第四楽章『迷霧【メイム】』‐4‐
私は扉の開く音が聞こえ、そちらに顔を向けた。
私の目は扉を開けた者の姿を見る事が出来ないのだけど、日々の生活の習性で顔を向けてしまう。目が見えないからといって、顔を向けずにいるのはさすがに失礼だと思うから。
最初は水華月さんのお客さんかと思って会釈をしたのだけれど、なかなか挨拶の声も聞こえず、入ってくる足音もしない。
どうしたのかと思ったけど、その様子からなんとなく相手が誰だか分かった。
「…湧樹?」
一応確信を持っていたのだが、相手は私の言葉に何も返答してこない。ただその代わり、扉の辺りから私の反対側に向かっていく足音が聞こえる。
私はいつものように相手を認識する為に白杖を手に取った。これは今の私の目としての役割を持つ大事な物だ。と言っても私の使い方は本来の用途とは少し違う。
それを象徴するのが私の持っている白杖の地面を叩く先端部分、それが金属で出来ている。
他にもいろいろな素材があるのだけど、私はよく音が響く金属を使うようにしている。そうじゃなければ意味を持たなくなるから。
私はそれで少し強めに地面を叩く。コーンという少し高めの音が事務所の中に響き、私はすぐに耳を澄ませた。
そして反響する音が私の耳に集束し、跳ね返ってきた音の微妙なずれ等で、頭の中で周辺の立体像が生まれ、それにより今反対側に向かっていった者の背丈などが認識でき、やはり湧樹だという事が分かった。
これは『反響定位』と呼ばれるもので、別に退魔士としての能力でもなんでもない。
私のような目が見えない者が、訓練次第で身につける事が出来る『聴覚による目』と言える。それはある程度の大きさや、慣れてきた者なら大まかな形も分かるようになれる。
例えばコウモリや鯨などもこれと同じような事を行って食を得ている。音を自ら発し、その跳ね返り音を受信して獲物との位置関係を把握すると言われ、聴覚に頼っている動物に多く見られるらしい。
『エコーロケーション』とも呼ばれ、近年ではこれを視覚障害者にトレーニングさせる事を推奨してるそう。
「…聞いてたの?」
私はとりあえず声をかけた。また何も返してくれないんじゃないかと考えたけど、今度は、うん、という小さな声が返ってきた。
その声は確かに湧樹のものだった。
「形はどうであれ、盗み聞きしたみたいで…、ごめん…、なさい……」
最後の方ははっきりとしてないが、湧樹は謝ってきた。
私が何か返事をしようとしたけど、その前に湧樹が喋る。
「だから、俺の言いたい事もちゃんと母さんに伝える。俺だけ聞いたんじゃ不公平だから」
湧樹のその言葉に、嘘の匂いはしない。そしてその代わり、決意の表れが匂いから覗えた。
その様子に私は姿勢を正し、湧樹の方を向く。
でもその時、私はある事に気付いた。
「初めてかしらね…。 私があなたからこんな風にちゃんと話を聞くの…」
その言葉に湧樹は何も答えない。
思えばずっと私は湧樹に退魔士を辞めろと言うだけで、記憶にある限り湧樹の言いたい事をほとんど聞いた事がなかったはずだ。
気付けば言い合いになって余計に話が出来なくなり、結局何も話し合うことも出来なかった。
それを考えると私は少し気落ちする。
子供の話を聞かず、ただ私の意見だけを押し付けて反対されてしまうのを嘆いてた私が、あまりに滑稽に思えて…。
「ごめんなさい…。湧樹…」
自然と私はそんな言葉を口から出していた。
いきなりこんな事を言っては何だと思われるかもしれない。
けど、私は言っておかなくてはと思ったのだ。
「何謝ってんの?」
すると湧樹は気付かないのか、それとも気付いてないふりをしているのか、そんな事を言っている。私も、なんでもないわ、と言うだけだった。
そのせいか、私と湧樹はお互いに何を話せばいいものか考えてしまい、黙り込んでしまう。
気まずくなったようで、一緒に来ていた少女が、お茶淹れてきますね、と言って妖精と共に奥の方にいなくなってしまう。
すると水華月さんという方も、提出する書類まとめてないや、と言ってそそくさと同じようにどこかへ行ってしまった。
それにより私と湧樹は事務所に取り残されてしまい、静かになってしまう。
最初どうしたものかと考えてボーっとしてしまったけど、どちらともなく笑ってしまう。
「二人とも、あからさま過ぎでしょ…」
湧樹の呟きに、そうね、と言ってまた笑ってしまう。
ひとしきり笑うと、さっきまでの私と湧樹の間にあった気まずさが感じられなくなる。
こんな簡単な事で息子と向き合えなくなってた事を思うと、むなしいと言うより余計に可笑しくなった。
今思えば家族なのだから話し合う事なんて簡単な事だった。
家族だからこそ伝えたい事を伝えられたはずなのに…。
母親である私から歩み寄ってあげればよかった…。
そんな思いが次々にこみ上げてくる。
もう後悔なんてしてもしょうがないのだけど…。今までの事はやり直したくても出来ないのだから…。
「ふぅ。それで? 言いたい事って何なのかしら?」
私は落ち着いて湧樹に話しかけた。
湧樹もその様子を察してか、さっきまでの緊張した雰囲気が感じられなくなった。
◆ ◆ ◆
とにかく何か言わなくちゃと考える俺。
思いを伝えるなんて思っていながら、どうしたらいいかと悩んでしまう。
実際突発的に言ってしまった言葉だから、何も用意していない。
その時、ふとさっき部屋にいた時の凛の言葉を思い出す。
---何も言わなかったらさ、あっちの言いたい事が分からないだけじゃなくて、こっちの言いたい事も伝わらないんだもん。
