第五楽章『趣意【シュイ】』‐5‐
バタンとドアが閉まり、成瀬君は事務所の外へと出て行った。
事務所には私とルリちゃんが取り残される。ルリちゃんは私の胸ポケットにいるから当然だけど。
「じゃあルリちゃん。ちょっとポケットから出ててね?」
私の言葉に素直に応じ、ルリちゃんはポケットから出てテーブルに腰掛けて私が着替えるのを見守っていた。
微笑みながらじーっと見つめているルリちゃん。私はその視線が少し恥ずかしいと思いながら着替えを続け、私は上を脱ぐためにボタンを取っていく。
そして全部外し終えて上を脱ぐと、ルリちゃんは、う~ん、と唸り腕を組んでこちらを見ていた。
「な、なにか…」
私は脱いだ服で体を隠しながら聞くと、ルリちゃんは立上がって、テーブルから私の元に飛んでくる。
するとルリちゃんは私の周りを2・3周ほど旋回して私の事を見る。そして見終わったルリちゃんは私の目の前に飛んできた。
「私だとひいき目になっちゃうかもしれないですけど、凛ってそんなに悪くないですよね」
突然変な事を言うルリちゃん。私は、悪くないって?、と聞いてしまう。
「スタイルですよ。全然太ってないし、だからと言って痩せ過ぎずに、ほどよく肉が付いているんですもん。女性から見れば羨ましいと思ってしまいますよ」
そんな事を言うものだから私は顔を真っ赤にしてしまった。
「な、ななな、何言ってるのルリちゃん!」
私は慌ててそばに置いておいたジャージを取って体を隠し、否定したのだけど、テーブルの上に戻ったルリちゃんはそれでも続ける。
「胸が小さいのなんてどうでもいいじゃないですか。モデルみたいに綺麗なんですから」
「ちょ、ちょっとやめてよ! て言うかルリちゃん知ってたの?」
私は顔を真っ赤にして体を縮みこませていた。他人から言われるとかなり恥ずかしい。
私は恥ずかしさに耐えきれず、持っていたTシャツとジャージを素早く着て、テーブルの上にいるルリちゃんに近寄る。
余程私が泣きそうな顔をしていたのか、少しルリちゃんが心配そうな顔をして近づいてきた。
「すいません。気を悪くしないでくださいね? でも私は本当の事言ってるんですよ。凛は綺麗、って」
ルリちゃんはそう言い切ると、私に微笑む。
ルリちゃんがそういう事で嘘を言わないっていうのは知ってる。だからこそそんな事を言ってくれて、しかも屈託の無いルリちゃんの微笑みは、余計に私を恥ずかしくさせ、顔が熱くなるのが分かる。
きっと今の私は『林檎みたい』と言われても可笑しくないくらい程紅くなってるだろう。
…正直に言えば自分が気にしていた事を、そんな事無いと励ましてくれているようで本当は嬉しい。
でも素直にありがとうと言うっていうのも恥ずかしい。だから少し意地悪してやろうと思った。
まず私は何も言わずにルリちゃんの事をそっと掌に乗せる。するとルリちゃんは何も言わない私が怒ったと思ったようで、体を強張らせて目をつぶって震えていた。小動物のようでかわいらしい。
ちょっと面白くなって私は笑ってしまうのを我慢して指で突付く。
ルリちゃんは突付くたびに、ビクッビクッと体が反応し、それがとても愛くるしくて顔がにやけてしまう。
私は一旦やめ、顔の側にルリちゃんを持ってくる。何もされないのを不思議に思ったのか、ルリちゃんが恐る恐る顔を上げた。
それを見越して私はわざと怒ったような顔をすると、ルリちゃんは慌てて頭を伏せてしまう。
「ご、ごめんなさい! 変な事言っちゃって」
