第四楽章『迷霧【メイム】』‐3‐
巴さんの突然の申し出に、何も返す事ができずに私は戸惑ってしまう。
退魔士を辞めなさい…。
それは何を理由にそうさせたいのか…。
少しの間だが成瀬と共に仕事をしてきたのだが、一つも悪いところは見当たらない。
ランクも符号無しのBランクで、歳を考えれば上々の出来。手合わせした時も分かったが、実践も結構な場数をこなしてきたのが伺えた。
これでやめさせなくてはならない理由が見当たらない。
「…何故、それを私に言ってほしいんですか?」
私は単刀直入に巴さんに聞く。
その巴さんはコトっとテーブルにカップを置いた。
「ずっとここに来てから湧樹を見てきた水華月さん、あなたに『才能が無い』と言われればあの子ももしかしたら諦めがつくと思うの。そうすればあの子もこの仕事を辞めてくれるんじゃないかと思って」
巴さんはサラッとそんな事を簡単に言い、表情も崩さない。
本気なんだろうか? 私の頭にそんな疑問が浮かぶ。
親が子供に退魔士という仕事をさせないというのは別に無い事ではない。
でもそれは退魔士だった親が子供にその退魔士という存在を隠して一般人として暮らす、というのがほとんどの、というより過去の例を見ても当たり前と言っていい手段と言える。
それは、子供には自分のような道を辿って欲しくない、という親心が働いての手段なのだろう。
それなのに今の成瀬のように子供がその存在を知り、しかも退魔士になっているというのを辞めさせるというのは聞いたことが無い。
でも目の前に座る巴さんの態度からは、嘘をついているような感じはしない。
「でもそういう事は巴さん本人から伝えたほうがいいんじゃないですか? 私なんて一緒に働いているといっても、期間としてはそれ程経っていませんし、何よりずっと湧樹君の事を育ててきた親である巴さんが言った方が聞いてくれると思うのですが…」
これから先の人生に関係あることだし、そういう事は当人同士で話し合うほうがいいと思うのだけど…。
でも私がそう言うと、何も言わずにただ溜息をつく巴さん。そして私に顔を向け口を開く。
「そうね…、あなたの言うとおり私が言うべきよね」
「なら何でそうなさらないのですか?」
すると巴さんは自嘲気味に笑う。
「もう何回も言ったわ。退魔士なんてやめなさい、って。でもあの子、頑なにそれを受け入れてくれないの。それだけは母さんの言う事でも聞けない、って。
……理由は、分かってるんだけどね…」
「その、理由っていうのは…」
すると巴さんは自分の左手の薬指を見つめる。
「主人が…、あの子の父親が亡くなったのが原因なの。その後から明らかに仕事の取り組み方が変わったもの。聞いてもあの子は関係ないって言うけど、私にはそんなの嘘って分かる。言葉が嘘を言っている匂いなんだもの。
…まあ言葉の匂いなんて嗅がなくても分かるわ。あの子のそういう所、主人に似て嘘が下手だから…」
巴さんは、言葉遣いがおかしくなるのよ、と加えて言って小さく微笑む。その表情はまさに母親そのもので、どこか嬉しそうでもあった。
それにしても、父親が亡くなったのが原因、か…。
「…失礼ですが、もしかしてご主人が亡くなったのって…」
「退魔士の仕事で、上の息子と一緒にね…」
父親だけじゃなく成瀬のお兄さんも亡くなっていたのか…。
確かに悲しい出来事だ。だけどそれは退魔士としては宿命と言わざるを得ない。命を賭けて戦っていれば、そういう危険だってある。この職についた者やその家族はそういう事があるという事を心している。
成瀬だってそれは同じはずだ。そしてそれが成瀬の辞めない理由に繋がるとは思えない。
「でもそれが一体湧樹君にどう影響したんですか…」
「それが…」
そう言うとどこか戸惑うような態度を見せる巴さん。
