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HOLY QNIGHT  作者: AKIRA
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第五楽章『趣意【シュイ】』‐4‐

 勢いで飛び出した私は、しばらく走って事務所の近くの公園までやって来てやっと我に帰った。

 ようやく落ち着いた私は、疲れて乱れた息を整えていた。


「はあ、はあ、何やってるんだろ、私…」


 今日はずっと走りっぱなしな気がした。こんな事なら意地を張って真理から逃げたりしなければ良かった…。

 これは明日はきっと筋肉痛で苦しむのが目に見えて分かる。

 ふと手に持っている物をじっと見つめた。


「どうしたんですか?」


 すると私の様子を気遣ってか、ルリちゃんが声をかけてきた。

 うん、と言いながら、私は丁度近くにあったベンチに腰をかける。

 座ると同時にポケットから飛び出したルリちゃんは私の膝の上に座って、私の事を心配そうに見つめていた。


「ちょっとね、本当に私、大丈夫かなって思って…」


「凛…」


 自分でも無理な事をしてると思っている。だから私はまだ少し悩んでいた。これからの事を…。

 ルリちゃんには心配かけないように頑張りたかったけど、今になってしりごみするほど不安になってきたのだ。

 普段から運動をしないし、元々運動が苦手って事もある。それが問題になったり気にしたりした事は無い。

 まさかそれがこんな形で私を悩ますなんて思わなかった。

 すると落ち込んでいる私を見て、ルリちゃんが声をかけてくれる。


「凛。もし私の為に嫌な思いをするのであれば、私は嬉しくありません。もしもそれがそんなに悩むのであれば、私は凛にやめてほしいと思います」


 え?、と思いながら私はルリちゃんを見る。ルリちゃんはそのまま続けた。


「私は正直言うと、凛があんな風に思っていてくれた事が、申し訳ないという思いと一緒に、嬉しいと思ってました。一緒に過ごし始めて日も浅い私なんかの為に、って。

 魔術を教えている身でそんな事思っちゃいけないんですけどね。すいません」


 そう言って頭を掻きながら笑うルリちゃん。

 初めて聞いたルリちゃんの本音…。そう思ってくれていた事が私は知らなかった。


「でも…、それが凛が苦しむのは私は嬉しくありません。気持ちだけで十分です」


 そう言ったルリちゃんの顔は、悲しいとも取れるような笑顔だった。

 私はそれを見て、そんな風に思わせてしまった事を申し訳なく思った。

 私はちゃんと覚悟してああいう事を言ったんじゃないのか。私はそう心に問いかける。その覚悟がもしかしたら甘かったのかもしれないと私は思った。

 私はルリちゃんの手を指で取り、ルリちゃんの顔を見る。


「うん…。私が甘かったのかもしれない……。ルリちゃんに心配させないぐらいになりたい、って思ってたのに、こんなに心配させちゃって、私って本当にダメだね…」


「凛はダメなんかじゃありません」


「ううん。ダメだよ、このままじゃ。こんな中途半端な私じゃまた同じようにルリちゃんに心配かけちゃうし…」


 心配するような顔で見つめるルリちゃん。

 そんなルリちゃんに私は微笑む。突然そんな事をしたものだからルリちゃんが目を丸くする。


「だからここでもう一度言う。私頑張るから、ルリちゃん」


 そう言いながらルリちゃんの頭を撫でる。

 魔術の先生であると同時に、大切な友達。そんな存在のルリちゃんの為に私は頑張りたい。

 自分のイメージ的にはそんな事思うような人ではないと思う。


 でも誰かになんと言われてもその思いは本当だ。


「もちろん魔術も、ですよ?」


 笑顔を見せながら言うルリちゃん。

 そんなルリちゃんをいとしく思い、私はルリちゃんの体を握り、頬に寄せる。

 恥ずかしいです、とルリちゃんは言うものの、逃げようとはしなかった。




 ◆  ◆  ◆




 私は巴さんを助手席に乗せ、駅に向かう。

 きっと乗るはずの電車には間に合うだろう。もう2・3分もすれば駅に辿り着く。


「…」

「…」


 車内の様子は事務所を出てから一つも変わらない。結構私もこの状態がきつかった。

 別に意識して何も喋らないのではないのだが、なんとなく私も巴さんも喋らなかった。

 気まずいとも思っていたけど、無理に何か喋ってまた黙り込んだら、短い時間でもさすがにキツイ。ここはこのまま送り届けるだけでいいだろう。そう思っていた。

 すると突然、巴さんが口を開いた。


「夏美さん」


「あ、はい。何でしょうか?」


 運転をしているので助手席にいる巴さんの様子を少ししか確認する事は出来ない。

 私は巴さんの声に耳を傾けてそのまま運転を続ける。


「私の思い過ごしならいいんですけど……、何か…、悩んでませんか?」


 その言葉に私の心臓が大きく鳴った。それでも何とか平静を保つように運転に集中した。

 だけど聞かれているのに何も返さないのは不自然に思い、どうしてですか?、と返す。


「あなたの言葉に何にかは分かりませんが、心の迷い独特の匂いを感じたので…。お会いしてからずっと気になっていたんです…。

 勝手に心を覗くような事をしてすいません。したくなくても分かってしまうので……」


 巴さんは申し訳なさそうな声を出して、その後布の擦れるような音がした。ちょうど信号で止まり、巴さんのほうを見ると、こちらに頭を下げ、ちょうど顔を上げたところだった。


「…いえ、気にしないでください。別に大した事ではないので。

 ……って言ってもそれが嘘っていうのも分かっちゃいますよね?」


「……はい」


 参りましたね、私はそう言いながら頬を指先で掻いた。

 もしやとは思っていたけど、巴さんは『共感覚シナスタジア』と呼ばれる感性間知覚の保持者のよう。

 それは例えば、文字や音に色を感じたり、人の性格などに色を感じたりと多種多様な知覚現象の事。誤解してしまうかもしれないが、音や形を本来感じることの無い感覚で感じる、と言った方が簡単かもしれない。

