがリリィと戦う事が出来ないんじゃないかと思ってしまうのだ。
そしてそんな夏美さんをなんとも思わずにリリィが夏美さんを殺す。幼稚な想像だがありえなくはない。
「くそ…。間に合うか……」
いろいろ考えてしまうが、そんな事よりも今は夏美さんのもとへと急ぎたい。何も起きてなきゃ良いんだが…。
すると走る俺の横を何かが通り過ぎ足を止めてしまう。
はじめはバイクか何かかと思ったが、通り過ぎた何かが少し前で止まっていて、その姿を見て違うと分かった。
「一緒に行きましょうか? これなら一直線で行けますよ。もう空も暗いですから、夜闇に紛れられますし」
そこには杖に乗って微笑んでいるウィンさんと一人浮いているアンナさんの姿があった。
それを見て俺はゆっくりと苦笑いを浮かべながら近づく。
「いかにも魔術師って感じですね。空を飛ぶなんて」
「結構きついですけどね。場所は分からないので教えてもらえますか?」
俺は、はい、と言って素早くウィンさんの後ろに乗った。
乗ったのと同時に浮き上がる。こんな経験は初めてだ。
正直言うと怖い。
男二人が乗っていて足がつかない状態で、乗っている杖は車のようにどっしりしていない。ぐらぐらと揺れ、その度に不安を掻き立てられる。
「ちゃんと掴まっててくださいね」
俺の思ってる事が分かったのか、ウィンさんがそう言ってくる。
俺はその言葉にコクコクと無言で頷いた。
それを見るなりウィンさんは小さく、行け、と言う。
それを聞いた杖は言われたとおり動き出すのだが、何を思ったのか、ハイスピードで動き出したので俺の恐怖心はMAXに。
「すいません。この杖少々イタズラ好きで」
申し訳なさそうに言うウィンさん。
俺は返事をする余裕もなく、ただウィンさんにしがみついていた。
◆ ◆ ◆
私は誰もいなくなった事務所で、ルリちゃんと共にみんなの帰りを待っていた。
暗くなっていく窓の外を見つめていると、ルリちゃんが空の変化に気付く。
「あ、暗くて分からなかったですけど、雲が出てきましたね」
言われて空を見ると、確か空に雲が覆い始めていた。
「天気予報じゃ、雨は降らないって言ってたけどね」
そうですか、と言って私とルリちゃんの会話が止まる。
壁に掛かっている時計の音が響く部屋の中、何も喋らないのはキツイ。
「…」
「…」
どうも様子が変だ。ウィンさんとアンナさんが来て、いきなり出て行った成瀬君を追ってさっき出て行ったときから、ルリちゃんとの会話が単調で終わってしまう。
別にどこがどう変わったかは分からない。でもなんだかおかしい。
「ねえ、ルリちゃん」
「はい、どうしました?」
「何か考え事してるの? どうもさっきから様子がおかしくて…」
そう言うとルリちゃんは、え…、と言って固まってしまう。
「もしかして…、ウィンさんとアンナさんの事で?」
するとルリちゃんは何も言わず下を向いてしまった。反応からすると当たりのよう。
何も言わないルリちゃんに少なからず悪い気がした。あまり触れずにいた方が良かったのかな…。
そんな心配をしていると、ルリちゃんがスッと顔を上げる。その顔を見ると、笑顔なのにどこか悲しそう。なんでそんな表情をしているのか私には分からない。
「一つ聞きたいんですけど、あの二人、どう思いますか?」
「え? ウィンさんとアンナさんの事?」
「はい、そうです」
そう言われてさっきの事を思い出す。
※ ※ ※
ウィンさんは出て行く成瀬君の姿を見た後、杖を持って立ち上がる。
「ちょっと僕も行ってきますか。湧樹君一人じゃ危険かもしれないですし」
そう言ってさっきまでの雰囲気とまるで違うウィンさんの姿があった。
笑顔が消え、そこに今の状況が大変な状態なんだという事がうかがえた。
すると一緒に座っていたアンナさんも立ち上がった。
「ウィン様、私も行きます」
さも当然のように言うアンナさんを見て、ウィンさんは苦笑いを浮かべる。
「アンナは危険ですからここで待っててください。すぐ帰ってきますから」
「嫌です。危険なところにウィン様一人でなんて行かせません。それに危険なのにすぐ帰ってくるなんて嘘、私に通じると思ってるんですか?」
ウィンさんの言葉を聞いても、引き下がろうとしないアンナさん。
見つめあいながら思案するウィンさん。アンナさんはなお視線を逸らさずに見つめていた。
やがて根負けしたのか、一つ溜息をついたウィンさん。
「分かりました。でも危険だったら僕が守りますから、アンナは無理しないでくださいね」
ウィンさんがそう言うと、アンナさんはちょっと顔を赤くしながら、はい…、と返事をした。