私は何も言わずに言葉を待つ。そしてやっと口を開いた巴さんの言葉は意外なものだった。
「主人や上の息子が死んだ、その原因になったのが…、あの子なんです…」
「湧樹君が?」
巴さんは頷いてそのまま続ける。
「あれは主人が湧樹を連れていった時…、あの子が小学生の頃かしら…。
その案件自体、主人と上の息子だけで処理出来る危険のない案件だったから、どうせなら、って湧樹も連れて行くことになったの。
でもその時、あの子が身勝手な行動をしたみたいでね…。主人達があの子を守ろうとして、そのまま…。
葬式の間中ずっと泣きっぱなしで主人と兄に謝ってたわ…。お父さんお兄さん、ごめんなさい、って…。今でもその時の湧樹の姿を憶えてる…」
そこまで言うと巴さんは一度落ち着くためにカップを手に取り口を付けた。きっとそれを話すのはとても辛いのだろう。よく見ると、カップを持つ手が小さく震えていた。
そして聞いていた私も、何も答えられずにいた。
ただ理由より何より、一五歳のあの男の子がそんな過去があって退魔士になっているなんて思いもしなかったから。
まして小学生の子供がそんな経験をしたらトラウマになりかねない。それでよく退魔士になろうと思ったものだ。
……いや、逆かもしれない。
巴さんが言うようにそれが理由なんだ。
「湧樹君は退魔士を続けているのは…、退魔士であったお二人への償いなんですか?」
「詳しい事は分からないわ。でも私はそう思ってる。
あの子、それからずっと何かにとり憑かれたように退魔士の仕事をやってるから」
「じゃあ…、湧樹君のその理由が、巴さんの辞めさせたい理由なんですね?」
巴さんは返事をせずに頷いた。
「あの子がそんな理由で退魔士を続けていくなら、私は辞めさせたい。そんな償いとかで…、あの子に命を粗末にしてほしくないの…」
巴さんは両の手を膝の上で握り、顔を下に向ける。
「私は退魔士だったと言う前に、一人の母親なんですもの。子供にそんな重荷を背負って生きていってほしくないわ…。
私はどうせならもっとあの子に平和に生きてほしいの。退魔士として生きていくというのが、どれだけ大変か知っているから…」
そこまで言うと、巴さんは黙り込んでしまった。
静かになった事務所の中、私はどうしたものかと考えてしまった。
するとその時、事務所の扉が開かれてそちらを見ると、そこに立っていたのは凛と成瀬だった。
◆ ◆ ◆
「成瀬君」
俺が黙ってベットに寝転がりながら天井を見ていると、凛が突然声をかけてきた。
俺は、ん?、と言って顔を向ける。
「成瀬君はお母さんが嫌い?」
「へ?」
急に意味の分からない質問をしてくる凛。
「何でそんな事聞くの?」
俺がそう聞いても凛は、いいから答えて、と言うだけで理由を教えてくれない。何なんだろうか?
凛を見てみると、表情は真剣だった。俺はその表情を見て、改めて考えてみる事にした。
俺が…、母さんを嫌ってるか…。そんな事はない。
確かに俺は母さんに辞めろと言われるのが嫌でこの事務所で仕事をしている。家から出ればさすがに母さんから言われるのを避けられて、同時にそれは退魔士の仕事を辞めたくないという意思を表せると思ったからだ。
だから別に母さんを嫌っての行動ではない。人にどう取られるかは知らないが、少なくとも俺の中では違うと思っている。
「…嫌いじゃない。親父がいなくなってから、俺を一人で育ててくれたんだ。嫌う事なんて……」
むしろ感謝しているほどだった。
俺みたいな手のかかる子供を女手一つで育てるのは大変だったはずだ。
すると俺の言葉を聞いて、よかった、と言って俺のそばに座る凛。
「なら、成瀬君にもお母さんの気持ちが分かるはずだよ、きっと」
凛はそう言って微笑む。イマイチ何を言いたいのか分からない。
俺が母さんを嫌いじゃないから分かる事…、ってなんだ?