そう言ってますます体を震わせるルリちゃん。本当に可愛い…。
それを見て私は耐え切れなくなり笑ってしまう。するとその笑い声を聞いて、ルリちゃんが頭を上げる。見るとルリちゃんはキョトンとしていた。
「嘘だよ、ルリちゃん。本当に恥ずかしかったけど、嬉しかったし…」
私は微笑みながらルリちゃんに話すと、ルリちゃんは目に涙を浮かべ、私の事をポカポカと殴ってきた。
大きさが大きさだから痛くない。と言うよりなんだか心地いい振動だ。
「やめてください。そういう事するの。本当に怒らせちゃったと思ったじゃないですか…」
言い終わると叩くのをやめて顔を私に押し付ける。
ちょっとやりすぎたか…。そう思った私は、少し反省しながらルリちゃんの頭を優しく撫でる。
絹のようなきめ細かい髪が撫でる私の手にあわせて揺れる様は、サラサラという擬音がとても合っている。
「ごめんごめん。そんなに引っかかるなんて思わなかったから」
ところが、ルリちゃんは私から離れない。
しばらく様子を見てみると、小さく肩が震えていて、私はちょっと驚く。
「え? えぇ?! ルリちゃん。ねえ、ルリちゃん?」
慌てて私がルリちゃんの肩を揺する。それでも中々服を話さないルリちゃんに余計に不安になってしまう。
でもなんだか様子が変だ。
体を震わせてるのは違いないのだけど、さっきまでの震え方とは種類が違うように思う。
もしかして……。
私がそう思ったのが分かったように顔を上げるルリちゃん。
その顔はニヤニヤとしている。やっぱり……。
「ふふふ。お返しです」
そう言ったルリちゃんを見ながら私が、やられました、と言うと、どちらからとも無く笑い出す。
なんてくだらない事をしているんだろう、私たちは…。
でもそんなくだらない事をやりあえるような仲になれた事が、親友になれたんだと分かった事が嬉しかった。
すると笑い合っている私たちを静止させる人物が現れる。
「いつんなったら来るんだ?」
声のするドアの方を見ると、不機嫌な顔をした成瀬君の姿が…。
ヤバイ…。コレハチョットオコッテル……。
絶対にそうだと分かる雰囲気が伝わってきて、私は慌てて、も、もう行く所、と言い訳をしながら立ち上がった。
「あ、凛」
すると丁度行こうとした時、ルリちゃんに呼び止められる。
「あれ? ルリちゃん行かないの?」
「はい。ちょっと夏美さんに話したい事がありまして。心配しないでください。私は後から行きますから。凛が指輪をつけているので居場所は分かります」
そう言って申し訳なさそうな顔をするルリちゃん。
私は、わかったよ、と言って待っている成瀬君の所へと向かった。
◆ ◆ ◆
事務所の下にある車庫に車を入れ、私は階段を上がっていく。
「迷い、か……」
つぶやくきながら、頭を掻いて小さく笑う私。
頭の中で思い浮かべるのは、この国に来た理由。…それは悪霊となってしまった姉さんの極秘排除。
やる事は一つなのになぁ…。何を私は迷っているんだろう…。そもそも私自身から志願したんだから、迷う事なんてないはず…。
そんな事は分かっているはずなのに、指摘されたとおり私は迷っていた。
「私は…、姉さんを……」
何度も心に誓っては、本当にそれでいいんだろうかと迷ってしまう言葉。答えはいまだに出せていない。
そんな事を考えながら私が事務所の中に入ると、目の前の状況に一気に現実に引き戻されたような気がした。
コップの破片や水が散乱していて大変な状況だったからだ。
---泥棒でも入ったの?