そうだ。それだけの事なんだ。
なのに俺は、今まで変に意固地になってしまい、何も伝えようともしていなかった。
きっと俺自身、どこかそれを話してしまうのが恥ずかしいと考えていただけなんだろう。まあ今もそれを言うのが恥ずかしいと思っているけど…。
それでも俺は、母さんとちゃんと話しをしようと思い、姿勢を正した。
「さっき、母さんが言ってたよね? 俺が退魔士を続けている理由が償いの為、って」
「……うん」
「確かにそれもあるかもしれない。
だって俺を助けて父さん達が死んだんだから…。それを何も感じないなんて言ったらただの馬鹿か親不孝者だ。母さんに言われてもそれは忘れる事は出来ない。
でも理由はそれだけじゃないんだ…」
そう…。それだけじゃないんだ。
母さんは、え?、という表情をして俺の方に顔を向けている。
「これはあまり言いたくなかったけど…、聞いてよ。父さんが…、言ってた事……」
「あの人が?…」
きっと母さんは知らない。父さんも俺に似て変に頭が固いから、隠しているってバレても、そんな事口が裂けても言えないだろうし。いや、考えたら俺に似てと言ったけど、俺が父さんに似てるんだろうな。
そんな事を思いながら、俺はあの時のことを思い出しながら喋り始めた。
※ ※ ※
退魔士になると宣言してからは、俺はいつも父さんや兄貴に稽古をつけてもらっていた。
その日も稽古を終え、道場で疲れて動けない状態になってしまった俺に、父さんが俺のそばにやって来た時だった。
それはいつものように稽古の反省点を話すだけだった。
でもその日、ふと父さんに俺が言った言葉から始まった会話があった。
『父さん』
『ん? なんだ?』
『強くなる秘訣ってあるの?』
それは本当に素朴な疑問だった。
まあしっかり毎日稽古をする以外にないとは思うんだが、何か他に理由があるんじゃないかと思っていたのだ。
すると俺の言葉を聞いた父さんが顎に手をやって、う~ん、と唸っていた。
そしてそのまま俺の方を見ながら答える。
『まあ秘訣ってもんはないが、俺が強くなった理由はある』
『え!? なんなの? 教えてよ!』
俺は強くなれる方法があると分かると、少し興奮しながら父さんに詰め寄ってしまった。
『ああ…、うん…。まあ…、なんだ…。ちょっと恥ずかしいんだがな…』
父さんはそう言うと、苦笑いを浮かべながら、言いづらそうに頭を掻いていた。
俺は父さんが何でそんな態度をするのか分からなかった。一緒にいた兄貴は何か分かったのか、少しニヤニヤしながら父さんを見ていた。すると父さんはますます気まずそうにしていた。
『ねえ。なんなの?』
それを見た俺が少し怒りながら言うと、父さんは一つ息を吐く。
『ああ。分かった。言ってやるけど…、一つ約束してくれ。母さんには言うなよ?』
『え? うん…』
どうしてそこで母さんが出てくるのか分からなかったが、自分が聞けるんならと思い承諾した。
父さんはそれを聞いて一つ咳をした。
『強くなった理由はな…、母さんだよ』
『母…、さん?…』
イマイチ意味が分からない。強くなった理由を聞いてるのに、またここで母さんが出てきてしまったから。
そう言った父さんは、何故か顔を真っ赤にしていた。兄貴の方はもう堪えきれず大笑い。
父さんと兄貴の様子に、俺は訳が分からなくなった。
そんな俺を見かねて、父さんが説明してくれる
『お前にはまだ分からないかもな。
まあ簡単に言うと、母さんに心配させないため、だよ』
『心配させない…』
『ああ。母さんああ見えて結構心配性でな?
俺が危険な仕事を引き受けると、反対してくるんだよ。
……自分だって退魔士やってたとき無茶してたくせに…』
父さんはブツブツと文句を言い始める。
それよりも俺はあの母さんが心配性と言うのが信じられなかった。
いつも仕事に行く父さんを見送った時、俺が『父さん、大丈夫かな?…』と聞くと、母さんはいつも俺に笑顔を向けて『大丈夫よ』と言ってくれていたから。
すると父さんはひとしきり文句を言い終えたのか、やっと本題に戻った。
『でもそれって、俺がまだまだ弱く見えるって事じゃないか、とも思えるだろ?』
『そう…、かも…』
『だから俺は、あいつに心配させないくらい強くなってやろう、って思えるんだよ』
なんとなく分かるような、分からないようなでモヤモヤしている。
そんな俺の頭を撫でる父さん。
『ま、難しく考えるな。大事な人の為に頑張ってたら自然と強くなれたってだけだ。お前もいつか分かるよ』
そう言って立ち上がって道場を出て行こうとする。
すると出口付近で立ち止まり、俺たちに振り向いた。
『今はお前らがいるからってのも理由だぞ?』
父さんはそう言うとそそくさと道場を後にしていった。
一方俺は父さんが言い捨ててった言葉が、何故か嬉しいような、恥ずかしいようなで複雑だった。
※ ※ ※
俺が喋り終えると、母さんは黙っていた。
俺はまずい事を言ってしまったかと心配しながら、自分も黙り込んでしまう。
すると母さんが、湧樹、と俺を呼ぶ。
「ちょっと…、風に当たりたいわ…。外に行きましょ?」
「…ああ。…いいよ」
突然の母さんの申し出だった。
母さんは俺の返事を聞くなり立ち上がる。それを見た俺は、ちょっと待って、と言う。
「あんまり出歩くより、屋上の方がいいんじゃない?」
そう。それじゃあ、と言ってそれを了承する母さん。
それを聞いた俺は、屋上へと案内するために先を歩いた。