「親だったら、子供を思って当然なんだよ? きっと成瀬君のお母さんもそうだったんじゃないかな」
「そうって?」
「成瀬君のお母さんも退魔士だったんでしょ?」
「うん」
「ならきっとお母さんは成瀬君よりこの仕事の大変さや危険もいっぱい知ってるんだよ。そういう大変な仕事って知ってて、簡単に自分の子供をそんな職に就かせたいわけないもん。
家なんて前に進路の事について話してたことがあったんだけど、私のお父さんがコックさんやっててね。私もなりたいって言ったら、「親がやってるから自分もやるなんてのは感心しない」なんて言われて、私が言い返したりしてケンカになっちゃったの。
そしたらその後、お母さんが来て…」
すると凛は膝を抱えるように座る。膝に顎を乗せて溜息を一つ。
「「義行さんは反対してるんやない。簡単に決めてほしくないんよ。ホンマは子供に同じ道歩く言うてくれて嬉しいんやけど、義行さんはあの仕事の大変さを知ってはる。だからあんな意地悪な事言いはるんよ」って。
あ、何言ってるんだろうね、私。成瀬君と私の話じゃ、全然違うのに。ごめんね」
「…」
俺は凛の話に何も返せなかった。
なんとなく、凛が言われた言葉ってのが俺の頭に残る。
そういえば昔、まだ親父と兄貴が生きてた頃、小さい俺が親父達みたいな退魔士になりたいと言った時があった。
その時、俺も凛と同じような事を言われた時があった。簡単になりたいなんていうな、と。
今思うと、子供が言う夢を簡単に否定するのは酷かったんじゃないか…。
でも最後には自分のやりたいようにやれと言ってくれて、俺に戦う術を教えてくれた。それはとても嬉しかった。
「まあでも、一度お母さんとちゃんと話し合うのもいいんじゃないかな。何も言わなかったらさ、あっちの言いたい事が分からないだけじゃなくて、こっちの言いたい事も伝わらないんだもん」
ね?、と言ってこっちを見る凛の顔は妙に大人びてて、一年だけでもやっぱり年上なんだなって思う。
…ちょっと悔しい。でも、その通りかもしれない。
「…何も話さない事には始まらないもんな」
俺がそう言うと、凛が俺の頭を撫でてくる。
何だと思いながら俺は目だけで抗議する。でも凛は気にせず撫でるのをやめない。
「愛くるしいやつめ」
そんな事を言う凛。その表情は、さながら悩み相談を受けた姉と言ったところだろうか。
恥ずかしさと共に、悔しさもこみ上げてくる。凛に年上面をされたのが特に。
それを悟られまいと俺は一つ言ってやる事にした。
「でもさ。凛が親に料理人になるのを反対されたのって、料理が出来ないからなんじゃ---」
そこまで言って俺は言葉を止めた。
それは目の前にいる凛が、見たことのない表情をしていたから。
「成瀬君…」
小さく俺の名前を呼ぶ凛に返事をする事が出来ず、ただ黙って滝のように汗を流していた。
それを気にすることなく、俺に体を向ける凛。顔は笑っているのだが、絶対に笑っていない。
「言葉には、気をつけようね?」
俺の返事を待つことなく、凛は俺に平手ではなく、躊躇なく拳を放った…。
※ ※ ※
「ごめんなさい…。凛様…」
俺は持ってきてくれたタオルを、頭ではなく頬に押さえていた。
一方前を行く凛は謝っている俺を見ようともしない。
余程料理が出来ないのを気にしてるんだ…。これからは気をつけよう…。
そんな事を思いながら事務所の前まで来ると、凛が立ち止まる。
不思議に思って声を掛けようとすると、凛がやっとこちらを見た。そして口の前に人差し指を立て、喋るなとジェスチャーする。
すると、事務所の中から声が聞こえてくる。
『あの子がそんな理由で退魔士を続けていくなら、私は辞めさせたい。そんな償いとかで…、あの子に命を粗末にしてほしくないの…』
それは俺のよく知っている声…、母さんの声だった。
少しするとまた聞こえてくる。
『私は退魔士だったと言う前に、一人の母親なんですもの。子供にそんな重荷を背負って生きていってほしくないわ…。
私はどうせならもっとあの子に平和に生きてほしいの。退魔士として生きていくというのが、どれだけ大変か知っているから…』
初めて聞く母の本音。
それはたった一人の俺の母親としての言葉だった。
それを聞いた俺は、なんだか自分が酷く情けなくなった。自分の事だけを分かってもらおうとしていた俺が…。
いつの間にか俺は扉を開いていた。
いや、ちゃんと自分の意思でだ。言葉を伝えるために。
俺の思いを、伝えるために…。