~間奏曲~
前章のドッペルゲンガーの事ですが、『人間の欲望の集合体』なんて書いてしまいましたけど…、
私のデタラメです。
(一度このドッペルゲンガーの事をやっているテレビを見た次の日に、友達と言っていた事をネタにしただけです。スイマセン!)
まあそこまで気にかけてる人がいるか分かりませんが、誤解してしまったらいけないので一応。
ドッペルゲンガーの件から数日。
世間では黄金週間と言われる大連休に突入した。事務所前の道行く人の様子も普段見ないような学生らしき男女や、三、四〇代と思われる男性の姿もあった。
そしてテレビを点ければ、渋滞情報や行楽地の情報などが、どのテレビ局でもやっていた。
「『今から行ける行楽地』、か。ってそんなんテレビで言ったら意味無いじゃん」
何もする事なくテレビを見ている俺は、ただテレビに突っ込んでいた。
普段からそこまで暑さに弱いわけじゃないが、この陽気の急な変化にはさすがに参ってしまう。
何故なら変に寒い日が多かった四月を終え、ようやく暖かくなってきたと思いきや、連休に入ってからは夏日になってしまったのだ。
地球は春というものを忘れてしまったか?
「日本は四季折々の姿を見せる、ってのが売りだったのに、こんな『ジキルとハイド』みたいに真逆の季節を味わう事になるなんて…」
「これも温暖化の影響なのかしらね。ふぅ…」
夏美さんもこの季節の変化について行けないのか、ファイルを団扇代わりに扇いでいる。
ここの所、仕事は見廻りぐらいでそんなに忙しくない。
夏美さんが言うには、平和という事は良い事よ、だそうだ。確かにこうダルイ日が続くと、何も無いのは俺もそう思える。
でもこういう仕事をしていて何もする事がないと言うのは、『収入が無い』という事だ。それはさすがに生活をしていく上で大きな問題になってきてしまう。
…もうやめよう。考え事をするのも疲れる。
「エアコンでも買いませんか? これからもっと熱くなってきますし」
俺の提案を聞いて夏美さんは腕を組んで、う~ん、と唸って考えている。
「そんな言うほどじゃないんだけど、私クーラー苦手なのよ。だからあまり使いたくは無いの」
「へぇ~。まあ夏なのにひざ掛けとか持ってる人もいますし。OLさんとか?」
「こういう仕事やってても、そういう所は普通の人と変わらないからね。嫌になっちゃうわ」
俺達はなんとなくこの陽気をごまかすようになんでもない話題で気を紛らわしていた。
ふと俺は自分の母親のことを思い出す。
「そういえば俺の母親も冷房とか苦手っすね。でも母親は着物を着てるのに全然暑そうにしてないんすよ。慣れてるっていうのもあるんでしょうけど」
着物とは言っても、『小紋』や『紬』といった普段着専用のものだ。世間一般で礼服として着られ、細かい刺繍などが施されている着物とは違い、主に通気性や機能性が重視されている。
だけど着物は『夏の気候に不向き』と言われてて、洋服に比べれば確かに和服は少し暑苦しく見える。普段着として着ている人なんて、自分の母親やうちに来た人以外で見た事が無い。
「確か舞妓さんなんかは暑い時に帯をキツく締めて汗を流さないようにする、なんて事聞いたことがあるわ。原理とかはよく分からないけどね」
「じゃあ俺の母親もそんな風にしてたんすかね?」
もしそうやって努力しているのかと思うと、改めて母親がすごいと思った。
そういえばこの頃忙しかった事もあってか、家の方に電話していないような気がする。後で久しぶりにしようかな?