なんだか私達がいるのを全然気にする様子もなく、こっちが居心地の悪さを感じていた。
※ ※ ※
それでそのまま事務所を出てったんだっけ。
それにしてもあの様子を見ていると、結構見る人が見ればカップルに思うかもしれない。
「私は仲がいいな、って思うけど。それがどうかしたの?」
そうですよね、と私の言葉を聞いて呟くルリちゃん。そして暗い顔をする。
その反応に私の頭には『?』が出来るだけだ。
「あの二人、お互いに相手の事が好きなんです」
「へ?」
いきなり何を言っているのか分からなかった。疑問を抱きながらルリちゃんを見ると、ルリちゃんは表情を崩さない。本人はいたって真面目なよう。
ゆっくりと頭の中で整理するため、ルリちゃんの言った単語を思い出す。
お互いに…、好き合ってる…。それじゃあ二人は……。
「愛し合ってる…、って事?」
「あ、いえ。厳密に言うとそういう訳じゃないんです」
「どういう事?」
「お互いに愛されているのを知ってるんですけど、いまいちそこから発展しないようで…。二人とも互いに自分が人間と妖精という違いを気にしてるんでしょうけど……」
それはなんとも不思議な間柄だ。二人ともあんなにいつも一緒にいるはずなのに、そういう事を気にしてるなんて…。
二人の様子を見てると、アンナさんがウィンさんを好きなのは明らかだった。でもまさかウィンさんもアンナさんの事が好きだとは思わなかった。態度に出さない所を見ると、結構奥手なんだなぁ。
でもちょっとそこで思い出す。
「そういえばルリちゃんは…、ウィンさんが好きなんだよね?」
確か前にそんな事を聞いた事があった。最初に私の元に来た時にそんな話をしていて、その時の顔を赤くしていたルリちゃんを思い出す。あの顔は可愛かったな。
そんな事を思っていると、私の言葉を聞いたルリちゃんはコクリと頷き、そのまま下を向いていた。
そこでもう一度考えた。
少しの間だけどルリちゃんはウィンさんと離れ離れだった。だからその間にそれを知ることは出来ないはず。って事はもしかしたらもう随分前から知っていたという事になる。
「いつから知ってたの?」
「アンナの事は初めから知ってましたけど、ウィン様には前に一度お話をした事があるんです。
『ウィン様には好きな人がいるんですか?』って…。それでその時に……」
ルリちゃんって結構度胸があるんだな。本人にそんな事を聞いてしまうなんて…。
じゃあウィンさんはそこでアンナさんの事が好きと言ったんだろう。
「うくっ…。ひくっ…」
すると下を向いていたルリちゃんが嗚咽を漏らしているのに気付く。突然のことに私は慌ててしまい、どうすればいいか分からなくなってしまう。
「ルリちゃん……」
「ごめんなさい…。こんな所見せてしまって…」
涙を拭うルリちゃん。私は黙ってルリちゃんの言葉を待つ。
「二人のあんな様子見てたらなんだかつい……。きっと私の思いは通じない、ずっとそう自分に言い聞かせてました。なのに、そう分かってるのに、それでもウィン様が好きだなんて……。
私のこの思いは、どうすればいいんですかね……」
ルリちゃんはずっと考えていた事を吐き出すように言ってくる。そして言い終えると堰を切ったように涙を流し始めた。
「なんで私の方が後なんでしょう…。なんであの人の側にいるのが私じゃないんでしょう…。なんで……」
「…」
するとこの様子に触発されたように外から雨音がしてくる。
いつも明るいルリちゃんがこんな思いを抱いてたなんて思わなかった。そんなルリちゃんの事を想像すると、とても胸が締め付けられる。
涙を流してるルリちゃんを見ながら、私はかける言葉を捜していた。私なんかにそんな資格はないかもしれない。でも私はルリちゃんの友達として何かしてあげたかった。
「ルリちゃんは…、ウィンさんに会ったこと、後悔してるの?」
その問いに、え?、と言いたげな顔をするルリちゃん。
私はそのままルリちゃんを見つめながら続けた。
「好きになった事、後悔してる?」
ルリちゃんはその問いに戸惑いながら首を横に振った。
「悔しい思いはありますけど、会えた事には後悔してません」
そう言いながらルリちゃんは私を見て涙を流しながら微笑む。
「それでも、好きですから」
私はそう言ったルリちゃんを抱きしめていた。なんでそうしたのかは分からない。
でも今はそうしたいと思った。
胸に抱いたルリちゃんから一層大きな泣き声が聞こえ、それが良かった事と思えた。
ちょっと長すぎでしょうか? すいません…。
一応この楽章で主要の登場人物をすべて出すつもりなんで、もう少しお付き合い願います。
ARIKAでした。