そう考えた時、台所の方から何かがやってくる。
雑巾とバケツを持ち、フラフラと飛んでいるルリだ。
帰ってきた私に気付き、ルリは苦笑いを浮かべる。
「お、おかえりなさい……」
声にも力が無い。一体何が起きたのだろうか。
「これ、どうしたの?」
私がルリに聞いてみると、ルリはテーブルにちょんと座り、落ち込んでいた。
「あの…、喉が渇いたので麦茶を注ごうと思ったら、冷蔵庫にあった麦茶が容器いっぱいに入っていたもので、注いでいた時に重くて手を離してしまって……。
そしたらそのあと慌ててどうにかしようとしてたら、逆に……」
余計に大変な事になっちゃったって訳か。
慌てていたルリを思い浮かべると、なんだか微笑ましく思える。
「まあしょうがないわ。私も片付けるの手伝ってあげるから元気出して。ね?」
そう言うと、ルリは申し訳なさそうに頭を下げた。
※ ※ ※
コップの欠片を片付け、床やテーブルを拭き、一通り終わった所でソファーに座る私。
ルリは持ってきていた雑巾やバケツを片付け、戻ってきてテーブルに降り立つ。
「すいません。戻ってきてすぐにこんな事手伝ってもらって…」
「いいわよ、気にしないで。…ちょうど何かしないと落ち着かなかったし」
「え?」
「ううん、こっちの話。それより気になってたんだけど…」
片付けを手伝っていて思ってた事が一つあったのだ。
「ルリちゃんはあんまり魔法使ったりはしないの? こういう事で」
ルリは妖精であり、風を操る簡単な魔法を使える、とウィンに聞いていたから。
もしそうならさっきの片付けだって簡単に出来るはず。それなのになんで使わないんだろう?
そう疑問に思っていると、ルリは苦笑いしながら答えてくれる。
「習慣みたいなものです、あっちにいた時の。ウィン様の下に行った時に言われていたんで。
ここで一緒に暮らす間は魔法を使わないでください、って」
「ウィンから?」
はい、と返事をしながらルリは頭をポリポリと掻く。
何故そんな事をするのだろう。イマイチそんな事をするのが分からない私は、またどうして?、と聞いた。
「なんだかウィン様は魔法や魔術に頼り切るのが嫌いなようで。簡単に出来る事は極力自分自身でやりたいようですし」
なんと言うか、アイツらしいと言えばアイツらしい。
ウィンは魔術師としては異端と言われるような部類に入るだろう。普段から極力魔術を使わず、研究結果には一切興味を示さない。
それを聞いて一度私が、知識を求めるのが魔術師なんでしょ?、と聞いた時に、僕は自分が必要だと思う以上はいらないです、と言っていた。
そんなものかとも思ったけど、それが噂ではウィンのそんな魔術師を否定するような生き方を、結社内では結構不満に思っている人がいるらしい。
でもウィンのいる魔術結社は魔術師がいるのにはかなりいい環境らしく、しかも上の方の人物であるウィンに反発する事が出来ないらしい。うまく生きている。
まあそんなウィンのおかげで気ままに研究などを出来て嬉しいとも聞いた。
一体どっちなのか良く分からない。魔術師なんて天才以外は、奇人か変人かもしれない。
「それに文明機器を使った方が楽、というのもあるかもしれませんね。ウィン様は、いつか魔法や魔術は文明機器に越されてしまいますよ、とも言っていましたから」
冗談っぽいかもしれないけど、確かにそうかもしれない。
例えば風を起こすのも扇風機やクーラーを使えばいいし、火を熾すのもマッチやライターがある。
昔はそんな事が出来ればすごいと思われただろうけど、今じゃそうやって火や風を誰もが楽に得られるのだ。
そういう事を考え、いつか魔法のような事も、簡単に地球上で当たり前になるだろう、ってウィンが考えだろう。
「現実主義者ね。ウィンは」
私の言葉に、そうですね、と答えるルリ。
あれ? 遅いかもしれないけど、ルリはなんでここにいるんだろう。凛と一緒のはずじゃ…。
「あ、そうです。夏美さんにお知らせする事がありまして…」
私は、なに?、と言って耳を傾ける。
「『白いワンピースを着た髪の長い女性』の霊に憶えはありますか?」
「え……」
思いがけなかったルリからの言葉に、私は心臓が鷲掴みにされたような感覚に襲われた。
なんでもない事を長々と…。
そういう事を書くのが好きなんでしょうか、私は…。