でもこれと言って話す事もないし、どうしたものか…。
「別にただ声を聞かせるだけでいいんじゃないの?」
不意に夏美さんからそんな事を言ってくる。
「ん…。なんでそんな事言うんすか?」
「ただそんな気がしただけよ。フフフ♪」
俺を見ながら目を細めて笑う夏美さん。俺はその視線から逃げるように顔を逸らす。
俺の顔がそんなにわかりやすい顔だったのだろうか。気をつけなければ…。
その時視線を事務所のテーブルの上に向ける。
そこにはいろいろなチラシが置いてあった。事務所の郵便受けにいつも送られてくる物で、それといって重要な物は無い。
でもよく見ると、そのチラシの間から角の方が出ているハガキが見える。
どうせどこかの店の案内だろうと思ったのだが、特にする事もないし、気になった俺は立ち上がりテーブルにあるそれを見ることにした。
その上に重ねて置いてあるチラシは、この辺に新しく出来たお店や風俗店のチラシばかり。よく見れば凛が言っていたケーキがうまい店の『羅生門』のチラシまで入っている。
と、そんな事よりも、とチラシをどかして中にあるハガキを手に取った。
だが俺はそれを見た瞬間固まってしまう。
「……このチラシの山って、…いつ頃のやつですか?」
「え? 全然知らないわ。でも最後にチラッと見たのは一週間ぐらい前かしら? どうせくだらないチラシばかりだし、最近そこに置きっぱなしにしちゃってたからね」
それがどうしたの?、といった顔で見つめてくる夏美さん。
それじゃあこのハガキを長くて一週間は放置してしまった、という事になる。日頃からちゃんとチェックしておかないとダメだな…。
俺は夏美さんの視線に答えず、ヤバイなぁ、と思いながら黙ってハガキを見つめるだけだった。
◆ ◆ ◆
「じゃあやってみてください」
私は、はい、と前にいる妖精先生に返事をして、言われた事をやってみた。
私とルリちゃんの間には、ノートから切り取った何枚もの紙切れが。
それらに掌を向けて、私はルリちゃんから教わった『詠唱』を行う。とは言っても今やりたい事を唱え、心の中で強くイメージするだけだ。
その手には刑事とかがするような白い綿の手袋をつけ、掌の方に小さな魔法円が描かれていた。
ルリちゃんが言うには、魔術を行う時に頭に魔法円を思い浮かべるだけでもいいけど、習い始めて一月も経っていない者が、今行う事をイメージと共に、円や三角形、文字をはっきりと心の中で見えるくらいにまで念じる事は不可能です、との事だ。
それだったらいつも持ち歩け、それを描いた物を使っても魔術を行使できるという事で、こうやって手袋を使う事にしたのだ。
さすがにウィンさんのように杖を持ち歩く事は目立つから出来ない。なのでこういった目立たずに持ち歩ける物でも大丈夫というのは安心した。
『清き風よ 小さく吹きて 紙を舞わさん』
ルリちゃんに教わった詠唱を行い、それが起こるイメージを膨らませる。恥ずかしかったけど、最初はそうやって言わなきゃ出来ないですよ、とルリちゃんにこっぴどく怒られ、反省してちゃんと行うようになった。
だけど、そんな私の行動を無視するかのように紙切れは一つも動かない。
私とルリちゃんは、あれ?、という表情で見つめあい、すぐに視線を紙切れに戻す
『清き風よ 小さく吹きて 紙を舞わさん』
もう一度同じように唱える。
でも全然さっきと変わらず紙切れ一つ動かなかった。
虚しさを象徴するように、部屋にある時計の針の音だけが耳に入るほど私とルリちゃんは無言になってしまった。
私はどうしてなのか分からず、ルリちゃんはどう声をかければいいか分からず、と言った所だろうか。
そんな中、ルリちゃんが静寂を破ってくれた。
「ま、まあ…、そんな早く出来なくて当然ですよ。まだ一ヶ月も経ってないんですから…」
「ありがとう…。でも……」
「『でも』も何もありません。魔法や魔術って言うのは、長い年月や世代をかけて出来たものなんです。どんな魔術師でもそれらを習得するまで長い時間が必要です。それを今すぐになんて…、出来なくて当たり前ですよ!」
私はルリちゃんに怒られて黙ってしまう。
それもそうか…。こうやって怒っているという事は、妖精として生まれたルリちゃんでも大変なんだろう。
それなのに少しやり始め、出来ないからといって挫折してしまう中途半端な私…。怒ってしまうのも無理も無い。
私はなんだか自分が恥ずかしくなって泣きそうになる。
ルリちゃんは目に涙を溜める私を見て、慌てて私に寄ってきて謝った。
「ご、ごめんなさい。つい言いすぎてしまって…」
「ううん。いいよ、大丈夫。私の方こそごめんね?」
謝らないでください、と言ってルリちゃんはティッシュを持ってきて涙を拭ってくれた。
すると突然部屋の扉が開かれた。
「どうしたの? お姉ち---」
隣の部屋にいた妹の真理が、私の部屋にやってきたのだ。私の声が聞こえてきたのだろうか?