 有名な芸術家や小説家、音楽家の中には、その共感覚と呼ばれるものを保持する者がいたと言われてる。まあそれは実際にそうだったかは定かではないけど…。

 知識としては知っていたけど、実際にその保持者に会うのは初めてだった。


「すごいですね。エコーロケーションと共感覚の持ち主なんて」


 信号が青になり、車を発進させる。


「よしてください。そんなにいいモノではないですから…」


 巴さんは私の言葉を否定しながら大きく息を吐いた。


「こうやって外に出るのもキツイんです…。人が多い所では比例して声の量も多いですから、こうやって出歩くのはキツイんです」


 頭を押さえながら言う巴さんは本当に辛そうだ。

 巴さんの共感覚は声に嗅覚が反応するようだ。それによって相手の感情を嗅ぎ取っているのだろう。

 それがどれだけ辛いかは私には分からない。でも私がもしいろんな匂いが溢れる場所にいたら、きっと気が狂ってしまうんじゃないかと思う。

 それを日常的に感じながら暮らしているんだから、巴さんの苦労はきっと普通の感覚者には分からない。


「でも、それでも湧樹君に会いに来てるんですから、湧樹君は嬉しいと思いますよ?」


「そうかしら? あの子の事だから素直に言ってくれないだろうけど」


 私が、そうですね、と言うと二人で笑い合ってしまった。

 と、そこでちょうど駅に着き、駅前にある送迎の為の専用スペースに車を止める。


「じゃあすいません。ありがとうございました」


 そう言いながら車を降り、こちらに向かってお辞儀をする巴さん。

 また近いうちに、と私が言うと、そちらも頑張って、と言って巴さんは微笑んだ。そしてくるっと振り返り駅の方へ向かっていく。私はそれを見送っていた。

 すると急にこちらに振り返る巴さん。なんだろうか…。


「そういえば、車の中での話。まだ詳しく聞いてません。うまくはぐらかされてしまいましたね、私」


 あちゃぁ、誤魔化せてなかったか。

 いや、はぐらかした時にはきっともう巴さんにはバレていただろう。

 苦笑いをした私を見て、巴さんが口を押さえ、フフ、と笑う。


「お節介かもしれないですが、こっちに来た時に相談に乗りますよ?」


 とワザとらしく言う巴さんは、私の返事を聞かずにそのまま振り返り、駅の中に消えていった。




 ◆  ◆  ◆




 今日三杯目の麦茶を飲み干す。俺は一人事務所に座っていた。

 ……思いのほか一人というのは寂しい。

 この頃はこの事務所に来てから一人になる事なんてあまり無かったから余計にそんな思いが湧く。

 それにしても喉が渇いた。やっぱりさっき出かけたときの事が原因だろう。それ自体は大した事じゃないんだが…。暑い時に慣れない事をするもんじゃない。

 もう一杯つごうと思ったら、中身が空なのに気付く。溜息をつきながらソファーに深く座りなおした。


「誰か帰ってこいよ…」


 こんな事なら母さんの見送りでも一緒に行けばよかった。でも夏美さんが「凛ちゃんが帰ってきて誰もいないのはかわいそうでしょ?」なんて言うし、母さんも「見送りはいいわ」なんて言うものだから、俺は一人待つことになってしまったのだ。

 まあちょうど疲れていたし、疲れも取りたかったから良いという事にしよう。うん、そう思おう…。

 すると事務所のドアが開き、そこに凛の姿があった。


「お帰り」


 とりあえず俺がそう声をかけると、


「…ただいま」


 凛は苦笑いしながら返してくれた。

 凛はそのまま俺の向かいのソファーに座る。


「あはは…。ちょっと恥ずかしいからって外に飛び出す事無かったよね。今思うとそっちの方が恥ずかしかったかも……」


 そう言いながら恥ずかしそうに手を頭に置く凛。その時すこし髪が持ち上がった凛の姿を見て、ん?、と何かを感じた。

 俺は前にいる凛の顔を見つめる。


 あれ?、もしかして…。


 するとそんな俺の様子に気付いた凛が、不思議そうな顔をして俺を見る。


「どうかしたの?」


「あ、いや別に。考え事してたらボーっとしちゃって…」


 ふぅん、と微妙に納得してないような返事をした凛だったが、何も追及してこなかった。俺もそれ以上考えなかった。

 それよりも兎に角戻ってきてくれてよかった。これでこれからについての話が出来る。


「それでさ、これからどうすればいいかな?」


 思っていた事が伝わったように凛は真剣な顔つきで俺に尋ねてくる。これは話が早い。それにしても…。

 俺はなんとなく凛の様子がさっきと違うように感じた。何かあったのだろうか。

 まあそれは今はどうでもいい。俺は凛の言葉を聞いて返事をする。


「とりあえず今日から始めるから。特訓」


 そう言って俺は席を立つ。

 さすがに昨日今日で始めるなんて急すぎるかもしれないが、なにせ期間が無い。一時も時間を無駄に出来なかった。

 急にそんな事を言って大丈夫かと思ったが、凛は驚いたような顔をしたけど、


「うん、私も出来れば早くやりたいと思ってた」


 と言って了承してくれた。

 これはちょっと意外だった。もう少し考えたりするかと思っていたんだけど、嬉しい意外さだった。

 それならばと事務所のドアの方に歩いていく。


「じゃあ俺は下で待ってるから」


 着替えちゃえよな、と言い残し、俺は部屋を出て行った。




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