入ってきた真理と私は見つめ合ってしまう。
真理の方は私の顔のあたりを見つめている。多分というか絶対にこのティッシュが気になっているんだと思う。
それを持っているのはルリちゃん。という事はルリちゃんの見えない真理にはティッシュが顔に引っ付いているように見えているはずだ。何事かと思っているはずだ。
私のほうはそれを考えている事が分かってなんと言ったらいいか分からずにいた。
意を決し私は顔にあるティッシュをルリちゃんごと掴む。その時、ルリちゃんから、んぎゅっ!、という声が漏れたが、今は気にしていられない。
「あ、の、その、これは…、その…、あ! 手品の練習! ご、ごめんにぇ…。うるさかった?」
慌ててしまい少しかんでしまったのだが、とりあえず誤魔化す事に専念した。
手につけている手袋を見せて、よりアピールをしていく。
「今度友達の誕生会でやるんだ。手袋にもこうやって描いておいて、雰囲気も出せるようにね。あと進行もスムーズに行かなきゃ大変だから、しゃべりの方も練習してたの」
ちょっと苦しい言い訳だったかもしれない。
それでも身振り手振りをして、らしく見せてみた。
そんな私を疑いを向けるような目で見る真理。しばらくして真理が溜息をつく。
「そっか。何かあったのかと思って気になっちゃっただけだから」
「そ、そう。じゃあ一応静かにしてる、ね」
そんな気にしなくていいよ、と言って真理は部屋を出て行った。
何とか乗り切れたようで、私は一息ついた。でも、私は手の感触にはっとする。
「ルリちゃん!」
私の右手にいるルリちゃんが、ぐったりとして目を回していた。
◆ ◆ ◆
私と凛は家を出て夏美さんの事務所へと向かっていた。
「…ごめんねルリちゃん。咄嗟だったから」
「もう大丈夫ですから、気にしないでください。アレは仕方なかったですし」
家を出てから何回目だろうか。ずっとさっきの私にした事を謝っている。
私自身は別に怒っていないのだけど、どうも気にしているようだ。
でも私は凛のこういう所は嫌いじゃない。何かとっても私の事を大事に思ってくれているようで嬉しいのだ。
「それよりも、凛は魔術を身につける事を第一に考えてください」
私はそう凛に続けて言う。凛は、うん、と言って頬を指先で掻きながら、苦虫を噛んだような顔をする。
凛には慌てないでと言ったのだけど、今のままでは魔術を身につけるのは到底難しいと思われる。
私の為とは言え、早くしようという焦りから余計に勝手が掴めないのだろう。
その気持ちは嬉しいのだが、それで出来なくなってしまっていては元も子もない。
「でも、それは出来ないよ…」
「え?」
でも帰ってきたのは予想しなかった返事が返ってきた。
なんで?、という顔をして凛を見ていた私を見つめ返す。
「一番はルリちゃんだよ」
「凛…」
笑っている凛の頬が赤くなっている。
それを見て私まで顔が熱くなるのが分かった。それが恥ずかしくて私はポケットの中に首までスッポリと入ってしまう。
「……私も今の一番は、凛…、だよ?…」
ふと言ってしまった自分の言葉に、更に赤面していく私。何を言っているんだろうか、私は…。
凛はよく聞こえなかったのか私を見ながら、どうしたの?、と言ってくる。私は返事が出来なかった。
その様子に凛は空気を呼んだのか、それ以上話しかける事無く歩いていく。
すると前の方に若い女性の姿が。
その女性は白い杖のような物をつきながら、右往左往している。
「どうしたんでしょうね? あの人」
「目が見えない人、みたいだね」
凛にそう言われ女性の事を見てみると、さっきから目を開けずにキョロキョロしている。
確かによく見ればあの杖は『白杖』と呼ばれる物だった。一度ウィン様を尋ねてきた人が持っていたのを見て、聞いた事があるのを思い出す。
ウィン様の教会にいるせいか、いろいろな人が出入りするのだ。同じような人で『盲導犬』と呼ばれる犬を連れている人もいたし、車椅子に連れられていた人もいた。
そんな事を考えていると、凛がその女性に向かっていく。
「な、何かお困り…、ですか?…」
凛のこうした優しさはとてもすごいと思う。今の世の中、なかなか声をかけて手助けをするような人はいないと思う。
私が感心していると、私たちの声に反応し、振り向く女性の姿はとても綺麗な動作。
最初、え?、という顔をした女性はしばらく私たちを見ると、成人とは思えないとても可憐な微笑を向ける。
「優しいお二人ね。お嬢さんの声も甘くて優しい香りがする」
「香、り?…」
凛が『香り』という言葉に反応したが、女性はもう一つ気になる事を言っていた。『二人』と。
この人は凛だけでなく、私にも気付いている事になる。
私は少し警戒し、身構える。
「何者ですか? アナタ」
突然話しかけた私にビックリしたのは凛だけで、女性は動じず、少し近づいて私のいるポケットの辺りに顔を向けた。
「あら? そちらの妖精さんは鉄臭い怖い香り。嫌われちゃたのかしら? フフフ」
まさか、妖精という事まで分かっているなんて。
でも、よく分からない事を言いながらも笑う女性の素振りに敵意は感じられない。その姿に私は拍子抜けしてしまう。
この女性は何者なのだろうか…。
この話をあげる少し前に、原因不明の腹痛が私を襲ってきた…。
一応薬を飲んで落ち着いたけど、この頃こんな事が多い。
先週は偏頭痛に…。高校以来だったので怖かった。
来週は健康診断…。何か引っかかってしまうかもしれない…。